一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン課題曲 「私の神様(モンデュー)」「心遥かに」  463

レッスン課題曲  「私の神様(モンデュー)」「心遥かに」

 

声で歌うといっても、音の線をみせるわけです。これが音楽です。トランペットでも線をきちんとみせて、その音色をコントロールしていくでしょう。のどを使って、ビリビリとさせたりかすれてしまうと、線からほみ出していってしまうのです。これはコントロールされていないから、うまく聞こえないのです。

 

ここで要求したいことは、ひびきとして上の方に移行したことを踏まえて歌をつくるよりは、むしろ息で「あなたのあいが」というままのところで声にすることです。

そのポジションをきちんとキープしてそのままもっていくということです。

ミルバやビアフのおしかたというのは、上の方のひびきが輝いているようですが、これは息でもっているのです。

 

「わたしのいきがいなの みもこころも あなたに」

これも浮かさないようにして、ことばでもよいし、ラでもよいですから、自分の中で何回も何回もやってみて、このフレーズ自体きちんと線でもっていってください。

日本語というのは、どちらかというと浮かしてもってくるわけです。歌い方は、どちらでもよいのですけれど、体をつくるためには、入れた方がよいわけです。

「み」も表面でひびきやすく、はずれやすいです。

 

「あおいあー あおいあー」

「あおい」を一つにとりましょう。「あおいあ」の中でフレーズを動かしていくのです。ことばと線と両方とれたら、その線を使って大きくなげかけたりひいたりします。

 

今は完全に体から息を出し、声として使っていくことをやってみましょう。息は出したら入ってくるわけです。今は出しきることを意図した方がよいと思います。

息がないのでもっていけないのです。声がもう一つ深くおりてこないためです。

 

バリトンやバスのポジショ二ングやフレージングを聞くとわかりやすいでしょう。声楽よりも、ポピュラーの方が複雑ですので、あまり声から単純にしてしまうのはよくないのですが、はっきりいえることは、多くの人は出だしよりも2音目、3音目とどんどん浅くなっていくのです。

 

体力がなく息が吐けないとカバーができなくなって、どんどん安易な方向にいってしまいます。息があがってきてしまうのです。それをきちんと戻してやることです。そこにことばが入ろうが長くしょうが、はずれたと思ったら、そこに息を送りこんで元に戾せばよいのです。

 

まず口を開いて浅い息で逃がさないことと、声をポジションでもっておくことを徹底しましょう。開いたままに歌うアプローチですが、体力、つまり支えがもっといります。

だから、日本人は浅く開いた上で口先で加工してしまうのです。音域をとろうとか、音量を出そうとすると、効率的に出すことにならざるをえないからです。

 

ポピュラーは声をまとめた方が有利です。歌の大半は、そういうものです。マイクにさえ入ればよいのですから、お客さんに閔こえなくてもマイクに入っていればよいです。だからトレーニングにならないのです。

 

ですから息の力とか体の力でもっていき、そのときに声を支える点を確認しておくべきでしょう。広げておいて確認して、次に進みます。

何回も何回もやってフレーズができたときには、黙っても次のフレーズにいくはずです。

そういう形で半音ぐらいの課題、あるいは下から上に、ことばから歌にのぼっていくような課題をやることです。その上でメリハリをつけていくことを覚え、構成を考えていくのです。本当は、考えずとも展開する流れにのるのがベストです。

 

 

 

求めていることは、単純です。声楽家も同じようにきちんとポジションをとり、それを展開しています。この展開カは、まず強さです。一本の線上にきちんとつくっておけばよい。

当然バランスというのがあります。

しかし、ひびかし方などは、ひびいてくるまでやらないことです。

 

ポピュラーの場合は正解がありませんから、いろんな線がでたり、どの線に乗り換えたらよいかわからなくなりがちです。だからこそ、しっかりした一本の線をもっていって、それを体だけで出したりひいたりしていけると定まってくるのです。

 

今はことばとか口先とかいったところで左右されないで、体のコントロールだけでメリハリをつけていくというつもりで、のどを開いてください。

のどを開いていくというのが一番大切です。のどを開かないと、体が強くなると、のどが危ないのです。

 

