一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

合宿特集2 脚本制作とアンケート 21491 1109

 

合宿特集2

 

 

 

(4)脚本の制作

 

とある病棟の一室に老人がボンヤリと横たわっている。かつては暖かい家族を持ち、妻と二人の子供たちと共に暮らしていた。たが、今では彼らも先立ってしまった。もうろうとする意識のなか、愛する家族の面影は薄れてゆくのに、あのときに歌った「恋の歌」だけは、今も耳の奥でひびいている。

 

来るか、来ないかわからないバスを待っている。そのバスはどこから来るのか、どこへ行くのか。その瞬間を見た者だけが乗れるバス。『希望』/歌うのが好きだった。愛しい人のことを歌にして、いつも歌っていた。毎日が楽しくてしかたなかった。でも、なぜか、いつかは彼女が私と違う道を進むと知っていた。/でも、本当は私自身がどうしたいのかは解っていた。/何よりも自分に正直にいたかった。生きるのに必要なのは常識なんかではなく、素直さだと思ってた。/今、私はバス停に立っている。喜びと悲しみの停車場に。きっと私には見える、そのバスが。

 

この街からも見放されて、きみは寒い風の吹くなかをひとりさびしく、望みのない身で、あてもない旅に出かける。だけど大事なのは、バラの花を夢見ることさ。さあ、歌ってごらん。あすは、君のバラが花を開くときなのさ。/もう長いこと、私の心は眠ったままで、ふたたび目を覚ますなんて思ってもいなかった。だけど君の美しい声のひびきに、この心はまた、恋のおののきにふるえはじめた。君のそばにいるときは、瞬く間に過ぎて行くのに、君のいない日々は何年ものような気がして、この世の終わりのような思いをさせ、身体も心も擦り切れてしまいそうだ。

 

「バラにあこがれ」むこうの方から、暖かい風の匂いがするよ。草花の芽吹く音が聞こえるかい。わかっているよね。何が一番大切か。君は自分(君)の行く先を知っているじゃないか。どうした。今日までずっと一緒にいたよ。私。今に見えるさ。君が私のこと必要としなくなった記念日に。

 

「Time to say goodbye」悲しみのなかにある、希望とか明るさをひとつの柱にしたい。愛する相手と自分を引き裂くものは、死であったり、どうしょうもないなりゆきとか、いきさつとか運命であったりする。「高く青い空が落ちてきたとしても、海がとどろいて押し寄せたとて、あなたがいる限りわたしは恐れない」と愛の讃歌では歌っていて、この恋人は死んでしまう。「死んでもあの空で苦しみは何もなく、とこしえに歌う愛を讃える歌」「愛は変わらない。その人の魂とか心は自分がその人を愛して、その人が自分を愛してくれたということで、ずっと生き続けてほしいという願いに近い希望。「Time to say goodbye海にさす陽に祈りを捧げて空を見上げる」船が岸を離れてしまったらようしゃなくお別れのときが来るんだけど、相手のことを想わずにはいられない。祈るのは、相手のこれからの幸せであり、ほんの少しどこかで違う形かもしれないけど、再会を願う。「さようならの船は岸をはなれて記憶の波間をとわにさすらう。さようならのときがきたら私は涙より哀しい笑顔を見せる。「Time to say goodbye」2曲の間、フレーズでつなぐ。

 

愛のはじまりTime to say goodbye恋は終った。あなたと子供みたいに遊んだ日々は今はなつかしい。/そう、さよならをいうときがきた。でも、今、不思議な力をみているわ。あなたへの祈りを捧げている。あなたへの祈りはすべて、愛という波に変わって、一つ一つの心、一つ一つの存在へ静かに届いている。/あなたへの愛は変わらない。だから、私は涙より哀しい笑顔を見せ、あなたに別れを告げる。/この愛に海に射す陽に、祈りを捧げて空を見上げた。今も聞こえるナイトマケの歌。今も聞こえるあのこもりうた。あたしの心のなかじゃあしたはまだ、旅になんか出ていない。Time to say goodbye海に射す陽に祈りを捧げて。

 

テーマ(人生のなかの瞬間を見つめる視線“時”ということ。過ぎていく今ということ。過ぎたときという場所)いつも、ただ今だけを見ていた。流れている時間と私の時間がずれていることに気がつかなかった。/過ぎた昔よ楽しい歌くちずさんで喜びだけに酔っていたの人生だの悲しみだのそんなことはおかまいなし止まらないで走っていったときの方がもっと早く走っているのを知らなかった/私が失くしてしまったもの失くしてしまうもの/Time to say goodbye誰も知らない異国であなたと暮らしたかったさよならの瞬間(とき)がきたら私は涙より哀しい笑顔を見せる/Time to say goodbye海に射す陽に祈りを捧げて空を見上げるさよならの船は岸を離れて記憶の波間を永久(とわ)にさすらう記憶は今であって、過去であって、永遠でもあるんだ。

 

「希望」人生を半分生きてきた男がふと振り返るすぎた昔よ月青く夜風甘く若さだけの魔法の杖いつしか折れ月も隠れ私のつけた小さなひもみんなみんな吹き消されて歌う歌も唇になく頰をつたう苦い涙そのうち自分も死んでしまういったい何のために生きてきたのか、そして生きていくのか/そんなとき、枯葉が落ちた。だが、枯葉は悲しまない。まるでそれが役目であるかのように落ちる。(枯葉が落ちるのは必然。)ああ、私のすべきことは、この命をいきること、この人生に誠実に生きること。草木が生え、花をつけ、そして枯れるように思いを口にし、行動し、人生が求めるところに応えていく。それに意味がある。

 

君が一体何なのか、この街の誰もわかりゃしない。君はそれが不満なんだ。君は身仕たくしている。ここを出て行くつもりなんだね。君は君を理解し、受け入れてくれるところを探すのか。それともただただ悲嘆にくれてあてもなく彷徨うのか。どちらにしても私には似たようなもんに見える。だって君は、君の心にあるせっかくのバラのつぼみをほったらかしにしているのだから。いや、たぶん、バラのつぼみがあるってことすら気づいてないみたいだ。それじゃ、何処行っても、何やっても変わらないかもよ。オイオイ、私に聞かないでくれよ。人に聞いてもダメさ。君が自分で見つけ、自分で育ててこそナンボのもんだよ。だから、難しいかも知れないけど、まずは君のなかのバラの花を探してみなよ。もし、君が本当に喜びや幸せを求めるなら。

 

