合宿特集1
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(1)スケジュール(後)
(2)課題(後)
(3)進行とコメント
○初日 顔合わせ
明日の午前中の予定までいっておきます。
合宿に何回か参加した人でないと、本意は伝わりにくいと思いますので、また後をおって補足していきます。
初めて参加した人には、今述べることは、何をいっているかわからないかも知れません
しかし、各班の班長はわかりますし、あなた方も明日にはわかるようになると思います。
これでもいつもよりは、ずっとはっきりさせているつもりです。
皆さんが今からやっていく作業の発表を、明日の9時からします。
オーディションという形でやります。それで誰かを選ぶというわけではありません。
いつもは歌での自己紹介をやっていました。今回は自分の歌を30秒くらいにまとめてください。それからフレーズ、今の15曲のなかで3つから5つ、無理なら1フレーズでもよいので、覚えてください。
一番、力を入れて欲しいのは、脚本を書くことです。400字くらいでよいです。
これは明日の発表の要で、合宿全体で個人として仕上げていくものの伏線を含んでいます。
明日のオーディションを班で見て、使えるとか使えないというのを早い段階で決めていこうということです。
最終的にグループで、3日目のお昼に作品を仕上げなければいけないので、まわり道をしている時間はないのです。 迷ったときには班長の独断で進めてください。
今配ったもののなかに曲の番号が書いてあります。1が「ヨイトマケの唄」、2が「Time to say goodbye」、3が「バラはあこがれ」、この3曲に関しては覚えてください。
全部の歌を材料として使いたいのですが、知らない人にとっては負担が重くなりますので、絞り込みます。
後は4から15までふってあります。初心者は4、5、6あたりが、なじみがあると思います。
13、14、15と「バラはあこがれ」は、今回日本語の歌唱がありません。音を録音で聞いて、日本語をつけるという作業をひとつ入れたかったからです。本当のことでいうと、すべて原曲を聞いて日本語をつけてほしい。そのとき、どこにつけるのか、わからないと時間がかかるので、日本人の歌詞が入っていると捉えてください。
覚えるのに時間がかかる人は日本語の方から直接捉えてください。
聞き比べたり、自分のいいところを引き出すように使い方をしてください。
これだけの材料があるのはそういう意味があります。
課題に入ります。3日目に班別に発表をします。1班20~25分です。
明日からリハーサルを入れます。この辺は成り行き次第です。
踊りませんがミュージカルを上演するような感じでイメージしてください。
各班で最終的なタイトルをつけてください。
問題はここからです。明日の作業となりますが、3つのストーリーを仕立ててください。オムニバスでも三幕ものでも同時進行でもいいです。とにかくひとつの題材が3つのストーリーで支えられていることが、条件です。いろいろな組み立てで3つのストーリーを仕立ててください。
この3つのサブタイトルはテーマとして、こちらの方で制定しています。
サブテーマは、「愛の讃歌」と「枯葉」と「バラはあこがれ」の3本立てにしてください。
「愛の讃歌」は日本では祝福の歌で使われていますが、実際は、永遠の別れの歌です。もしわかりにくければ、これを「ある日恋の終わりが」「ヨイトマケの唄」にしてもよいです。
2つ目は、「枯葉」か「Time to say goodbye」を課題にとってください。テーマとしてとるのだから、どう考えてもいいです。
3番目は「バラはあこがれ」です。
班に対して与えられたものを分担してやってください。フレーズの構成の方は、一人30秒X人数分までです。どうしても15曲のなかで何ともならないのなら、オーディションのときの自分の曲から、とることもよいです。ただし、これはひとりでやるしかありません。
それから全員で3曲を受け持ってください。「ヨイトマケの唄」「Time to say goodbye」「バラはあこがれ」、この3つです。
3日目に発表するときに3本の柱を立ててください。これと3部構成が一致することもあります。
ユニットはひとつを、4人で3、4分でと考えています。このソロやユニッ卜はどこで出てもいい。だから全員で作業しなければいけないのは、それをどこで出すかということです。
ソロというのは一人が30秒を10人がやるというように一ヶ所に集めても、分散していれてもかまわない。入れなくてもよい、かなりの柔軟性を与えています。
初日は、この課題をつかむことです。
次に聞き取りのイメージング、これは脚本や作業を踏まえてイメージする時間が必要だと思います。
サブテーマの曲を覚えるのは、あとでよいです。「ヨイトマケの唄」「Time to say goodbye」「バラはあこがれ」の3曲は、特に気をつけてください。
それからフレーズは選ぶわけです。オーディションでやるので15曲から3~4曲です。
B、C班に関してはこの曲のなかから組み合わせて使ってください。好きな曲を歌うのではなく、班に与えられると思うものを出してもらった方がお互いのためにいいでしょう。
あとは、脚本でのストーリーづくりです。これをどんなスタイルにするのかは難しいと思いますが、モノローグに近いかたちでかまいません。とにかく3つの曲のうち、ひとつだけでもテーマを選んでタイトルをつけてください。これを明日の朝に提出するとともに、オーディションでやってみてください。
一番説明しにくいのはユニットです。3、4人で3分間ほど発表します。まず、組み合わせを決めます。脚本を書いたり読んだりしているときに同じものを選んだとかいうテーマ性で一致すれば一番早いです。ユニットは3人が集まれば練習できます。
それから後半のフレーズ集は、こういうものを結びつけるのに、ちくはぐになってしまうというとき、無駄なところを切って、フレーズを入れてつなぎ、全体のおさまりをよくするために、使えたら入れてください。舞台展開でどこで切れているのかわからないような作品にならないようにします。そういう歌詞や音がひとつ入って、切ったりつないだりする、そういうことの利用に使ってください。
明日、9時からのオーディションは、1時間で終わらせます。自分の歌や、本当はユニットのさわりまで出してもらうとよいのですが、ややこしいことをして力が出ないよりは、持ち歌の方がよいです。フレーズはユニットやソロで使うという伏線がありますが、これは15曲のなかから選んでおいてください。
総括すると、班に10人いて皆が3フレーズずつ出し、その30フレーズをテーマ分類してみて、ユニットを3つつくるというようなことです。ただ、今晩やることをそのまま発表に使うことではありません。むしろ、当人は作品にしたいと思っても、そのままではやりようがないとかいうことをはっきりさせるためです。
脚本の発表も同じです。この3つはユニットの部分です。全員で3曲とソロ、この3つの組み合わせです。今回の一番創造性が必要なのは、ユニットに対して自分は何を出せるかということと、1、2、3という一見バラバラなものを、ストーリーにまとめるときにどう構成するかということです。まず取り組みやすいところからやってください。
再度、オーディションの意図を説明しておきます。基本的には必要なのは、班の人に材料を出すことと自分で使える材料を確認することです。明日の時間で作品の材料出しまでやります。オーディションは仝員でやります。