高くなるとのどがしまってくるので、そういうときは2、3音下げてのどを開いて正しいポジショ二ングできちんと通していくことです。

こういうことを何回も何回も行いながら身につけていきます。

 

日本人の胸というのは最初から開かれているわけではないから、自分で掘っていくようなことを意図していきます。そのうち、その方がいいと体がわかるようになると変わっていくものです。

 

その間は、声がこもっていったり、フラットした音が出るときもあります。

最も表現のできる可能性のある声に絞り込み、コントロールすることです。

あるとき、ぱっとできるようなものです。

 

ひびきの方からもっていく方法は、正攻法ですが、息が深くならず声帯に負担のかかる方向にいきますから、日本人の場合、違う方向で覚える人が多いのです。

体からつけていけば正しいこと、いや、まんなかがどういうものなのか、わかってくるでしょう。

 

 

 

ことばで低いところでの「あなたのあいが」が中間音にくるとヴォリュー厶か保たなくなるでしょう。そこの点から音質が変わってしまいます。

判断は、ことばがはっきりいえているかどうかではなく、息がみえているか、きちんと一本の線で方向性がみえて声が音楽になっていくかどうかです。

声を支える体を楽器だと思ってください。小細工のような技術はいらないです。

 

「あなたのあいが わたしのいきがいなの みもこころも あなたに ゆだねたいの こうして」

これを20個ぐらい続けたら1曲の歌になります。当然、音域も広くなり、もっといろんな要素が入ってきます。それをすべて、基本の上にのせていくのが大変なのです。

 

最初から2オクターブくらいの曲を使えばよいのですが、声がバラバラになっても仕方がないので、半オクターブぐらいのところを基本にしておいて後は応用できるようにしていきます。半オクターブのなかでメリハリをつけることも大切なことです。

 

ポイントは1オクターブのなかで声をそろえるということと、それから同じ音であってもそこにメリハリをつけるということです。

これは一見、矛盾するようですけれど、体のカがつけばできます。

もっともっと体で捉えてください。

 

歌の場合は、最初に体を使わないと、使えません。使って、後でひいていくだけです。

つまり、体の力で歌うのではないのです。

 

 

 

 

 

 

「私の神様(モンデュー)」2

 

「あいが」、「が」は鼻濁音にすべきですが、最近はあんまり気にしないようです。日本語を美しく歌っていきたい人は鼻濁音にしてください。できない人は「あいんが」と「ん」を入れるとよいでしょう。

 

「あなたのあいが」これが「ドド♯レ」と階名に聞こえないようにしてください。上がっていくよりもフレーズの中に同じ声質で処理していくことです。

 

縦の線を先に出すことです。縦の線というのは「あなた」といったときに横に間伸びしない。ことばの表現のようにどう出すかです。

 

「モンデュー」

これを呼びかけとしてみればよいのです。3回繰り返します。

距離を変えてもよいし、自分の中で3つにわければよいのですが、声質は変えません。

 

「あなたのあいが」

この一つのフレーズをつかんだ上で音に合わせて展開することです。ことばが入っているものをメロディに展開するには、音感を頼りにことばのフレーズで表現するのです。

線を出してそこにことばをおいていく歌い方です。

「あなたのあいが」で、多くの人は、そこに何も出てこないのです。感覚としてとらないといけないです。音をどう捉えるかということです。その感覚は、とても微妙で人によって違ってきます。

 

 

「わたしのいきがいなの」

構成からいうと「なの」で開かないで、しっかりと入れておくことです。もう一つのポイン卜は「かい」の方です。ここに体を使ったら「なの」は歌わなくても、その線上に入ってきます。

「いき」は難しいです。

 

ピアフの歌い方では、きちんと取り入れています。デュモンのは、その上でことばを切っています。次にサビにいきますから、そのまえで必要なところです。

 

役者の表現でも同じですが、最初は大げさに3倍も5倍もの表現をやってみてください。その歌い方が正しいのか正しくないのかよりも、全身を一つにして捉える感覚をもつことです。