もし、この世の中に、女の人がいなければ、一体どうなっていたのだろう。誰かを好きになって、デートを何回もして君がいればもう、ホントに幸せで、2人の甘い時間が過ぎて行く。あなたを一人占めにしたくて、殺してしまいたい。愛すれば、愛するほど、自分のすべてを相手にぶつけたくなる。あなたがいれば、もう何もいらない。この気持ち、あなたにどれだけ伝わっているんだろうか。2人は永遠だと、お互い信じていた。だが、別れは突然やってきた。なぜ、なぜ、なぜ、オマエがいなくならなきやいけないんだ。神様、どうか2人を引き離さないで、ずーっと一緒にいさせてくれ。お願いだ、あー、誰でもいい。誰か、ウソだといってくれ。じゃなきや、私も死んでしまう。

 

「Time to say goodbye」あなたを愛した死ぬほどに愛した愛さずにはいられなかったずっと眠っていた私の心は、あなたの美しい声に共鳴し、あなたの放つ暖かな光に魅せられ生命を受けた君のそばにいるときはまたたく間にときは過ぎて行くのに君のいない日々は名何年ものような気がしてこの世の終わりのような思いをさせ身体も心もすりきれてしまいそうだ君と永遠にふれていたいと思った誰も知らない異国であなたと暮らしたかったそれなのに葉を揺らす風は冷たく襲いかかり別れへといざなう今私はからっぽになって夜のしじま流れて青く冷たい冬の町かどに立ちただいきていたというかうせたこの身でどれだけ愛していたか計れてしまう私の奥底にはまだイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルイザベルモナムール殴人よそばにいてこごえる私のそばにいてよTime to say goodbye海に射す陽に祈りを捧げて空を見上げるさよならの船は岸を離れて記憶の波間を永久にさすらうさよならの瞬間私は涙より哀しい笑顔を見せるでも、泣いてばかりはいられない笑顔のステキだった君のために。2人で過ごしたすべては私の宝物そっと胸にしまうよ、さようならTime to say goodbye。ふと見上げると、真っ青な空が晴れ渡っていた。青い空を鳥が横切っていった。

 

「Time to say goodbye」よりエクソダスメメント・モリの心で」

別れと哀しみ 信号の前で、一人たたずむ。青なのに立ちすくむ。並ぶビルは、夕日に染まっている。苦しくも、明るく、楽しかった日々。その今までのすべてから旅立つときがきた。長い、長かった時代との決別。やっと歩み始める人の流れを背にして、街を背にして歩いてゆく。どうしてだろう、目の前には新たな世界と光が見えるのに、どこか物悲しい。夢も希望もあるのに、どこか気しい。

前進 Time to say goodbye哀しくもあるかな、この出発を誰も知らない。苦しくもあるかな、この私を誰も知らない。今の自分に何がある何もない。だが、だから進むのだ。報われないかも知れない。それでも進しかない。

事実 立ち止まりたいなら、止まればいい。泣きたいなら、泣けばいい。だが、座っても寝転んでも、すベてに背いてみても、そこからは何も生じない。恐いなら逃げ出せばいい。だが、どこに逃げても、あるのは闇と地の底だけ。目を閉じる、手で耳をふさぐ。すると聞こえる、鼓動が聞こえる。自分は生きている。今、確かに生きている。生きてるから、目を開けるしかない。時があるから進むしかない。宇宙があるから。歩くのかも知れない。

旅路、道程 Time to say goodbye今までとの決別。ああ、夢や希望を手にしても、幸福は永続しないだろう。どんな喜びも、一瞬のものにすぎない。苦しい、哀しい、寂しい、感じる。そう、感じるために進む。何かに呼びかけられるように進む。限りなく繰り返されるだけのドラマだとしても、新しい世界を見るために私は今、舟を漕ぐ。

 

私は、バイオリンを弾きながら、世界中をめぐって奏でるバイオリン弾きだ。もちろん、演奏する方が好きだけど、どうもばかに生まれつき道化グセというか、人を喜ばそうとやっきになっちゃうとき、あるんだよね。うん。よく、それで失敗する。うん。この前、いつものとおり、街のすみっこで弾いていたら、ある女の子がぼくを遠くからみていてくれたんだ。ぼくも、どんな娘か知りたかった。だから、少し歌いながら弾いてみた。すると、その子は、一歩近づいた。だから、今度は踊りながら弾いてみた。そうやって、いろいろやっていて、最後に鼻を赤くしてみたら、10歩下がっちゃった。まあ、そんなこんなで、数日がたったんだけれども、すごくかわいいなって思うようになった。ある日、彼女はすみれを摘んできてくれた。あのときの彼女のかわいらしい顔といったらね。にっこりほほえんでね。そのとき、“あの私”がはじまってしまったんだ。なんとしても、うれしさを表現したかった私は、そのすみれを食べちゃった。あは。そしたら彼女、大泣きしちゃってね。帰っちゃったよ。あれから数日たったけど、ひょっとしたらと思って、まだ弾いているんだ。道化師のカッコをしてね。

 