まず、自分の歌、これは自分の想いをどうやるかということです。MCを音にまとめて出すという基準です。できたら自分の持ち味や武器がPRできるものを選んでください。時間は30秒です。各自で確認してください。
それから自分のフレーズを3つ~5つ選んでください。ある程度、音色やフレージングの力を見ています。どういう音のイメージを持っているのかとか、どう動かしたいのかを見ます。
脚本の作業は、結果としてはことばの作業ですが、実際には構成になってくると思います。余裕のある人は3つとも選択して3つのストーリーをつくってみればよいと思います。そのなかのひとつだけ発表してもらえばいいです。材料を選択したところに創作をしてストーリーをつくってください。
最終的に合宿では音、フレーズをやって、音楽のなかでつなぎます。明日のことばの作業というのは、そのなかでつなげておくことです。そこで一貫性は保ってください。そこから、フレーズにおりてみる。
人間の歌えることは、愛や別れ、命や希望、悲しみ、そのくらいです。これをやっておけば合宿の後も役立つだろうということです。自分の想いは失わないようにということで、3つの出し方を与えています。
自分の想いと仲間の材料をどれだけ活かせるかということを自由に挑戦してみてください。
○朝のオーディション
注意事項を確認します。まず、名をいってください。2分間の制限時間に関しては厳守してください。
ウォーミングアップは、左側のスペースでやってもかまいません。
順番は班で決めるようにしてください。持ち時間、2分というのは「次は私の番かな」と考えていたらそれで15秒くらい、すぐにたってしまいますので、準備は早めに。
A班に関しては、最後まで完成させることと、あまり喉をロスしないことです。
B、Cに関しては何もいいません。
同じことを3回も4回もいいませんので、いったことはしっかりと受け止めてください。
特殊なことは何ひとついっていません。
ですから先ほどいったほうに考えられる人は考えればいいし、ついていくのが精一杯な人は最低限のことを守ってやってください。
○再オーディション
こういうものの制作は、時間内にまとめていかなければいけないので、どんどん素材を出していかないと、間に合いません。いくら頭で考えたり相談しても決まってきません。
オーディションといったのは、ここに出た材料を判断して使えるものは使い、使えないものは思いきって捨てていくことをこの後にやっていってほしいからです。
B、Cに関しては客の反応をキャッチしてコミュニケーションができるところまで、3本くらいは出てくると思います。それから自分の感覚の変化から創造に至るような過程が見れるのではないかと思います。後は瞬間の創造力を見たい。
2分しかないので、その場でまとめたことをその場で発表するのはなかなか難しいことです。声や歌のオーディションではありません。その人のストーリーが見えれば、よかったのです。ことばの世界でもメロディ、フレーズの世界でも、想いの部分です。歌が失敗したというのは評価とは関係のないことです。それが予め見えないのが問題です。
一番厳しいのは時間です。与えられた条件のなかでできないことはできないし、できることはできる。だからどれだけ応用させることができるかということでやっていきます。いろいろなことを3日間のなかでいうと思うのです。そのなかでひとつしかとれなくてもそれをきちんととってほしい。できたらひとつのことから真意をとってもらえば、一体何が求められて期待されているのか、どうすればそれ以上のことができるかが、わかるでしょう。それを踏まえてもらうとありがたいと思います。
研究所では、1曲を3ヵ月かけて練りこんでいくようなことはやっていません。膨らますという応用や実銭は個人の力にまかせています。そういうことをここでは、集団で刺激を受けたり勉強できればいいと思います。
ひとつには、反面教師とすることです。基本的にここで働きかけることがなければ、そのままで終わってしまうということです。今日の材料出しは、発表に比べるとずっと簡単です。他の人と呼吸を合わせる必要がない。自分の思い通りに入っているものをそのまま出せばよい。作文でも中味で問う人はいない。
これを組み合わせていくと、いろいろなことで難しくなっていくのです。そういうことで、やや不安です。
今日のことで場が持たない人達の組み合わせというのは、本来はやれないことです。
ですが、やっていく中で何とか形に仕上げていこうということです。無理なときはそれなりに何かがおきるのです。自分の武器、他の人にないものを出していくことです。
発表までには、他の人と相談したり呼吸を合わせたりしなければいけないというのはあります。しかし、実際には自分の役割を果たしてください。自分のところにボールがきたときに、完全にそれをキープして完全にパスしたりゴールキックしたりしてください。そこでハンドしたりファールするのはできるだけ避けたいです。
これから班のミーティングも多くなってきますが、そこで頭を使ったり考えを出したり、発散をしたり仕切ったり仕切られたりするのではなく、己の力を出すことです。
形として出たものを元にくみ上げていくことです。
今まで何をしてきたかというのは関係ない。そこで出たものに対して使える使えないの判断をしてください。そのためには、少し材料が足りません。
現状みて、午後から班別に分けてやれることを考えると、フレーズやソロや構成です。これは、ひとつのスタジオが与えられてからで充分だと思います。
自分の想いというのは前提です。2番のフレーズは、任せます。
残りの時間は、班長を中心に、中心軸を脚本的に3本立ててください。
上映する劇の3つのストーリー、3本立てるのが難しければ3人の脚本、これをどう結びつけるかは考えなくても、関連ついてきます。とにかく使えるストーリーを3つ立てることです。
班長が決めたものを基本的に0Kかそうでないかという判断をします。
11時15分から再オーディションをやります。そのときは脚本だけでよいです。できたら4本用意してください。そこから1~2本、選びます。私たちのところへ班長が脚本を持ってきて、これはOKというものは、オーディション免除にします。
オーディションに出す作品は、誰かのものを直しても新しくつくってもよいです。それから前後のストーリー、0Kの出た作品と関連させなくてよいです。要は3つのユニットに早く分けてしまいたいのです。
そのために3つの脚本が必要です。その後でその3つをどう関連するかをやります。
結果的に12時になった時点で3本決めます。その3本の脚本を持っている人を中心にユニットをつけてください。班のなかで調整できないようなら相談にきてください。
もしまとまらないようでしたら、ひとつの脚本を選んで、そこに2、3人のユニットをつくります。残りのすべての人がひとりずつもう一回やってもかまいません。とにかく必要なのは、選ぶことです。オーディションの印象を元に、班長が決めてもよいでしょう。そして、ひとつのストーリーを決めることです。
○再オーディション前コメント
今、全体のことを捉えたり、ストーリーのことや想いのことをやる必要はありません。3班のミーティングを聞いていましたが、結局、まだやるべき作業ができていないのです。