日本人では、最後まで歌い切らず、おとしたり、まとめてしまうところです。そこは感覚の違いです。日本のお客さんが相手だったら、どうしても声を浮かしがちになります。

 

「あなたのあいが」

基本的に今の時点ではフレーズの練習になりにくいと思いますから、歌がことばで伝えられている方がよいのです。歌の中での正解ではなく、声の正解を捉えてください。

口先だけだと説得力が出なくなってしまいます。

少し高いところでバランスを整える方に頭がいくと次のところにいけなくなります。整えるのでなく整ってくるまで待つことです。

「なのー」というのが、おとしているのは、ここが一番高いからです。

 

考え方としては、高いところに体が使えるように練習しておいて、とにかく体をもってから表現を使いわけるのです。高いところにフォルテがくるとは限らないわけで、全体の構成にもよります。

しかし、一時的に、高いところイコール強いところとして、体を使うと考えてもらった方が練習になるということです。

 

要はこの音で勝負できなければ、この歌自体で勝負できないのです。歌自体はそれよりスケールか小さくまとめてよいですけれど、イメージとしてはできるだけ大きく出しています。

プロの体は、この線上にどんどん強くつくるわけです。そのまま出していけるのです。

 

線を出すには、息を声に入れることです。少々低くても体を入れてやらないと活きません。一つのつくり方として、通して捉えてもらえばよいと思います。

 

目的として、1オクターブとることは、この線上に1オクターブとって欲しいのです。違う声で安易に高いオクターブをつくらない方がよいのです。クラシックの歌い手にも共通しています。

ひびきとシャウトとのバランスが違うだけです。ポピュラーの場合は、結果としてひびかなくても構わないのです。低音域では声楽もこのヴォイストレーニングも同じ判断です。

 

 

 

「みもこころも あなたに」

半音しかないですから、下げればそんなに難しくないのですが、ことばが難しいです。結局、表現できればよいわけですが、表現しても息と体が伴っていないと、本当は伝わらないのです。

 

音声イメージに合ったひびきを、自分でつくっていくのは構わないでしょう。何も杓子定規にやるのが音楽ではないです。ただ、体からの息がひびきにミックスされていることが必要だということを忘れないでください。

 

表現として楽譜を考えないでことばを読み込むということと、その音声イメージをつくるということです。表面では、メロディとことばとリズムをすベてとることはできないので、深いところで一つに捉えて、それを出すところまでねばらなくてはなりません。

 

読み込みを何回もやっていたら、同じことで、そういう体になってきます。耳ができていたら、発することばが歌になります。つまり、この2つが前提です。

 

捉え方は体に入っていて、1回ひとつに捉えて、その上でもう一度「みもこころもあなたに」と日本語に置き換えていくと間違いはないです。そのときにどう置き換えるかというのは一流のものを聞いて、自分で消化するしかないわけです。 

 

音楽的な最終的な要素ということでいうと、「ララ ララララ ララララ」(ミミ ミファミミ ミファミミ)この部分の位置づけが決まればよいわけです。別に、声、音程、リズムがあって次に展開するときに、どこが勝負どころかを見極めていきます。

 

息とことばが伴っていなければ、単に息でいっていた方がよいかもしれません。息を使っていくことを覚えてください。たとえば、今は息が吐けない人でも、100メートルぐらい走ってきて話せば、深い息は通うわけです。音程やリズ厶がぶれても、息が通っていれば、もちます。

 

今、歌っても小さな世界の中にしかすぎないから、自分の体を鍛えておいてその中でコントロールしていくようにしていくのです。そうでないと小さな器のなかだけしか勝負できないですから。

 

フレーズの展開もいろいち麥えていかないといけません。しかし、まず「みも」と一つきちんと捉えてつなげていくことをインターナショナルな感覚として覚えて欲しいのです。

 

歌の技術としては演歌や日本の歌謡曲あたりは、ことばを表面上のひびきでかえることを技術としている場合が多いのです。鼻にかけてやわらかくすることの方が、日本人にはよく聞こえるわけです。それにエコーが加わって、マイクの音量をあげると気持ちよく聞こえるわけです。