「Time to say goodbye」<別れ>(語り)今でも忘れない、あの日別れは突然やってきた。(歌)ある日、恋は終わる。夏が過ぎてゆく、悔いも涙も、嵐がもち去り、残るは落葉と間近な冬枯れ、木枯らしのなか、悲らない恋(歌)恋人よ、そばにいて、ふるえる私のそばにいてよ(ここまで、突然迎えた別れを嘆き、悲しむ)(歌)お前を愛した死ぬほどに愛した。この固いきずなは誰にもたち切れない(一方的にすがっても愛は何も変わらない)(語り)どんなに嘆いても、どんなに叫んでも、私の恋は報われない。あなたの名を何度呼んだとしても、もうあなたは私の前に現れない。(歌)イザベルイザベルイザベルモナムール。(語り)とき、時がすべてを流してくれる。(歌)あれは遠い思いで、やがて消える灯影も、窓辺赤く輝き、光り満ちたあの頃。ときは去りて静かにふりつむ落葉よ。夢に夢を重ねて、ひとり生きる悲しさ。木枯らしふきすさび、ときは帰らず。心に歌うは、ああ、シャンソン恋の歌。(語り)そう、どんなに悲しいときも、死にたいと思ったときも、いつも私のそばには歌がいた。私はひとりではない。私には歌があるんだ。(歌)ゆりかごみたいにあなたに甘えた日々。旅行かばんへと詰め込んで船に乗る。光の消えた街。みつめ会うまなざしだけがしゃべり過ぎ。いいかけたことばを汽笛がさらう。Time to say goodbye海に射す陽に祈りをささげて、空を見上げる。さよならの船は岸を離れて、記憶の波間をとわにさすらう。/<永遠>(語り)あなたは死んでしまった。私に、あなたの笑顔と思い出だけを残して、あなたは死んでしまった。(別れ①) (歌)暗く星のない真夜中の海辺、あたしのあの人は今夜出ていった。もう、帰らないとみんながいっている。けれども、私は信じていない。(歌)お前を愛した死ぬほどに愛した。この固いきずなは誰にもたち切れない。(語り)それでもあなたは、もう、戻ってこない、私も死のう。(②)(歌)Rinascero力強い声が聞こえる。地の底から聞こえてくる新たな希望と光を。魂は永遠のものだから、今、信じるのだ、生まれ変わると。やさしい目をした人たち、誰もがいつかは生まれ変わる。(語り)そんなとき、あの歌がきこえてきた。私を支えてくれる人たちがいた。(③)(歌)父ちゃんのためならエンヤコーラ、母ちゃんのためならエンヤコーラ、もう一つおまけにエンヤコーラ今も聞こえる、ヨイトマケのうた。今も聞こえる、あのこもりうた。工事現場の昼休み。タバコふかして目を閉じりゃ、聞こえてくるよあの歌が、働く坊のあの歌が、貧しい坊のあの歌が。(語り)そして私は、今、ここに立っている。歌と、私を支えてくれる人々(父母)と、自然と、今ここにいる瞬間を感じて、そしてあなたとの思いでは永遠に残る(④)(歌)愛の讃歌 あなたの~。/<希望>=ストーリー(語り)もう何もする気にならない。もう誰も愛したくない。ひとりでいたい、ただ、ひとりでいたい。あのときはよかったのに(①愛の讃歌、枯葉、ラ・ボエーム)(歌)過ぎた昔よ、楽しいうたくちずさんで、喜びだけに酔っていたの人生だの、苦しみだの。そんなことはおかまいなし、とまらないで走っていたときの方がもっと速く走っているのを知らなかった。(語り)叫び出したくなるような静寂がある。私はそのなかでバタバタとうごめき、血を吐き出した。ゲロを吐き出した。(②3001年)(歌)ヘイヘイヘイヘーイハイヘイヘイヘ一イヘイヘイヘイヘーイへイへイヘーイヘイヘーイへ—fギヤー(苦しみのフィンガーファイブ)(歌)魂は永遠のものだからいま、信じるのだ生まれ変わるとやさしい目をした人たち、誰もがいつかは生まれ変わる(歌)そんなとき聞こえてきたそんなとき歌が聞こえてきた。(③④ヨイトマケへつなげるメケメケ)今も聞こえるヨイトマケのうた今も聞こえるあのこもりうた工事現場の昼休みタバコふかして目を閉じりゃ聞こえてくるよあのうたがはたらくどかたのあのうたがまずしいどかたのあのうたが(歌)ヘイヘイヘイイヘーイヘーイヘーイヘーイヘーイ(希望のフィンガーファイブ)(歌)Time to say goodbyeで出発へ。

 

「終らない歌」ガラス窓に灯がともり今日も街に夜が来る(リリー・マルレーン)酒場では、歌い手が恋の歌を歌いはじめる。ひとりの少女が熱心に耳を傾ける。だが、少女は気づいてはいなかった。歌のなかに(終った恋や亡き人の命の)目に見えぬ亡霊たちが入り込んでいることを。戦場に静かに眠る兵士も(リリー・マルレーン)、冷たい土に同化した枯葉も(枯葉)、幕を降ろした誰もいない舞台も(帰り来ぬ青春)、今夜は光り輝いた日の記憶をよみがえらせる。陽気な少女もいつの日か、闇のなかで、夜どおし終らぬ歌を聞くだろう(Time to say goodbye)。街の明かりが消えた後、心のなかに思い出の灯をともして。

 

モンマルトルのアパルトマンの窓辺に開くリラの花。いつも腹をすかし、孤独に打ひしがれ、虹の訪れを夢見ていたあの頃。カフェで君に会った。君の美しい声のひびきにぼくの心は喜びにふるえた。生まれ変わる。ぼくは生まれ変わる。3001年の遠い未来に、新たな希望の光とともに。

 

「夏の思い出」彼女との一夏の恋を今、一人思う。ゆりかごみたいにあなたに甘えた日々。旅行カバンへとつめこんで舟に乗る/光の消えた街。見つめ合うまなざしだけがしゃべりすぎ、いいかけたことばを海鳴りがさらう。そう、あの夏、出会いは偶然だった。メケメケメケメケさあはじめようメケメケ南の島はあたらしい朝を迎える。恋のすばらしい朝を。あなたを二人で暮らせるのなら、なんにもいらない。あなたと二人で生きてゆく。ある日、恋はおわる/夏は過ぎてゆく。だけど、お前を愛した死ぬほどに愛した。そして再び、今、あの夏を振り返る。Time to say goodbye海に射す陽に祈りを捧げて/空を見上げる/さようならの船は岸を離れて、記憶の波間を永久にさすらう。さよならの瞬間がきたら、私は涙より悲しい笑顔を見せる。Time to say goodbye/(何が求められ、期待され、それ以上のものを出す。応用の部分。自分の役割を果たす。強みを出す。全体歌唱3曲をまずやる。ユニット、ソロ。<ユニッ卜>リリー・マルレーン(ガラス窓に日がのぼり~)消えるほほえみ(いつか~)カルーゾ(抱き締めて歌いはじめる)帰り来ぬ青春(すぎた~)Time to say goodbye(さよならの瞬間が)イメージがしっかりつかめている。ユニットで一つのストーリーを通す。スピードで構成を考え直す。)

 

私たちは、よく一緒にお酒を飲んだ。そして夢を、音楽を、宇宙を、朝まで語り合った。ある夜、あなたは私に、今まで誰にも見せたことのないという自分の詩集を見せてくれた。私は長い時間をかけて、それを一文字一文字読んだ。最後まで読み切って、そして、泣いた。この人の魂が、どうか成就されますようにと、血管が切れるほど祈った。私は、もう一つのかけがえのない魂をそこに感じ、そのことを彼に伝え、二人は一つの宇宙になった。私は人を愛した。/けれど、あなたがあなたの歌を歌い、あなたの人生を全うするために、私が私の歌を歌い、私の人生を全うするために、私たちは離れなければならなくなった。/私はそれを受け入れた。私の愛は、もうあなたには必要ではない。それは、身が切れるほど、哀しかった。どうして愛は終るの、と吐くほど泣いた。/でも、大丈夫。私はやってゆける。あなたが私に与えてくれた尊い経験、尊い意志。私はあなたに恥ずかしくない戦友でありたい。あなたの願いが必ず、必ず叶いますようにと、私はここで祈りながら生きてゆく。愛しい人、気高い魂の持ち主よ、さようなら。/愛しい人、愛しい人、ありがとう。

 