ひとつは、準備ができていなかった。2分のオーディションのなかで、もう少しその人の想いと脚本が手に入ると思っていました。課題をつかめなかったり時間配分をミスしたというのはしかたがないことです。我々は出たものしか判断の基準にしません。
あなた方が今話し合っていることは、それぞれの考え方ややりたいことで、それは、必要ないことです。意味がありません。
それは示せなかったからです。示せた人やものを元に作品を組まないと、意味がないのです。
ストーリーや背景がどうだとか、こういうふうにするとおもしろいというのも、意味のない会話です。
合宿が初めての人は、そういうことも体験として勉強すればいいのです。
ただし、毎年、これでは困ります。
出すことも怠りましたが聞くことも怠っています。あなた方は、他の人達の脚本をまったく聞きとっていない。他の人のフレーズに何を感じたのか、どうですか。
それから使える使えないを選んでいない。それが成されていたら、こんなことは5分でできます。
本当のことでいうとオーディションが終わったときに、これは使えるということは、暗黙に決まっていなければいけない。それははっきりしています。
きちんとできたものとまったくできていないもの、程度は低くてもそれなりに生きて聞こえてきたことば、フレーズ、メロディ、脚本でもうまく構成されていたもの、ストーリーとしてよかったものとまったく使いようのないものは、はっきりしています。
そんなに優秀なフレーズばかりでしたか。
使えるものがほとんどないから、迷うこともないでしょう。5分で決まると思っていました。
あなた方がやりたがっていることや決めたがっているものは、いつもの選曲ミスやいつものステージ構成ミスと同じ。そのようにどれも捨てられず、妥協があるから、その分、意味のない時間と方向にいっています。
このまま続けたら明日まで続くでしょう。
出たものを見ていない。何のためにオーディションをやったのかということです。出たものから厳しく捨てていかなければいけない、今回もほとんど捨てなければよくないでしょう。
舞台でやったら、聞いている人にとって、つらいだけです。
たった2分のことを30人がやっているのなら、ちょっとでも何かが出れば、一応もちます。そのところだけをとっていないのが困るのです。使えるものだけを組み合わせるか補足するしかない。
だから出たものをベースに考えなければよくないし、考えより、やってみろというところから判断しないと闇のなかに入ってしまいます。本当は、示せなかった人は、黙ってみていろということなのです。
合宿だけではなく、すべてものごとが成り立つのはそういう話です。自分の歌の選曲、ステージ、取り組みについて、たくさんのものを考えたり書いたかもしれない、でも、出たものしか評価されない。出たものに対してどういうふうに進めていくかという作業しかしてはいけないのです。
だから15分でというのなら、そのなかで作業が進んでいなければいけないのに、何も進んでいない。
この3日間は出すか、出した後に次の準備をするしかないのです。
それぞれの人の心象世界とか幼い頃の思い出とか、それは出ているものにくっつけていくしかないのです。そこを忘れては、明日はこれ以下のステージになってしまいます。
いつも合宿では、30、40人で発表してみても、結局、印象に残るのは1人の人だったり、数人のどこかのフレーズだけです。そうでなければ、私も大劇場を借りて、行います。
それを外してどんなに考えたり打ち合わせをしてみても何もできてこないということです。
そうでなければ、わざわざ古い曲や複雑なものを使う意味はありません。
それは研究所でのレッスンでも同じです。材料を与えているということは、日ごろの自分の考え方や進行の方法やストーリーを出して問うためです。こうやって時間をとっているのは、違う判断があったり、判断不能なものがあったり、こういう取り組みに、まずは広くふれてほしいからです。
要するに、頭の使い方が逆です。頭のなかだけで決めつけて、進めています。あるいは、軽い好き嫌い。実際出たものを聞いて、そこから修正し、組みたてる作業が成されていない。
成す前に聞いていない。聞こえたところが勝負になるのですから、後で使うことを考えたら少しは努力して聞かなければいけない。その人の世界を、出た表現をわかろうとしなければいけない。伝える力が弱いのは確かですが、それは実際に出たものを聞いていることで補うのです。
この先もこの作業の繰り返しです。出たものでナンバーワンのフレーズ、脚本はどれなのか。とりあえずナンバーツーまで、後は残らないでしょう。そこで、補足、補強していくしかないのです。
捨てないでどんどん歌っているから、さっきの自由曲のような歌い方で終わってしまう。そこでよくないなら捨てなければよくないです。
そのときには他人の力を借りる。より優秀な作品からインスピレーションを得る。
共同作業のなかで違う感覚になる。それがこういう場のメリットです。
初めてこういうものをやる人はひとつの気づき体験だと思ってください。
2回目以降の人に厳しくいうのは毎回、同じことをいっているからです。勝田先生がいうことも、同じでしょう。そこで出たものでしか第三者は判断しません。
グループのなかでは、同じことをひと晩でも語り合えます。そのことは意味はないというより、自己満足で終わり、3日間で作品を仕上げるには、遠まわりになって、問題をぼかしてしまうことが多いです。
このくらいのものであれば、意見が分かれるということもないのです。うちのトレーナーなら、みな私と同じ取捨選択を即時、します。
相手のいう、くだらないことを大切に意を汲んだり、出なかったものまで読みとる不毛な会話は、無駄です。出ていないものは、考えることではないのです。出ていないものまで考えたら、全部の脚本が使えます。そうしたら何のためのオーディションでしょうか。
これからやるオーディションは、やり直しです。きちんと出すこと、力がなくて出せないのはしかたない。でもきちんと聞く、判断すること、がんばっているとか使えそうだとかあいまいなものではなく、音声のなかで表現された舞台として、明日、退屈させないものとして取り出せる可能性があるかで判断すべきです。
そういうことでいうと本当にわずかしか残らないはずです。
もう一度さっきの30人のフレーズを思い出してみて、何人のが、残っていますか。少しでもひっかかりのあるもの、もしかしたら使えるかなというくらいでも、ほとんどないのです。
ないものを空想で膨らませても、出せなければしかたがない。
だから、3つに分けているのも、本来ならひとりしか見せられる人がいなければ、後の人はバックにまわらなければいけないのをプロセスの勉強ということで、許容しています。
全体のなかであるレベル以上に上げていこうとするためです。
次に3つのユニットをつくることを念頭において判断してください。他の班のいろいろな材料も、今仕込んでおくと後で何かのときに役立ちます。自分の小さな頭で決めつけないことです。
決めつけたがために選曲やキーのミスもする。そういうものを外すのに真意があるのですから、もっと白紙にしてみてください。後で組みたてるときに、これが出たから、どうやろうかというのを打ち合わせるのです。
午後に関連づけることをまわします。与えられた条件、時間のなかで合わせていってください。
ではA班から始めましょう。
午後の作業を説明しておきます。ストーリーは直してもかまいませんが、班のなかでの共通の想いとして持っておいてほしい。自分のユニットのものは書きとめなければいけないし、できたら班のものは、皆でノー卜に書きとめてください。その方が全体が見えるでしょう。