 

だからこそ、それとは別に、ここで強い表現でのフレーズをつくるベースの部分のトレーニングにパワフルに取り組むのです。のどをしめてしぼっていくと、声が出なくなり、体が使えなくなってきます。体を開いていく、のどを開く上で上達していくのです。

 

のどを開くのは、体力をストレートに使えるようにするためです。

強く「ささげたいの」のと言うときに声がついてくるようなポジションをキープしておくことです。

 

複雑にしてしまうと、どんどんそれてきます。

これがそのまま歌の正解と一致しないときもありますが、体と一体になった心、つまり感情を声で表わし、つなげ、その上で音楽的に完成させていくべきだと思います。どちらがよいかは判断しませんけれど。

 

 

 

 

 

 

 

「つめたいことば きいても」

 

「つめたいことば」で、まず、「つめたい」をそろえることです。次に「ことば」をそろえます。そろえるときの一つの方法として、どこかの音に強アクセントをおくのもよいでしょう。

役者の基本トレーニングみたいなもので、なるだけ強弱をつけだ方が、先に進む動きがみえてきます。横の流れを縦の動きで楔を打ち、その反動で自分の流れにするのです。☆

 

全部を強くしても聞いている人には伝わらないです。こういうことから、自分のフレーズをつくっていくことです。これが一つのフレーズの中のことばの問題です。

 

それから音の高さのまえに「つめたい」「ことば」「きいても」と、フレーズで3つの構成をつくることです。

聞かせるコツというのは、ありますが、第一にフレーズの構成を考えていくことです。この中で一本の線をきちんと通すことです。この一本の線というのは、正しいポジショニングの上でひびきと胸のバランスをとることです。

これを確実にとり、線からそれないことです。一本、通すとともに、メリハリでヴォリュームをつけていきます。「つめたいことば」というものを表現するに足る大きさをつかんで、この中でいうことです。

 

出だしからいうと、1拍目から出ているので、メロディでとるよりは、ことばでとった方がわかりやすいでしょう。ことばでとって、そのことばがそれないように体を使っていくと考えてください。

 

ある程度できている人には、「つめたい」「ことば」で、力を等分に分けると単純な2分割です。それに対して少し下げるだけでもだいぶ違ってきます。これは下げて弱めるのではなく、「つめたい」の方をより強綢させていくと大きく聞こえるようになります。相対感覚です。

 

歌ははったりで、どのようにまくってみせるかです。これが楽譜の正しさから、距雌としてどんどん離れていくことを練習して欲しいです。「つめたい」といって声がかすれたり、のどにきたりしたら、そこでストップして戻ることです。

 

離れるときの条件として、その先から戻ってこれないといけないです。「つめたい」といったまま、コントロール不能で戻れなければ聞けません。戻れるところまで離れられるのです。☆

そのために体を使ってください。

 

 

「つめたいことば きいても」は、ことばとして開かない方がよいです。ひびきは使っていくのですが、今はあまり考えなくてよいです。しぜんに声に流れがついてくるのをよい状態をキープして待つのもトレーニングのうちです。

 

胸のポジションはきちんと「つめたい」といえるところでもっておいて、そこから動けば、しぜんとビブラートになることが要求されます。ビブラートはつけようとがんばると使えなくなります。

 

それから「つ」の位置が浅いです。「つめ」できちんといえないと「たい」で広がってしまいます。そこで入れ込まないとだめです。「たい」の方でまくるのです。ここで強調して、きちんともってきても、語尾が乱れたらだめなわけです。

 

そのためにもヴォリュームやメリハリをつけるところをはっきりさせることです。そうでないと、だらしない歌になってしまいます。一つひとつの音をきちんとしめなくとも、しめている中で、はみだせるところははみだしていけるのがカです。それは体のところです。

 

ことばの解釈でいうと「つめたい」の「たい」は大きく出せないのですが、イメージの解釈では、そこでいれておかないと次にいけないし、おとせないです。どこで大きくだして、どこでおとしていくかというのを考えて、思いっきり表現しようとしてみてください。よくよく、読みこんでみればよいです。