別れの瞬間~Time to say goodbye別れの瞬間は哀しいけれど、人生のドラマをつくる。心のなかで永遠の映像となる。別れのとき、心は身をよじるほど、痛むのに、思い出が美しいのは、きっと、私たちの心がきれいに燃焼していたから、別れは永遠ではない。私たちは死んでも死なない。生まれ変わる。また、いつか、きっと出会える日まで、しばしのお別れ。

PS.課題の中味をちょっと勘違いしていたようです。自分が歌いたい歌を、テーマ。1.別れ。2.永遠。3.希望に分けてみたところ、別れに永遠を含んだような曲が多かったので、そこから受けるイメージを詩にしてしまいました。別れの曲を歌うときに、自分のなかで中核にこのようなイメージを描いています。

 

CO2の排出量に対する規制が、いよいよ厳しいものになり、本当にこと細かな取り決めが、どんどんと加えられています。こんな世の中ですから、私が半生かけてつくり上げた煙突からモクモクと煙りの沸き上がる工場など、あっという間に閉鎖に追い込まれてしまいました。お陰で今では、日雇いの労働者です。すべてを失った現在の私の唯一の楽しみは、タバコの煙りのなかで、昔を思い出すことです。だからどうか、そんなちっぽけな煙りだけはゆるして頂きたい。その代わりといってはなんですが、いつか私がノタレ死んでも、どうか燃やしたりしないで下さい。お願いします。

 

ある日、私は仕事を失った。それでも都会の街並みは関係なく流れていき、私はこれまでで一番、疲れ切っていた。今さらになって、私は何一つもたない自分のみすぼらしさから逃げられない状況になった。一つだけ私の存在を認めてくれるのは、かつて私に向けられた数々の愛だけであり、その思い出を抱いて私は、自分の体でないような気持ちで足を遠い町に向けた。/その町は初めてだったけど、私が帰り着くのを待っているように思えた。浜辺に寝ころぶと何も起こらずに時間がやさしく流れた。そのうち私の孤独感は、山や空と一つになって、ただ得体の知れない大きなやさしさに包まれた。私の歌う声は大したものじゃないけど、それでも空に吸い込まれて私の心は宙を舞い、恋した人や父さんや母さんのところへも、すぐに飛んでいくことができる。そして、私は立ち上がって浜辺を歩いた。

 

 

 

ーー

 

 

(5)アンケート集計

 

<1>曲目でよかった順に下記の<2>より番号を記入してください。数字は右の枠内の曲番号

No.1→2、 1、3、4、 5

No.2→2、 1、3、5

No.3→3、 5、1、4、 2

No.4→1、 4、5、6、2

No.5→3、 1、4、5、 6

 

 

<2>1.「ヨイトマケの唄」 2.「Time to say goodbye」 3.「バラはあこがれ」

   4.ユニットで選んだ曲 5.ソロで選んだ曲 6.使った自由曲、その他の曲

 

 

1.A-1「ヨイトマケの唄

 

詩の意味、強さ、力強さ、背後に隠れているもの、全部をさっした上で、何が自分は出せるか。

まだまだ、自分はほど遠いところにいる。でも、この歌を知ったことは本当によかった。

いずれ、こんな生活に根づいた歌を歌ってみたい。美輪さんの歌唱力と幅の広さを改めて知った。

 

飾らない声の大切さ。よい声を聞かせてやろうとか、うまく歌ってやろうというようなくだらない考えを曲が勝手に排してくれていた。普段、笑ったり怒ったりしている声で、そしてやっぱり、みんなの心に届いて欲しいという気持ちが勝手に少し大きな声にさせてくれた。

 

脚本の段階では本当はこんな古い歌をそのまま嚙み砕いたような内容にはしたくなくて、今の時代の悪い面をクローズアップさせて、ひねくれた視線から原曲を否定するような再構成をしたかったけれども、そして一回目のリハ後、実際に具体的なアイデアも出してつくり始めたけれど、力不足からどうしてもイメージ通りになりそうにもなく、しかたなしに「バラは~」と「カルーゾ」をからめたイントロ部とオーソドックスな元歌との合体ということにしたけれど、それはそれでよかったと思っている。

 

何回も歌っている内に、この曲が素直に体に入ってきたし、こっちだって本当はいつもいつもひねくれていたくはないんだと思わせてくれたし、頭のなかでひねり出した作戦よりも、せっかく富士山の近くにきているということにうまくつながって、ほんの少しだけだが、ひた向きにならせてくれたと思う。

 

正直、こんな大曲だとは思わなかった。

詩といい曲のうねりといい、今、聞き返すと合宿以上に、熱くなってしまう曲だが、合宿中は構成ばかりが気になってしまい、この曲の心と共感し合うことができず、伝えるべきものをまったく伝えられなかった。

 

曲調や歌詞をパッと見ただけでは、絶対にわからないこの歌の深さがある。

それを見ないで、ただ、お気楽な歌にしてしまった自分が情けない。

 

「父ちゃんの~」に比べ、自分の「母ちゃんの~」は、ただ声を張り上げているだけで、深い思いがまったく飛んでいかない薄っぺらいものだと気づかされた。

 

他の曲より、参加した比率は少ない歌にもかかわらず、合宿後も頭から離れなかった曲。

詩の「想い」への共感と、日本人である私の体に心地よいリズムと節まわしのせいである。

 

あまり歌いたくなかったが、歌ってみると妙なさわやかさと充実感があった。

炭鉱節のようなフレーズ、人生賛歌に仕立てたつもり、皆で合わせるところも、個人のフレーズもイメージの方向性を考えながら、もっと練れたはず。覚えて、合わせることまでしかできなかったのが残念。

 

朝と夜、元気なときと疲れているとき、何度も歌ったが、そのときどきの状態で歌詞や歌の印象がどんどん変わっていくのがおもしろかった。

 

アタマの、かけ声のフレーズ、働くときに歌う歌の美しさ。

 

黙読してみると、思わず涙が出てしまう。スマートな職業で豊かな暮らしをみんながすると、ヨイトマケは少なくなって、世の中が困ってしまう。エリート職になるかもしれない。

なりふりかまわず働く姿には、誰もが心動かされるものがある。なぜだろう。

 

歌詞の世界が、自分の実生活とかけ離れているものであっても、聞き手には説得力をもたせるにはどうすればよいのかを考えさせられた。

 

 

 

2.A-2「Time to say goodbye」

 

何か織り物を織っていく作業のような歌。最初の入り方からサビ前までは、いろいろなフレーズをとばし、それを全部ふまえた上で、サビの力強さにつながっていく。

詩もすごくきれいで、まだ、自分はその入口をみただけで、これから、フレーズなど勉強していきたい曲です。

 

行きの電車で課題録音を聞いていて、全身にゾクゾクきた唯一の曲。何を歌っているのか、内容はわからなかったが、とにかく「これは私の人生そのものの歌だ」と思った。

 