作詞や作曲は、今つくってここで演じるのは、たやすくできるものではありません。勉強するために、勝れた人のものを借りていくのです。
すぐれた詞、メロディ、すぐれた歌い方があります。そのなかで相互に比較してみてください。
自分にはないけれど同じ歌でも3、4パターンいろいろと違って聞こえるものがあると思います。自分の気分や時間帯によってもちがうと思います。そういうものをうまく利用してほしい。
わざわざ東京から離れてきている意味が、そこにあるのです。
その人のひとつの可能性やセンス、おもしろさやすごさ、何でもいいのです。本当は創造されたものをして見えると、ありがたい。歌を聞きにきたりライブをやりにきているのではありませんから、そういった可能性を他の人に与えながら自分でも感じていくことです。
こういうことは自分でやるより、あいつにまかせた方がよいとかいうことは、他の人から学ぶ最大の方法になっていくと思います。
今のは、単純に違う歌をとって組み合わせただけです。でも、それだけでもその人のものになる場合があります。その人なりのセンスや想いのなかで組み立てられたら、のことです。
歌詞も自分でゼロからつくるよりも、よい詞を組み合わせると、短時間でかなりすぐれた歌詞になるわけです。ことばづかいとして磨かれたものを組み合わせるわけです。
レッスンでは、他人の歌や古い歌をたくさん使っています。それは自分で使うためであって、使われるのではない。そのなかに自分を表現する。歌であれ舞台であれ、全部限定された世界です。
映画でも、無限の時間、予算があるわけでもなく、いろいろな制限があります。
場所や役者での制限もあります。こういう制限に関しては、強くなってください。与えられた条件のなかでめいいっぱい膨らませていくことです。
オーディションは、脚本だけで一回やらせてみればよかったと思います。3つも入れてしまったから、うまく伝わらなかったのでしょう。まだまだ受け身なのでしょう。
もうひとつ、2度やったときに変わるというのが、大切です。一度目はよくわからないからいいのです。2度やったときに変われたのなら、3、4、5度とやってどんどん変わっていってほしい。
合宿のことは本来は3ヵ月でやることを3日でやっています。ということは普通の劇団であれば、残り2ヵ月で他のことをつめていくわけです。同じようにことばの作詞の勉強、脚本書きの勉強についても、これで5パーセント、これをつめることです。合宿のなかでは、時間がありませんので、帰ったらやってください。
そのことをこれから音の世界、フレーズ、メロディの世界でやっていきます。ことばで出して、伝わったかどうか、あいつのそこは使えそうだという判断の基準を、今はことば、ストーリーの世界でやりました。
これを午後から明日にかけて、フレーズやメロディ、それから構成や展開としてやっていきます。
妥協する必要はないです。均等に配分しなければいけないとか同じ時間、歌わせなければいけないとか、その辺の人間関係を一回、抜いてみて、いい作品を上演することに目的を合わせてください。
劇団でも端役や初心者は、少し出て、全体の作品がよくて、はじめて評価されるのです。
皆が同じ時間をやったがためにバラバラになってしまったり何も伝わらなくなってきたら、作品そのものさえ成り立たないのです。そんな作品では、どんなに30分間も出たといっても、誰も評価はしないのです。
あくまで出たもの、フレーズにソロメロディすべて、それを基準にやってください。
アマチュアの人の考えはなるだけそこに長く立っていたいとか、自分のフレーズを長く伸ばしたいとかいうことです。プロの考えでいうと、一瞬出てきて一番強いものを与える方がよいわけです。
5時間のコンサートよりも、3分でそれ以上の想いを伝えられるのなら、その方がよい。その余力で、たくさんのものを与えられます。
積み重ねてほしいのは、脚本に関しては、2度やって変えた後、3度からは自分でやってください。そのことをフレーズやメロディに関して、これから班のなかで変えていくようにしてください。
無駄な話し合いは誰かが切ってください。そうでないとまとまりません。
脚本のオーディションも、本当のことでいうとことばが急ぎすぎています。
モノローグと同じで音声で説得しなければいけないのです。
練りこみやどう表現するかということがとんでいます。
モノローグの復習をきちんとやっていないということですね。
3時くらいまでは班にまかせます。4時から各スタジオで第一回目の簡単なリハーサルをやります。
強みだけ出してください。構成や展開はバラバラでいいです。強みはどこなのか、何を伝えるかをひとり一ヶ所くらいは問うてほしい。
1時から2時は音をとり、必要であればピアニストさんに手伝ってもらってください。
最初の1時間に全体歌唱の3曲をやってみてください。
個別にはユニットのストーリーと全体の歌唱の関連づけをやるのです。そして、後はソロの練習でとり、フレーズでのしぼり込みをやってください。この後にユニットを決めてください。
この間にやってほしいのは、3曲の練習とユニットの練習とソロの練習です。それから3曲とユニットのかね合わせまでです。ここまでくると全体の構成が自ずと決まってきます。ストーリーがバラバラであればオムニバスでもかまわないです。
その辺はやりながらでないとわからないでしょう。しかし、まずテーマ曲を練習してみないとどのユニットがどう関わってくるかもわからない。
4時間こもりっぱなしでなく、30分くらい区切って練習するのがよいでしょう。
できるだけ感覚を変えていってください。
6時からは食事です。その後のことはリハーサルのときにいいます。
とりあえずこんなかたちで材料を組み入れてかたちはできているというところを見せてください。
ソロはそういうことが決まってから、ここに使えるなとかいうようにできればよい、班のなかでもう一度オーディションのようにやってもいいでしょう。とにかく話し合いをするより、班長中心にパッパッと進めていってください。
自分のものが採用されなくても、決まったものに読みこめばいいのです。
かなりの自由度を与えているはずです。まったく違うものになってしまっても、そのなかで何を演じられるかというのを協力してやってください。
とにかく退屈しない音声で表現する舞台をどうつくればいいのか、それぞれに使える武器を出しながらつくってください。
○16:00のリハーサル
<B班>
これからの作業は3つの歌と3つのユニットの位置配置をやって20分くらいにまとめることです。
単純に考えればひとつに対して3分で計18分くらい、そこにソロとつなぎを入れて25分におさめるということです。からみのところやイメージのところは、あなた方のなかでイメージが共有できていないのとユニットのなかでもストーリーがなされていないために、理解できないような状態です。これでは、他の人が聞いたときにてんでバラバラになります。
今はプロセスですから大目に見るとして、まず、細かいことをいう前に素朴に聞きたいのは、ユニットでまったく全体の曲を重ねてしまったのは偶然ですか。
「あえて他の曲と重なったから、わざと変えたりしませんでした。かえってまともに歌っているのとひねくれて歌っているのかコントラストになっていたらいいということで皆も賛成してくれましたのでそのままにしました。」