 

「た」の方にもう少しヴォリューム感が欲しいし、きちんと保たないといけないのです。どこで切れてもどこで伸ばしてもそれは作品とならないといけないわけです。そしたら、しっかり「たい」といえるかいえないかの話になってきます。

 

 

「かなしいおもいをしても」

「かなしい」というのはあがってきますから難しいです。当然、お手本でははずしていないです。音程もポジションもキープしています。

「な」というのは、.離れやすいことばです。これで6度ありますから、できないのはあたりまえで、「か」と「な」をそろえるという基本からやらないといけないのです。「か」に比べると「な」は入りやすいので、ここでは音の高さの問題です。

 

「ほんのすこしだけ ゆめだけはさめないで」

とりあえず幹を一本通すことです。そこにヴォリュームをつけてまとめるとともに、音程はあまり気にしないで、ことばからそのまま入ってみてください。

 

体でフレーズをつくっていかないと歌としてもたなくなります。ことばの中で流れがみえればよいです。きちんと芯をつかまえている部分を、単純にいうと4力所、4つはしめないといけないです。この4つは同じにしめてしまうと歌としてはつまらないのですが、今のところは同じでよいです。

 

そこから次のラインに音程をとるのに、流れをきちんと整え、「ほんのすこしの」といってみて流れをもっていってぐださい。体をつけた上で、音程がみえてはだめです。

 

「あなたにこいをして」

メジャーなコードで入りますから、明るく微笑みながら柔らかくといいたいところですが、そうやったらトレーニングにならないので、それは歌にしたときにやってみてください。ここでやるときにはきちんとポジションをいれることです。

 

「わたしのむねにだけ」

今やって欲しいことは、ことばはことばで大切なのだけれども、「わたしの」の「し」で歌になると上を使った方がよいから使うのですが、下のポジションをきちんと確認して使うことです。フレーズのベースになるところをつける習慣をつけましょう。ことばでいっても同じです。

 

「いきつづけるの」

これもことばとしては難しいものです。イメージを固めて体の使い方としては開いていって欲しいです。これは何も「いきよう、いきよう」としているわけではないのです。ことばで「いきつづけるの」といったら、それでひくのではなく「いきつづけるの」と2倍にいってみて、それからそのままメロディを処理することです。

 

ことばより強く出さないとメロディは処理できないという感覚で覚えていってください。難しいのはポジションをとったままフレーズにしていくことです。フレーズは保っても浮いてしまったらだめなのです。ことばでいえるところにフレーズをもってくるのです。

 

「いきつづける」をことばでいうことができたら、離してはいけないのです。離してしまったところでいくら歌ってみても歌にはならないです。本当の意味で伝わらないです。息がミックスできていないと、歌にならないのです。

 

声がとれなくても深いポジションをもって体でフレーズにもっていく技術を覚えていかないとだめです。それからきちんとことばを捉えることです。どういう歌い方でも構わないですけれど浮かさないことです。必ずもっていて動かしていく、そこに体を使う意味があります。

完成度には、自分のぎりぎりのところでコントロールをしないと、詰めが甘くなります。余裕があってもだめなのです。

 

「わたしのむねにだけ いきつづけるの」

歌は体を連続して使ったときの呼吸の上で動いているわけです。そういう感覚がないと、そもそも声は必要ないわけです。そのイメージを自分でもつことです。軽くいってそれで伝わると思ったら声も伸びないです。

 

「いきつづけるの」というときに、そういう伝え方で本当によいのかということを自問してください。トレーニングにおいては一緒です。

 

このヴォーカリス卜の何がどこを動かしているか、深くよまむのです。少なくとも口先で歌っているわけではないです。頭で歌っているわけではないです。どこまで体に根づかせているかということです。

そうすると共通にみえてくるはずです。どのヴォーカリストでも同じ、相当な高いレベルです。これと同じくらい1箇所でもできればよいわけです。そしたら日本では歌うのに苦労しないレベルです。