こんな風に歌えたらと思ったし、本心から、一生かけて歌いたい曲だと感じた。

今回の合宿中にその第一印象の何倍もの強度で、自分を揺さぶった曲であり、正真正銘、一生忘れ得ぬ曲になりそう。

 

感じられても、基本がなく伝えらない。正しく聞き、正しく感じ、感じたものを外に出し、そこから学び、基本のトレーニングをしっかりやる。

 

あたりまえのことがやっぱり大切なんだと思った。

 

音程の幅がはげしく実際にはできない、けれどもそこにイメージを息だけでも入れることで、くずれない人じゃないかと思う。

 

「祈りをささげて」の高音の部分だけを強く出そうとして、その前のイメージの膨らみがなかった。その分、遅れてしまう。

 

合わせたとき、この人は本当にすごく動かしているんだと思った。勉強になった。

 

メロディが美しい曲は、自分が歌うとき、メロディをなぞってしまいやすく、失敗しやすい。詞もよい詞をいうことで満足するのでなく、ことばを伝えるため、音楽として伝えるためにどうおくのかということ。

 

サビの「ダン・ダダダダン」が遠くでこだましている。

最後の日の朝、ベッドの上で聞き、サラの声に胸がいっぱいになった。

皆で歌ってうまくいったら、すごいせまってくるものなのに。

 

本番で間のとり方とテンポをもっとよく取れたら、もっと生きたと思う。

曲の上昇感、想いの上昇感が集団だとなかなかまとまらない。

キイも高かったので、一本線を通すのが難しかった。

 

富士山に匹敵する壮大なスケール、ロマン。

これを表現する方法を知らない。歌にのまれてしまう。

 

切ないsoulが息使いにすごい入っている。

サビへのもっていき方。

 

全員で歌うことによって、声が混ざるから雑に歌っても構わないだろう、ではなくて、一人で歌うときとは別に、他人とうまく合わせることによって伝わる効果が倍増することもあるんだ。

 

 

3.A-3「バラはあこがれ」

 

最後のフィナーレで感じた。この詩の意味の大きさと、曲のよさ。

 

先生がいっていたように、今回、一番足りなかった部分、大切にしなければならなかった部分だったと思う。

 

この曲は本当に、3日目の発表会で最後に歌うまで、「希望」や「喜び」の意味でしか捉えられなかったのだが、最後に皆で歌っている最中に「ああ、この曲も“永遠”になり得る。永遠の曲だ」と感じた。

 

最後の最後で、心の底から歌うことを楽しむことができ、この3日間、仲間とつくり上げるために一心になった記憶を永遠に失わないように、祈るように歌うのが、どの練習のときより、よかったと思う。

 

ベコーのような立体感や躍動感は出せず、いかにも日本人らしい歌い方になってしまった。

 

班員も私も技術にはまだ差があることを知りながら、やらなければいけないというのは、後ろめたかったが、それでも、解放的なところは少し出せたと思う。

 

フィナーレで使う歌なのに、読み込みが足りなかった。メロディとことばのつながりが難しい。

 

一つにとらえようとするとリズムが狂う、アクセントがずれる。

 

単調なメロディの繰り返しを、どうしたらあきずにできるか、聞けるかということがポイントだったが、結果的には立体にできず、平面のまま終った感じである。

 

コーラスで参加したので、単純に歌っていて楽しかった。

 

歌ってみて、難しい曲だと気づいた。自分のなかで、この曲のリズムが本当には感じられていない。

それがないと古臭い日本のフォークソングのようになってしまう。

 

安定した曲調でのもっていき方。

 

 

4.Bユニットで選んだ曲

 

「イザベル(歌詩)」「暗いはしけ」詩を読むタイミング、間、どうやって後の人につなげるか。

「暗いはしけ」はサビに持っていくまでの前の部分の重要さ(トレーナにいわれるまで気づかなかった)。

 

ラ・ボエーム」「帰り来ぬ青春」原曲(フランス語)の歌に、リズムとことばに対する根本的な感覚の違いがあり、聞くとそれが感じられても歌うと自分は日本人的なリズムのとり方になってしまう。

 

リリー・マルレーン」ユニットの一番最後の場面のフレーズだったので、余韻を残した想像力を喚起するような音色、フレーズを工夫した。

 

呼吸で合わせることができなかったため、「ここで切ろう、こういう歌い方にしよう」といわれたまま、従ってしまったのが悔やまれる。班長からも、違うと指摘された。

 

「メケメケ」「3001年のプレリュード」プ口が歌うとあれだけメリハリがついて躍動感があるのに、実際歌ってみると、なぜべたーとなってしまうのだろう。

 

 

5.Cソロで選んだ曲

 

リリー・マルレーン」自分のなかでは四番目に選んだフレーズだったが、班別に練習していくうちに、この歌が自分に合っていると思ってとりあげた。

 

イメージ、情景などはまだまだ出せないが、ずっとつきあっていきたい歌だと思った。

 

「Let it be」もちろん、この曲に対する思い入れと、内容解釈の自分なりの考えはあったが、選曲の最大の理由は、なぜ、力まずこれほど強く伝わるものがあるのか、音色がすごいからか精神性がすごいのか。歌とはしぜんさや平静さに託すものもあるのか、など、とにかく原曲が自分にはナゾだらけであり、合宿のなかで練習を重ね、他の所員の歌を参考する中で、明白な手がかりを見つけたかったことなのだ。

 

結果的には、舞台では、今の自分にできることしかできないという現実を痛いほど知った。

 

「Time to say goodbye」出だしのフレーズの置き方、示し方で歌が始まる、始まらないというのをいやというほど感じた。イメージと出ているものとの一致、そのギャップ、その埋め方、たくさん自分に落ちてきた課題。

 

「帰り来ぬ青春」アズナブールの絶妙なフレーズにみせられて、自分なりにどう表現できるか挑戦してみた。

そのまま再現してももたないので、物語が聞こえるようなフレーズ感、リズム感を練り込んだ。

 

「Time to say goodbye」ことばの感覚や、歌のフレーズとして、感じがつかめた。

一つひとつのことばをていねいに発することの重要性を知った。

 

 

6.C使った自由曲、その他の曲

 

「PREDEMPTION SONG」うたは発声ではない。うたは祈りのようなものだ。

 

「3001年へのプレリュード」掛け合いをやったが、立体感の違いを痛感した。

 

自分はいっぱいいっぱいで、器の違いを感じる。

 

 

 

 

 

<3>下記のカリキュラムでよかった順に番号を記入してください。

 

No.1→16、15、[3、 5、9、12、14(以上同数)]

No.2→8、[5、6、9、10、13、14、15、17、18(以上同数)]