似たところが全部入ってしまうということで、後の構成を考えたときに、コントラストが出ないと厳しい。というのはさっきの3曲歌っている中でもわかれて歌っていますね。そこがくどくなりかねないかもしれません。
今後進めていくのに原則として、暗記できる量に絞り込むこと、全体で歌う場合は、見てもかまいませんが、ソロのときは暗記しておいてほしい。そう考えたときに、ある程度、役割分担が必要です。
全員で6、7割歌うということよりは、ひとりは1割か2割、確実にそこを守るということです。
最初の「バラはあこがれ」「ヨイトマケの唄」、これはひとりが歌う量が多いので2、3番までは伴わないでしょう。あなた方が感じ取れていないものをこちらが感じ取るというのは、難しい。
ある程度は暗記すべきで、ことばが問題なのではなくそのイメージがきちんとそなわっていて出せている、そのときにことばやメロディが乱れても、その場で瞬間的にことばを変えても、流れを止めないようにしてもらいたい。
「バラはあこがれ」は特に、もう少し気持ちを入れていかないと、もちません。「ヨイトマケの唄」に関してはこれから変わっていくのでしょうが、あまりにはっきり見えすぎています。
最初から分けるのなら分けること、最後の方で歌詞に合わせてソロのパートをつけていったのでしょうが、どこかで厚みが加わっていって終わる。最初から分けていかないと実際歌のなかでもっていない。今は、練習で何とかなる部分とならない部分の後者に関していっています。
次の「Time to say goodbye」は、リード、サブリード、共によくないです。とってしまった方がいい、そうでなければせいぜい1行、男性が入ったところでようやく、聞こえてくる。だからあなた方のところでもつのはこの辺という感じです。女性のソロに入って、またよくなくなります。フレーズを2人でやって、この2部の女性のところはもう少しきめていけば何とかなるかもしれない。合同になるとここで声の厚みが出てそれなりに場を支配できる。
結局、迷ったら切り捨てていかないと実際の舞台ではもちません。それが直るのかどうかです。その辺はもったいないといっていても強みを出せるものを出していかなければいけない。
ユニットは「バラのあこがれ」と「ヨイトマケの唄」のかね合いのところのものに関しては、さっきの曲のところとのコントラストが出なければどこに置いても厳しい。その3曲のイメージは、こっちが先にきてしまうとこのユニットをやったときにあまり違うようには聞こえなかった。これはグループのなかで考えることです。
それから「リリー・マルレーン」と「消えたほほえみ」ソロにきて「カルーソ」「帰り来ぬ青春」「Time to say goodbye」、次の「メケメケ」から「愛の讃歌」「枯葉」「カルーソ」「3001年のプレリュード」この辺も第一に音程がとれていないようなのはカットです。不快なだけです。音程を直せたところだけを入れていくことです。
それから当人がそこに入りきれていないもの、それも省いた方がいいです。とてもぶざまです。そういうものがあるために前後のいいものも腐ってしまう。
イメージの共有はこれから図らなければいけない。脚本をつくらせて、それに基づいて歌っているはずなのですが、その歌の流れのところが、私は歌を知っているからなるだけ忘れて聞いているのですが、あまりにぶつ切れすぎる。3つのオムニバスではなく18個くらいのオムニバスに聞こえてしまう。これは歌いこんでいくにつれ直っていくのでしょうが、たとえば曲のフレーズにしろ、そのフレーズごとに担当分けというのではなく、次のフレーズまで重ねておいて外していくという見せ方をしてほしい。
聞いている人はある程度、曲を知っていますが、それを知らないと仮定しても、そのところで違ってしまうのです。そこは同じメンバーが少し続けるとか同じ曲のなかで半分に割ってしまうとか、つなぎの部分をスムーズにしてください。一つひとつのユニットのところではっきりわかってしまいます。
これはまだ練習の練りこみがないからですが、どこかで重ねられたところがありましたね。
重なり方が印象に残りました。
何かの工夫をしてひとつのユニットでひとつのストーリーを表現するというのは、その3分間で通しておいてもらわないと困ります。3分が20秒ずつ交代で、歌と人が違うというなら、区切られてパーツが6つになってしまう、こちらとしては、理解しにくくなります。
うまくいっていないところで長々とっているところを判断して短くしなければいけないし、短い個所を何ヶ所か切れよく入れていった方がきいてくることもあります。
スローのテンポであっても意味があったり、よく伝わるという空間の支配ができるようであれば、そこはそこで生かしていけばよいと思います。
速く勢いだけで何も伝わらないようにやるよりは、緩急自在にやってもらう方がよい。
この3つとこの3つをどう組み合わせるか、あなた達の班は難しいと思います。
ひとつはテンポ、かなりゆっくりな曲がありましたが、ああいうものをうまく活かしていくべきでしょう。ことばや曲ではないところで構成をもう一回立てることです。曲が脚本選びのときに似てくるのも、同じ曲が何回も繰り返すのはよいのですが、ユニットが違うのだから違っていなければいけない。「カルーソ」がまた出てきたとなってしまうと厳しい。そういうときは、違うフレーズをとるとか工夫があってもいいと思います。
25分をひとつにするのは難しいから、3つのストーリーをたてたのです。5分10分15分とか何らかのメスは入れなければいけない。簡単なのは3分ずつソロを入れて、9分で3つをおくのです。ユニットの一番目のものはどこかに溶け込ませてしまった方がいいかもしれない。
これに関しては全体の曲と重なってしまっていますので、そこのかね合いをうまくやれば溶け込んでくるでしょう。それは今はこちらでは判断がつかないです。もう少しソロの部分をふやしてもいいと思うし、逆にソロで長すぎる部分はもう少し細かく切って、演劇と同じですが、4人でABCD、ABCDとやった方がいい場合もあります。
ひとりが4フレーズずつやる。その条件はかなり厳しい。4フレーズできちんと次の人に渡し、次でまた盛り上げそこでバっと入るとか、そういう空気ができるかはできるかもしれない。ただ自分で入れないと思ったら、それを返上し、大きくストーリーを変えるようにしていってください。課題から一回外れて、生きたところをうまくやっていくことです。
トレーナーb:細かいところでは「バラはあこがれ」で、はねるテンポやリズムが合ったらと思います。ユニットに関してはああいうからみ方は新鮮ではあったと思います。しかし、展開するというという期待感があったのですが、そのまま終わってしまった。配置によって生きるのかもしれない。期待を持てるので、あのまま合唱の「ヨイトマケの唄」や「バラはあこがれ」が始まったら、おもしろいかもしれないと思いました。
ところはイメージが似ています。オムニバス的なイメージがあります。曲はたくさんあるので、個人のフレーズが、人によっては多すぎるのではないかと思います。
曲が多い分、1フレーズに対する練りこみが薄まっている気がします。もっと曲を少なくしてひとつの曲を長くやってみるとかあると思います。