 

 

「あついおもいでだけいきつづけるの」

レーニングの感覚でいうと自分の力だけで表現しようと思ったら、無理なのです。

プロとアマチュアがやって、プロだけが汗をかくというのは、おかしな話であって、技術であれ何であれ、同じことをやるなら、アマチュアはプロの3倍は汗をかかないとおかしいはずです。同じことをやるのに体ができていない分、きついはずです。そうでないのは練習になっていないということです。

 

「あついおもいでだけ」これを自分の中で一番大きく出してください。そこからひいてきて歌をまとめるというのは、いつでもできますから、今はそれを壊す勉強をしてみてください。

 

構成というのは、余程わかっている人以外はまとめてしまいがちですから、ぬき方弱め方とかありますが、今、求めたいことはぬいてしまわないで、息を吐いて、確実に声の線で出していくことです。しぜんとそうなる体にしていくのです。目的は音楽らしく歌うことではないのです。今は、体に声が宿っていることです。そうすると歌は単純になってきます。単純になってこないと複雑な表現はできないです。

 

「ラドソファミミ」と捉えていたら表現にはならないです。体がついていたら、ことばをそのまま伝えられます。音楽の場合も聞いたまま、声を出す楽器として発声する。そのときにポジションをもって自分の体で還元していくのです。歌やステージで声に執着しすぎるのはよくないですが、だからこそトレーニングでは声をやるのです。

 

これは半オクターブちょっとあります。プロのヴォーカリストが中間音や低音をどういうふうに処理しているのかを聞いてください。そこではポジションをきちんとおさえてつくっています。そこでしっかりとヴォリュームをもって表現して初めて、次のところにいくことができるのです

 

「あついおもいでだけいきつづけるの」これでちょうど1オクターブあります。「いきつづけるの」ということばは離しいです。「ラ」や「ハ」でやるのもよいです。

 

こういう練習はこのフレーズの中に声が入ってくるように、自分の体が卜ランペットと思ってやるとよいです。音程なんてとらなくてもできるわけです。

自分で凝縮する部分と拡げる部分を呼吸の中で自分でコミュニケイトしていきましょう。

 

外国人ヴォーカリストの感覚は、声のなかにあり、歌の意味などあんまり考えて歌ってはいないようにも思えます。自分の体で捉えてフレーズ一つに息の吐く量と体の強さみたいなのが入っているようになると、少し練習が土台にのってくると思います。

 

ポジションだけとっておけば、あとはそんなに体を使って歌うところばかりでなく、前後をバランスよく整えるだけでよいはずです。それがしぜんと構成になっていきます。今は意図的にトレーニングして体を身につけます。そうしないと細かいところのコントロールかいつまでもできません。

 

歌うところだけ歌ってしまってあとは流れている方が、音楽としては楽です。全部を歌おうとするのはすごく大変です。それができているのが、一流の大歌手です。自分でひっぱって流れをつくっていくことです。

 

半オクターブや1オクターブかできない人は3音でももっと短くてもよいです。出している声に体をつけていくような練習をしてみてください。

 

「つめたいことばをきいても」

こういうことを100回ぐらいやってみてください。ぴたっとおさまるところが、とりあえず、今の自分のフレーズです。ただ、おさまるだけなら、ぬいた方がおさまりやすいし、聞こえもよいです。

 

だから今の時点ではトレーニングと歌とわけておいてください。イメージを大きくもち、それに対応できる体をつけていくと、最終的には一致します。話しているように歌えます。

 

歌のスタイルはいろいろと違ってきます。軽く歌っても、そこに呼吸やフレーズが宿らなくては、歌えないのです。向こうの人と同じことができるはずです。

同じ声量のようにみえても、体ができた上でやっている人と、できなくてそうやっていく人は、大きく違うわけです。それは歌のなかでの緻密度や説得性ですぐわかります。

レーニングという以上、体ができたうえでキャパシティをもち、それを後々、使っていくことです。声暈を使う使わないは関係なしに体に負担をこさせることです。基本トレーニングでの考え方だと思ってください。