No.3→15、17、[4、 5、7、8、 10、18(以上同数)]

No.4→16、18、[2、 8、11、13、15、17(以上同数)]

No.5→10、17、[3、 9、11、13、14、16(以上同数)]

 

■初日1.課題説明/2.課題曲試聴/3.課題脚本づくり/

■2日目4.朝ウォーミングアップ(最終日も)/5.オーディション(1)(ソロ+フレーズ+脚本MC)/6.オーディション(2)(脚本MC)/7.班別ミーティングとトレーニング/8.夕方のリハーサル(1)とコメント/9.夜のリハーサル(2)とコメント/10.他班のリハ鑑賞(最終日も)/

■最終日 11.午前中、班別トレーニング/12.リハーサル(3)とコメント/13.課題の総まとめ・卜レーニング/14.Kスタゲネプロ/15.発表会ライブA班/16.発表会ライブB班/17.発表会ライブC班/18.フィナーレ/

 

ーー

 

■初日

 

1.課題説明

 

2.課題曲試聴

 

曲は大音量で聞くと違ってくる。また偶然、隣で歌うことができ、いろいろ聞けたことが大きかった。

初めから歌はちがった。メリハリがあり、活き活きとしていた。

声も、地面にひびいていた。

 

東京でウォークマンで聞くのと、場所を変えてスピーカーで聞くのでは違うので、この聞いてイメージを広げる時間は必要だったと思います。

 

 

3.課題脚本づくり

 

最初の何本か作って、いいものを出そうと思っていたが、一つのストーリーができあがった後、それにとらわれてしまつて、頭の切り替えができなかったと思う。もう、少し違った脚本を書いてみればよかった。

 

 

 

■2日目

4.朝ウォーミングアップ(最終日も)

何でこんなに体のことを知っているのだろうと本当に感心しました。

 

あんなに爽快な朝に、爽快な富士山を見ながらジョギングできてよかった。

体操は、2日目も外でやりたかった。

 

本当、いい朝だった。前日あまり寝れなかったのだが、6:00ぐらいにもう起きている人がいて、もうトレーニングに入っている人がいるとわかって、さすが上のクラスはちがうと思った。

 

リラックスしました。そういう体操のしかたがあるのかと、自分は伸ばしたい筋があったけど、それをこういうふうにするとよく伸びるというのがわかった。

 

右の首筋なんですけどね。ゴキッと。スッキリ。

 

富士山を見ながらのウォーミングアップは、気持ちも大きくなり、とても気持ちよかった。

 

 

5.オーディション(1)(ソロ+フレーズ+脚本MC)

 

込めようとすると、伸びる、ゆっくりになる。外から自分を客観視して、それとのかねあい。

 

とにかく、二度と同じ舞台はないと心得て、のぞんだ。ソロはフレーズのイメージだけを考えていた。そうしないと歌としてきこえない、伝わらないと思っていたからだった。心配していたような意識がとぎれたり、やりながら引いてしまったりせず、前へは向かっていたが、“歌詞”がとんでしまった瞬間、トレーナーだったか、「ああ」と動いたのがわかった。やはり、そこで自分の意識が詰まったようになったからだろうか。

 

全体としては、2分は短かった。3つはキツかった。でも時間になっても止めなかったのは、本当、大人気なかったといたく反省した。福島先生にも「失格」といわれたし。自分としては、もう一度オーディションがすぐにあったのは驚いた。

 

A班の人は殆どが再チャレンジする形になったが、自分はしなかった。先のオーディション一回切りと思って、そういう心構えでやっていたからだ。

それでダメなら、やはりダメであり、またチャンスはあるという考えをもたないにたりなさすぎることは変わらなかっただろう。鍛練の欠如を痛感した。

本当に上手だった。

 

選曲ミス、時間オーバー、脚本MCぐちゃぐちゃ、自分自身のこと、伝えたいことがまったくわかっていなかった。

脚本はとてもよくまとまっていて大切なことをいっていたと思う。

 

さすがという感じで、空気がひとり違かった。

 

A班の後にインターバルを頂いてなければ、自分もタイムオーバーしていた。

こんなところにきて無駄をギリギリまで排することを再び思い出させてくれたし、そのお陰でMCはスリムになり、伝わりやすくなった。

 

流れがほとんどつかめないで臨んだオーディションだった。

 

歌で残っている人はいないけれど、脚本MCにあった煙突からのぼる煙りと、煙草の煙りの情景は今でも鮮烈に覚えている。

 

自分の脚本をアピールしようという意志がまったく欠けていた。

 

ソロ、フレーズに関して、迷いはなかった。脚本、MC、練り込み不足。

 

とてもよかった。あんだけの時間でも、その人の資質が丸見えする。

 

 

 

6.オーディション(2)(脚本MC)

 

他の人の脚本をみて、1分でより効果的に伝えるために、削るところや強調する点などを考えるのは勉強になった。

短時間で伝わり方がだいぶ変わってくることに驚いた。

 

“バス”何か「ハッ」とさせられた。

 

一つの芝居を見ているようで、おもしろかった。

 

歌詩からフレーズを抜き出して、つなげても一人芝居として成り立つのは、おもしろい体験だった。

 

2回目になって、1回目よりよくなる人と、まったく変わらない人がハッキリしていた。

 

 

 

7.8.班別ミーティングと夕方のリハーサル(1)とコメント

 

個人的にはユニット、3001年が歌詞がとんでしまい、しかもソロ部分だったため、全体に迷惑をかけてしまったと、反省した。情けないことに、そのことを引きずってしまい、他の歌も晴れた心で歌えなくなってしまった。

 

本番では、どんな失敗をしても、切り換えを速くし、次に賭けないとすべてダメになると胆に銘じた。

先生方のコメントに、班員の何人かが浮かれたように喜んでいたのが理解し兼ねた。

 

そのコメントには、よい面と、喜べない面があることを見逃せなかったからである。

 

自分の受け持った歌が、ことごとく指摘された。何もかもが違うんだ。何を、どうしてよいのか途方に暮れた。

歌詞を覚えるという最低限のことからまず、やろうと思ったけれど、そういう次元の問題ではないことをわかっていた。

 

とにかく他の人の歌を聞いた。録音も聞いた。でも、出口は見えなかった。

 

やっぱり、詩を読み、声を上げたところに心動かされた。

 

不完全でも、作品になりそうなところと、もたないところ、不しぜんなところは、はっきりと出るのだと気づいた。ユニットのなかでの自分の役割のあいまいさに気づいた。

 

ユニットの反射神経のよさはすごい。自分はまだ、気構えで負けている。

 

ユニットのバランスが悪かった。選曲ミスをしてしまった。脚本を意識しすぎた。

「バラはあこがれ」は今回の合宿中、一番勢いがあってよかった。

 