サビだけとっていくとテンションが上がるので、ひとつのやり方としてはありますが、本当の器量が問われます。「リリー・マルレーン」や「メケメケ」から出るのはおもしろい出方ですが、その後の並べ方や展開が脚本に束縛されています。逆にメロディやリズムで、変えた人がいましたが、その変え方は班のなかで徹底して許すのか、たたいてみないとただ違和感の元になってしまいかねません。その辺はまったく違う歌ということでできていってもいいのですが、ひとつのユニットが1曲に聞こえるのは無理でも、少なくともストーリーのなかにあるひとつの想いを伝えてください。
ストーリーの展開を全部追っていくのは、まだほど遠いようなので、流れとしてもたないのだつたら順番を変えてもいいでしょう。歌詞を変えるのではことばの世界に入ってしまうから、まず分量を変えてください。新鮮でなくなったらそこで変えていかなければよくないです。
短くなっても、また後ろで歌えばよいでしよう。作品として考えたときに、その人をどう使えばいいかで均等にするから、だらだら見えてしまいます。15秒たったから次はこの人が15秒やるな、というのでは、つまらないし、見えてしまうので、その辺を合唱やソロで外してください。
舞台になってくると動きでもう少し見せられますから楽になります。そこのイメージをユニットごとに出してもらえばいいと思います。
<C班>
あなた方の班は、使いようによってはすごいものができるのですが、課題に対しての人の使い方が間違っています。明日までの時間でできることできないことがあります。これ以上、練習すると声の状態は悪くなるでしょう。
作品をよくするために捨てなければいけないことがたくさんあって、やりたいこととやれることが違うことが、わかっていません。できないことでやりたいことを見せようとしています。
それをやりたいのならともかく、ここでそれをやるのはあまり意味がないと思います。それで奇跡がおきればよいのですが、起きそうであれば、こちらも何もいわないです。
歌や音楽になるところをとらなければいけないのに、あなた方のとりたいところは、サビとか声を大きく出せるところとか、高いところ、それは、あなた方が聞いたところのイメージのことで、やれることと違います。あなた方のいいところや音色に合っているとか、あなた方が表現したらもっと動かせるところとはまったく違うでしょう。
そこを選びたいのはわかるのですが、聞いている人にとっては、難しい。まだ限界に挑戦してみて乗り越えられる可能性があるのなら見ましょうといえるのですが、自滅するだけのやり方です。
脚本がそのことばをつなげていますから、次は音声のイメージに置き換えて、一回脚本のところはくずしてしまってかまわないです。そこの下にあるものをイメージで捉え直すことです。そうでないともちません。
3つの構成で分けてやるのはわかりましたし、そのなかのものでやるというのはよいのですが、ひとりの時間が重すぎるのと、ひとり4フレーズ、自分の力が出せないようなフレーズを選んだところでの失敗です。選んでいるものを4フレーズずつ歌ってしまうと、客は聞いていられないから早く終われということです。
1フレーズ入れるだけでもどれだけ大変か考えてください。その基準が壊れています。イメージも脚本も悪くないと思いますが、ぶつ切れにしか聞こえなくなっています。
最初の「ヨイトマケの唄」、ユニットから入るのはいいでしょう。ここでは、ことばも、聞こえてくるわけです。その人では長くもたないと思ったものは短くしたりバラバラにして、誰かを助けに入れて重ねないと全部よくなくしてしまう。時間的な制約があるというのとともに同じ曲のなかであれば違うところをとるやり方もあるし、違う曲を選び直すこともできます。
「枯葉」まできてようやく「ヨイトマケの唄」からやりたかったことがイメージとして流れている。ここは、まともだった方です。
2番目の「Time to say goodbye」から、ひとりの負担が重いです。4フレーズでギリギリなのに16フレーズ歌っている。それからところに対して、女性がうまく重なってくればいいのですが、まったくです。どうやればいいのかを一から考えなければいけないのではないでしょうか。
3番目の「カルーソ」から「帰り来ぬ青春」「枯葉」にいくところの、音程が不確かなものは、直してください。乱れています。それぞれができないところでやりたいことだけを大幅にやって、その世界に入っていません。それはあなたたちの力、持ち味、よさが何もないところでやっているからです。
どこかの部分のどこかの箇所をきちんとやればもつのに、もったいないことです。それをやるための材料出しだったりユニットの編成だったのに、また違うことで動き出しています。
音楽として取り出せるところを中心に見ていかないと、どんなに動かしたりしても変わっていかない。それならたったひとつのフレーズをことばでいっていた方が、よいわけです。ひとつのユニットがひとつの流れのなかで組み立てなければいけない。そういうかたちで曲を選び直した方がおもしろいでしょう。そういうフレーズが15曲のなかにも入っています。
全員で歌ったらそれなりにパワーアップしますし、3人が重なるだけでも違ってきます。ひとりの部分は目立ちます。16フレーズもたないわけではありませんが、選んでいるところや選んでいるところの役割からいうと1、2フレーズもっていない。それを重ねていって効果を狙っても、逆にひとりで終わった方がいいとか削ったら、なくなってきてしまうのですが、その辺をユニッ卜の厚みや選び方でカバーしていかないと場がもたないです。
たとえば3人でABC、ABCとやるのであればそれは誰でももつようになる。ところがひとりが16フレーズとなるとよほど得意な部分や変わった部分を当ててやらないとよくないです。この時点まででどんどん切り捨てていかなければいけない。やりたいと思っても班に迷惑かけていること、全体の作品がよくなくなってしまうことは引っ込めないとよくないです。それは明らかだと思います。
直る部分と直らない部分があって、それはどんどんと切りながらやってください。脚本のなかにとらわれることはない。イメージでとらわれていけばいい。
そこを伝えないと、何にもなりません。皆さんの持ち味や出さなければいけなかったものが極端に引っ込んでいます。選んだフレーズは、かなりキャリアや技術が必要です。だからキャリアのある人にまかせて後はバックにまわる。まだ平等に代わる代わる歌っているという感じで、その結果バラバラになっています。
これだけの人数が同じ時間を歌ったということで終わってしまっています。そのため、まとまりが出てこないです。ひとつの作品にしたいのですから、その根本のイメージが流れていればいい。
劇もそうでしょう。一瞬、子供が舞台を走っただけで感じが変わってしまうこともあるし、それが印象に残ることがあります。それでも、その子供はなくてはならない役割を果たしているのです。それを皆さんは音で表現しなければいけません。そういう観点で整理していかないと、とんでもないことになります。
脚本の決めた部分のことから変えていってかまいません。それからぶつ切れになっているところがあまりにも多いので、夕飯をとって落ち着いたころにもう一度リハをやって、方向性を固めておきましょう。お疲れさまでした。
トレーナーb:なまじ声があるから、盛り上がりがない。ふくらみや立体感がない。ハーモニーもいいのですが、そこに耳がついてしまう。女性陣はそれで満足しているのかという、きれいにハーモニーがとれれば成り立っているのかなというように勘違いしているような気がします。皆は、体も息もついているのに、そういうものをおざなりにしていると思います。段取りに関してはスムーズで、逆に流れがよすぎて変化がない。もしかしたら、2、3ヶ所ピアノを入れたらふんいきが変わるかもしれません。
