“歌う”ということ
合宿が終わった。
そこで感じたことは、ここのところ、歌以前の問題ばかり―。
イメージ、体、息、声の一体感、呼吸、リズム、音感―
そのまえに、人間、魂、生命、しぜん、宇宙、創造主。
声ができたら、歌が歌えるわけではない。
声が歌わなくてはならない。
息が歌わなくてはならない。
体が歌わなくてはならない。
心が歌わなくてはならない。
ポピュラーが歌いたいなら、ポピュラー、
つまり、多くの人と同じく“生活”し、
そこから真実をくみあげることだ。
その生活から逃げて、
純粋に歌の世界を築こうったって誰が耳を傾けようか。
会社や仕事や家庭など現実が嘘だという人は、歌も嘘だ。
声や技術をいくら極めたって、永遠に歌は現れない。
歌自体には真理などない。
その人の生き方に真実があるかどうかだけだ。
誰もが聞いて、心打たれるのは、歌の世界でなく、
歌った人の生きている世界だ。
それを支えるための技術と声にすぎない。
初心回帰。
お寺の鐘の音を
犬の遠吠えを
心で聞くところから始めて欲しい。
自省を込めて。