 

9.夜のリハーサル(2)とコメント

 

終ってみると、トレーナーは、腕組みして、下を向いていた。なぜよくないかは、ひとつだけ、はっきり見つかっていた。終ってすぐ、素になれるほどしか気持ちを入れられなかったからだ。

技術のことは、この合宿中にはわからないと思った。

 

先生に指摘されたような、いくつかのコツだけを確実に果たすぐらいしかできないと思った。

細かくどの部分が悪いか、歌っている際にも、終ってもわからないことが自分の不安の最大の原因だとわかった。

ただ、一点、意識的なこと、集中力や気持ちの要素が考えている以上に大きいようだと理解した。

 

班のカラーは出てきていたが、個人個人のカラーがいまいちはっきり見えなかった。

ステージに動きと創造性がなかった。

 

 

10.他班のリハ鑑賞(最終日も)

 

切り込み方がまったく違うので驚いた。B班は何か流れのようなものを感じた。

すごく歌が好きで、私はこれを表現したいから、歌いたいからやるんだというのをすごく感じた。

 

10人以上の人が集まって何かをやろうとすることは、ものすごいエネルギーと、可能性と、とんでもないものができあがるおもしろさを秘めているのに、そうならないときこんなにも殺し合ってしまうものかと思った。

 

B班について、全体としては、観客に“一気に見せる”という工夫で技術が抜き出ていたと思う。流れがあるとはこういうことだろう。C班について、B班と比ベると、流れより個の強さ、個の力にこだわっていたように思う。

 

出番以外の動きまで、個性的だと、一人ひとりがなるほどこういう形で浮いてしまうのだということが鏡を見るようで分りやすかった。

これも「皆で一つの作品を創るのだ」という意義の差、その重要性以外の何ものでもなかったと思う。

 

一人ひとりの方を見ると、どれだけ声や歌の技術に長けている人でも、“伝わる”というのは本当、一瞬やいくつかの部分しかないという先生方のことばが体験を通じてわかった。

 

どんなホームランバッターも、毎打席100%ホームランとは限らないように。衝撃的で、歌の世界の深さにため息が出るほどだった。

 

B班のヨイトマケ。音声表現の深さ、豊かさに引き込まれた。

引きつけるものがある。短時間での構成作りにおける創造性、試みには驚かされたが、ハードばかりが目立って、ソフトの部分が伝わってこなかった。

 

やはり一人ひとりの存在感が違う。皆自分自身の位置づけがわかっていると思う。

全員が同じ方向でやれている。でも何か変にさわやかすぎるなとも感じた。

 

このリハ鑑賞によって得たこと、感じたことを自分の歌、ユニット、班に反映させることがまったくできなかった。だいたい、どこを聞き、何を感じるのかさえもわかっていなかったように思う。

 

他班のリハを見た後、それに関して話したりすることを班ではしなかった。

 

私は自分が何をどう自分たちに反映させればよいのかがわからなかったので、皆が何もいわないで班の、各々の練習をし始めたのを見て、わからないままにしてしまった。この時点で、私のライブの結果は見えていたのだと思う。

 

集中力の違いが歴然。ステージに上がる覚悟ができている。

 

よかった、声のパワーとか。

 

アイディアの差を一番感じた。ところどころでの迫力。

「舞台」というのをつくっていこうとする熱意に心打たれた。

 

 

 

■最終日

 

11.午前中、班別トレーニン

 

練習のときは、3つの課題の曲をみんなで歌う喜びを感じていた。

 

特に「Time to say goodbye」は本当に楽しかった。

 

「バラはあこがれ」「ヨイトマケの唄」を打ち合わせでしっかりできたのは助かった(リズムがほとんど入っていなかったので)。

 

ユニットの練習は、時間をかけても、あまりよくならなかった。

 

 

 

12.リハーサル(3)とコメント

 

ここでのことがこの合宿中の最大の課題であることを認識した。私たちは、サビばかりを歌っていて、それにもっていくまでの過程をふまえていないということ。

 

3日間で、本当は一番価値があったかも知れない。まあ、自分一人のことをいわれているのではないのは分っていても、今更どうなるのかと思い、久しぶりに本気で腹がたった。

 

その気持ちが大切なんだと分っていても、まだ腹が立った。だから意味があった。

 

「テンションが低い」という指摘をうけたが、それがどういう状況なのか、決してやる気とか朝だからとかではなく、そこの声として出すコントロール(内なるテンションを出す)がつかめていない。

 

歌に歌われている状態。決してやる気がないわけではなかったので、悔しかった。

 

流れとか、合わせることに気持ちがいって、ひとつひとつのフレーズへの集中力が弱くなってしまった。

「Time to say goodbye」が悪い合唱のようになっているというコメントにはっとした。

 

ユニット、班の問題点を鋭く指摘していただいて参考になったが、各人の長所を個人の努力で出す方向にまとめさせていただいた。劇のように一人ひとり役作りをするよう心掛けた。

 

 

 

13.課題の総まとめ・トレーニン

 

ゲネプロが始まるまで、外で輪になって歌っているときは本当によかった。

何か、力がわいてきているようで、またその前の段階で自分達の本当の課題が見えてきた。

今すぐには直せないけど、そこを認識しながら次へつなげたい気持になった。

 

個人的問題に今まで以上、一層悩む。どうすればよいものができるのか。いや、よいものなんて今の自分には結局できないのではないか。どこがよくて、どこがまずいか人にもきいてみる。あまりはっきりとした指摘はない。それほどの印象しか今までの練習やリハではなかったのだろう。

 

抜本的に変えないといけない部分があることを知る。技術はもう、どうにもならない。自分で自信のあるところなどは、自信というより、ただ歌うときに意識し、心掛けていることにすぎない。変えられるのはそこしかない。

意識外のことは捨てて、わずかに残ったいくつかにすべてを注ぐしかないと、残念さもあるが決めこんだ。

 

指摘されたからといって、それがすぐにできるものではない。ずっと隣で歌っていた植松さんに「大声を出してベタッと歌うのではなく、点でとらえるんだよ」といわれたけれど、頭ではわかったつもりでも、音声で表せない。普段から抱えている自分の問題点を他人からいわれることではっきりと確認できたことは、とてもよかった。

 

この時点では「どうすれば点でとらえられるのか」その感覚を少しでもわかりたくて、必死で録音を(音源)聞いた。この合宿にきて、一番死にもの狂いの時間を過ごした。かなり遅いスタートだった。

 

ユニット内で直前になり、立ち位置や、間のとり方などから共通のイメージができてきた。

全員で歌う曲の細かいチェックを行うなかで、どこか「合わせる」という意識が働いている自分。

 

どう歌うかばかり考えていた。迷ってばかりだった。

 