○リハーサル
<B班>
昨日、0.1秒の感覚で注意したことが、また今日は2秒感覚です。あなた方は一所懸命やっているし舞台の経験も踏んでいますが、昨日はある種、完成がみえ、後はつめておけばいい、うまいと思ったし、聞かせどころも何ヶ所か触ってきたのに、はっきりいうと全部よくなくなっています。
出だしを変えたのも、出たところはいいのですが、結局入れていないですね。まわりも入れていないのでもうその時点でよくないです。何人かは入っていましたが、どこから入れるのかと思いました。
「ヨイトマケの唄」が昨日は高い完成度があったからそれを基準に見て注意したのですが、今回、そういう動きが多いのですが、バランスを考えすぎてひいてしまっています。昨日のコメントの音楽的なことや呼吸のことを取りすぎたせいかもしれませんが、「バラはあこがれ」でいうと後ろの声から入ってから、ようやくこちらに伝わってくる。そこまでは出だしが悪いわけではないのですが、何も始まっていない。
「ヨイトマケの唄」は始めやすいから、のれます。どちらを取るのかは、私も判断がつきませんが、そこの甘さが最後までひいてきているから、「メケメケ」「愛の讃歌」も、もたない。
A班を見ていると全員がひいてしまっているのがわかるでしょう。1曲を3人で分けているという感じです。せっかくいろいろと使っていながら3倍の効果が出ていない。A班の「バラはあこがれ」を見ているともっと前に出ればいいのに、立体的に動きをとればいいのに、死んでいますね。
それと同じようなことが昨日に比べたら起きた気がします。持っているような部分での毒が全体のバランス配分のところにいってしまっている。考えようによっては後半から少し出てきたから、出だしから出してしまうと強すぎるからそれはそれでいいとは思います。
「3001年のプレリュード」の「リナセロ」のあたりは昨日と比べて聞こえてきたけれど「ラ・ボエーム」「リリー・マルレーン」「帰り来ぬ青春」「枯葉」のところでいうと「リリー・マルレーン」の後半が甘いと思います。「ラ・ボエーム」も後半がもってない。昨日もたなかったところは抜かしたので、そのよし悪しはわかりませんが、「帰り来ぬ青春」でもっていった後に「枯葉」できちんとつなげていない。結局、並列な羅列になっているのです。だから「リリー・マルレーン」にせっかく戻ってきても、もう最初のイメージは、とんでしまっている。こちらでは始まったものに戻ってきたというのは、よほど深読みしないとわからない。そういうことでいうとまだひとつになっていない。
昨日の問題点は悪いところが拡大させてしまっている。もっと「リリー・マルレーン」のところでもどこかは間をあけたりテンポを変えたり、入り方を変えたりすることで立体的にする。直列と並列しかないようです。男性の方が昨日のフレーズは直っているのですが、その完成度に対して男性の方が低いから、本来は女性を先に出すのですが、でも男性を先に出すことで引き締まっていることもある。その辺は難しい。
女性の方も違うやり方で効果を狙っていけるのですが。
つなぐところはひとつのポイントです。最初のひとつになっていない感じがします。
動きが自由になってくると、イメージのなかで変化がつかないと昨日の完成度が高かっただけに今日のは問題がありすぎます。
どんな構成をとってもあなた方の場合は最初から後のところまできちんと通すことを意識として流せれば勝ちでしょう。あまり手を加えてしまうとわけがわからなくなるでしょう。聞かせどころ、ポイントが昨日は見えていたから、こちらが10受けとめるとしたら15にしたくていろいろいっていたのですが、それが浮き上がってこない。構成を元に戻せというのではありませんし、今日のものでも直せると思います。まだとまどいがあるようです。
「バラのあこがれ」から入るのは難しいかもしれませんが「ヨイトマケの唄」から入ると、その基準でこちらは見てしまう。何かの切り換えが必要です。後は舞台の組み立てになります。
うまくいけばソロを入れることによって何かなるかもしれないです。戻って再検討してください。
<C班>
結局、やりたいこととやれることがまったくわかっていない。そのままきている。できないことでやりたいことをがんばるのならそれでいいのですが、もったいないです。「ヨイトマケの唄」の最初に4人いて、同じように出てくるのもいいのですが、後のずっと同じように見えてしまうから本当は4人目くらいが違うことをやってまとめるようなことを最低限にすべきです。
2番目の「枯葉」から、これは子供4人がやっていることです。やるべきことではないです。ここで女性4人でやっていることで、たとえばソロやコーラスができないのか、「Time to say goodbye」のソロであれだけ一人ひとりが聞かせることができるのだし、最後のコーラスでも女性はそれなりに盛り上げる力があるのに、そういう能力がまったく使われていない。
3番目の「メケメケ」も3人がひとつになっていないし「3001年のプレリュード」もバラバラです。2回目のリハのときにモノトーンだからといったことが、モザイクにはなっています。
でも何でまだ、できないことをやるのか、そこの部分は客には通用しません。「枯葉」のところは半分くらいもっているから、ひとりくらいもたせているからそれでよしとします。ひとつのユニットでひとつよければいいという形にして、次の「愛の讃歌」も、その人が勝負できるところで使わない。
「バラのあこがれ」でもピアノを使う方法もあるでしょう。やりたいこととやれることがわからないままできてしまっています。この「バラのあこがれ」や「Time to say goodbye」ならピアノをつけなければ絶対によくないでしょう。そのことがどこで歯車が食い違っているのか。今日のなかでもそれぞれが一ヶ所出せている部分はきちんとあるのです。ところがそれを「Time to say goodbye」でも、あれだけソロで歌えるのに合わせた途端に幼児になってしまう。その甘い感覚は何なのかということです。
練習不足はあると思いますが、自分のなかや班のなかでやっていいことと悪いことがわからないのではないかと思います。
能力と作品との接点をきちんとつけていっていない。どうやって補い、悪いところを隠すかということです。いいところはたくさんあるし、個人で勝負できるところはあるのに、そうでないことをやりたがるのかがわからない。それは客を想定していない。歌えない歌ばかり歌ったり歌えないところをやっている。それはあなた方の気持ちです。
今回は、その問題をずっと抱えています。今できるところはそれを切っていくしかない。それは班で交互に見たらわかるでしょう。それを許してしまうのは、妥協です。一所懸命やっているのはわかりますが、方向違いのことで作品にするのは無理です。
出し方によって何とかならないかという気がします。このなかでひとり1フレーズくらいのところはきちんと味が出ているし、もっていけているのに、合わせたりソ口になったりするとよくなくなってしまう。そのことが起きてしまうのなら、とにかくトレーナーと相談してみてまとめないと分裂したままになりますよ。
今の直し方としてはこの3分の1にするしかない。できることがたくさんあるのでできないところをやるとこうなるという、それはお互いわかっていると思います。