 

 

14.Kスタゲネプロ

 

意識改革、ステージング改革後、初めて臨んだ直前のゲネプロ。気持ちの上では、リハよりもっと本番に近くなっていたと思う。ほんのいくつかの自分の要素に賭けて歌う。また、がくぜんとする。

 

「これだけ絞っても、まだ、すべて出せない」全力でも、一点でも、出るか出ないかなのだ。

 

ピアニストのピアノにだけ、耳をすます練習。みんなの声をきいて出していたら、それこそ出てしまう。

自分は、それでまちがえたとき、まちがえたことも伝えてしまうから。

それはいいということをわかってないと思いました。

 

今思うと、自分の歌うところばかりを気にしていた(それもまともにできなかったが)。

自分のなかではステージが一つになっていなかった。

 

 

 

15.発表会ライブA班

 

新しい人たちの、とにかく勢いと力強さ、捨て身を感じることができた。

いろいろな捨て身をとにかく、まとめようとしている責任感と包容力を感じた。

ヨイトマケの最初の部分、よかったと思う。

 

最後の最後で人間らしさが出てよかったし、感動した。

あれがなかったら、あのガチガチさはやばかった。

 

全体としては、忘れ得ぬ新しい体験をすることができた。本当に参加してよかったと思ったし逆境のなか、それでも前向きにやることが、その反対といかなる違いとなるものか、改めて実感できた。

 

個人的には新しい側面もあり、リハよりよかったが、すべてだったかを問えば、自信をもってうなずけるものではなかったと思う。多くの課題が残りはした。

 

「Time to say goodbye」のサビ、波が押し寄せてくるようで、歌っていて鳥肌が立った。

「バラはあこがれ」のラスト、リハや練習よりもまったく、皆元気で解放されていて驚いた。

“よかったー”と思った。

 

開き直りがどうせならもっとあってよかったと思います。

本当にギリギリまでどうやって補うかを考えたんだと思います。

3日で直せるような問題じゃないと分っていても切れずによくやったのだと思います。

 

捨て身のパワーというのか、テンションは一番あったと思う。

荒くはあるが、あのテンションは舞台に立つ上で最低限持つものだと思った。

 

ラストで、皆で手拍子をとりながら動き回るのはA班ならばこそを思うが、あそこまで盛り上げた後のおさめ方が弱かった。

 

一人ひとりが自分の生きたフレーズを表現しようと懸命になっている姿が感じられ、好感がもてた。

熱が伝わってきた。

 

どううまく歌おうか考えている様子が、自分そのもの。

 

 

 

16.発表会ライブB班

 

ストーリーの展開が上手だなと思った。位置、いいところにおいていると思った。

「バラはあこがれ」はよかった。

 

「Time to say goodbye」はパート分けをしていた(女性陣)がきれいではあったが、もう少し力強さがほしかった。

でも「サスガ」と思わせることがたくさんあった。特に「リリー・マルレーン」はよかった。

 

リハよりシンプルにまとまっていてよかった。もっと見たかった。

勢いはなかったが、ステージは重さと深さがあって、このメンバーならではの空気があった。

 

自分は別に楽をしたわけではなく、何となく流れ出少ない出番になっていて、もうこのときにはすっかり冷静になっていました。やっぱり本番でも歌詞が飛んでいる人がいて残念でした。

 

やられたと思った。私たちにはないやわらかさというか、ゆとりがあるというか。

別に手を抜いているんじゃない、わからないけど何かが見えているんだと思う。

 

A班の高いテンションをそのままもらってと思ったのだけれど、そうはいかなかった。

ラストの「Time to say goodbye」を歌い終えたとき、あの独特の高まった気のようなものを感じることができなかった。

 

自分たちの存在感のある人。発表前に班のメンバーをはげましてた。

発表のときもすごい他の人を見てて、背負っているような感じがした。

 

題名、よかったと思う。さすが。全体的に不完全燃焼。

 

すごい。まわりがかすんでしまうのはしかたがない。

音程が悪い人が、ずっと歌っているのは耳障り。割合は、平等じゃなくてよいと思う。

 

声に感じるパワー、よかった。

 

1フレーズが印象に残った。力みがまったくないのに伝わってくる。

「3001年のプレリュード」、ことばが聞こえた。

声の力充分。表現力豊か。

 

ステージ上で踊っているようだった。その人が表われるような歌を歌う人がいた。

 

 

 

17.発表会ライブC班

 

発表会前にあれだけ福島先生に後は悪いところが出ないように、いいものだけが出せるようにといわれていたのに全部、不安なところ、出てはいけないところがバンバンと出てしまった。

それが発表会だというような感じもしたが、皆のいいところだけが出なかったことが悔しかった。

 

あまり印象なし。でも子供のような目と表情はとてもよい。

 

枯葉のユニット、個々というより全体としてよかった。

全体的にみて動き、あっと思わせるところはなかったが、誠実さが感じられた。

 

B班と同様、かなり歌詞が飛んでいたと思います。

本当はもっと声で勝負できる人が混ざっているのに、と思いました。

いろいろな考えが最後まで渦巻いたまま手探りで歌っているようでした。

 

一人ひとりの存在感というより、流れとか選曲がよかった。

「バラはあこがれ」から終るまでがちょっと間延びしている。

 

C班は、一番、班としての印象がない。(特に、女の人の)だからか、「愛の讃歌」と「3001年へのプレリュード」が印象に残っている。

ラス卜の「バラはあこがれ」の全員で歌うところで、後ろにいる必死でリズムをとっているのに班としてはまったく、リズムとあっていないのを見て、Keymanの立ち位置も重要なのだと思った。班員から見えていればきっと違ったと思うから。

 

ユニットのところで、とても締った印象を受けた。

 

いつものパワーが出てなかったと思う。

 

「あなたの~」のフレーズがよかった。

初めのオーディションのときからずっと同じテンションで、唄というより個人として存在感がある。

 

 

 

18.フィナーレ

 

とにかく解放された。そして「バラのあこがれ」の歌詞に本当に胸うたれた。

最後にこの歌の大切さが身に染みた。頭が真っ白になって歌えたことが本当にうれしかった。

 

すごく楽しく歌えた。自分個人の結果への不満が早くも高まってきた。

それにも増して、皆でやったことにはバカみたいに胸を張れた。

本当にいい気分で、また泣きそうになった。

 

皆でまあるくなって歌い出したとき、パアアアっと、心が晴れて、すごくうれしくなった。

 

あの合唱のなかでも聞こえてきた、歌詞をよんでくれた福島先生の声。

ピアニストのピアノ。

 

「バラはあこがれ」の歌詩が心に染みた。一瞬にして、お祭り気分を演出できる貴重な人だと思う。