最初に3日間でできることとできないことがあって、できそうなことに関しては0Kを出すけれど、できなさそうなことは変えるしかない。だから脚本をつぶしてもいいし、できるところをもってきなさいといったはずです。それがすべてできるのなら誰も苦労しない。できないのはかまいませんが、やりようがあるのにやらないのはもったいない。
それは他の班を見てもわかると思います。あなた方より音はとれない、合わせてみたらぐちゃぐちゃになるのに作品としては成り立つ。だから、こうして体験する意味があるのです。その整理作業を残りの時間でやって補うなりしてください。ただあまり変えてしまうと、今のでさえ入っていないのだから、それは手伝いを得て生きるところだけをつなげていくようにしなおしてください。
<A班>
最初「学園天国」から入る、これはよいけれど作品としたときにそれに呼応するものがない。一瞬ブラックホールができて、何でも生み出せるから清水君が入っていくのはよい。しかし、声をワーッと出して喉を痛め、それではしかたないという気もします。それは皆さんの判断に委ねるしかない。
後半の「Time to say goodbye」「ある日恋の終わりが」から「枯葉」にきて、そこの部分の気持ちが高くなるところの焦点がぼけています。自分の声域などでまとめたりひびかせたりできないところでも、ある種気持ちがひとつの高いテンションを持てば、もう少し集約できるはずです。合わせるとどうしてもひっこんでしまうのに、ひとりでやるときは入りますね。その辺がハーモニーがくずれてしまっても、だらっとしてしまうと逆に目立ちます。
思い切り出してもかまわないし、誰か届く人がしっかり出していたら、もつのが合唱のいいところです。高くなっているけれど雑になっているだけになっていると歌も消えてしまう。感情表現することと感情をきちんと取り出すことは違うのです。自分のなかで閉じてしまわないことです。
自分で入れていても上を向いてしまうのと同じで、歌のなかでも前に出ていなければひとりよがりの世界になってしまいます。芝居くさくなってしまうだけです。
「3001年のプレリュード」は少しもったところだと思います。「ヨイトマケの唄」は昨日の方がスムーズだった気がしますが、それでもひとつのソロから入っていくとこ至はいいでしょう。
「二人は永遠」ということばから「ラ・ボエーム」に入るところがあって、「愛の讃歌」になってくると、心のなかが同じ色のままの感じがします。音色がどうこうとかではなく、それがきちんと進んでいない。
「バラはあこがれ」でも気持ちが出ていかなければいけないのです。それは難しいかもしれませんが、あれは並行感覚で後ろでとっているだけ、まるで猿がシンバルを叩いているだけです。あそこのなかから出てこなければいけない。動きが伴ってくるはずです。それでないと、舞台はもたない。
急に横から飛び出してきたりする。それはイメージの問題ですが、実際の舞台ではそういうことになるのです。今から動きや振りをつけたりするとまた崩れてしまいますから、これでいいのでしょうが、のぺーっとして見えてしまうというのは避けたい。
しぜんさが欲しい。操り人形やおもちゃのたとえが出るというのは不しぜんだからです。それは歌が気持ちに勝っていなくて歌のなかに入っていけていない状況です。動きの問題もありますが、気持ちの問題だと思うのです。
最初の「Time to say goodbye」も気持ちは、うわべです。本当にそれをやるなら歌詞や曲の読みこみをしっかりやっていかなければいけないでしょう。B班のなかでもそういうところが、悪い面で出ています。ああやって見ていると不思議でしょう。
女性たちはまったく歌えない、退屈だと思っていても、どこかの箇所にくるとこの人はこんなに歌えるのかというところがある。ということは本人がそのことをわかっていないのです。だから選曲ミスやキイのミスをしてしまう。それをわかっていないのはともかく、班で共同でやっている中で許してしまったのだと思う。
あなたはここがやりたいのか、いいよというようなやり方をしたから、あんなふうになってしまい、一番損するのは本人です。それでよかったらわざわざこんなところに来る必要はない。だめということをいわれに来るのではなく、目先を変えたり心の入れ方を変えることでまったく違うものになってくるのです。
あなた方が昨日2時間でできてしまったようにです。
それだけ一人ひとりが大きな力で働かなければ、皆でやる必要はない。班別のトレーニングに関してはそういうことがあるということが感じられ、見ていくことが大切です。みんなすべてできるわけではない。誰でも、できることはものすごく少ないものです。その少ないことが徹底してできることであって、後の多いことができないのだからその多いことはやらないわけです。
自分が絶対出ないような声量を上げたりしないのは、あたりまえのことです。自分ではやりたいときにやっても、人前に出たときにはそれをやらない。それは自分で気持ちよくないからです。
できることをより煮詰めていかなければいけない。でもあなた方の場合は、他の人を見ることによってしか、自分がわからないので、学ぶことです。
「バラのあこがれ」のところもひとり出るとか5人出るとか、これから練習をしている間で、出たくなったと思ったら自由に出てかまわない。それでバンと出てみてバランスが崩れたら、出ない方がいいといって戻していくのが練習です。その動きを殺していたら客も殺してしまうわけです。班のバランスもありますし、ひとり動ける人がいると、ものすごく楽なのです。
今回うまくいっていないのは、昔はバンと出れた人が遠慮して自分の力を配分している。それをやると力のない人も配分することになってしまいます。本来、心のままに動きや表情が伴うものです。それを一回フィードバックして通用しないようであれば消していけばいいし、もっともっと自由なものです。
だから不しぜんだとか不自由だとか見られてしまうのは、声や技術のことよりもその動き自体が中に弾んでいないのだからです。それを弾ませていかないといけない。後は出だしの部分のテンションです。ピアノなどもピアニストさんにまかせるのではなくて、間違うのはかまいません。間違うとその人が目立つのは、ほかの人達がそれ以上のことをやっていないからです。やれていたら、そのことは印象に残らない。その逆なので、間違った人が目立つのです。ということは間違った人が一番表現したことになるのです。
そうしたら他の人は自分を隠すことや後ろを向くことをやっていただけということになってしまう。ひとりが間違えて目立つような舞台をつくっている方が悪いのです。間違うことはまったく問題ではない。だから思いきってやってかまわない。遠慮してしまうとひいてしまいます。気持ちの入れ方で違ってきます。
ひとりで舞台を背負っていた部分もありました。全員で歌っていても自分はその気にはなっていないといけない。私がメインでまわりがバックコーラスのつもりでやるのです。皆で歌っていますという形にすると、こちらから見ると誰が歌っているのかわからないから、何も聞こえなくなってしまうのです。
スタンスや気分が変わるだけでずいぶん違ってくるので思いきってやってください。
ああいう表現のなかで何か感じられるとか、表現をていねいに扱っているとか、気持ちがのっているということが勉強できたのであれば、自分の既にあるものを与えられた歌詞に込められるはずです。もっと高めていってください