一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レッスン感想   497

レッスン感想

課題曲レッスン感

佐藤先生(声楽家)特別レッスン感想

 

 

◯レッスン感想   

 

 

ことばは自分の中に取り込んであるものでないと人には伝わらない。自分でさえも自分のことがわからないのに、人にわからせようとするなら、もっと自分と向き合っていく必要があると思う。

 

先日のレッスンで「声帯で声をつくるのではなくて、声のもとになる空気の流れをつくるのだ」と教えてくださったのだが、具体的にイメージできて理解が深まった。また「腹式呼吸」というイメージ=腹直筋だったのが、間違っていたのがわかった。最終的には横隔腹をいかに動かせるかという感じだろう。

 

横隔膜そのものを動かそうとするのではなく、補助器官である斜腹筋、腹直筋、背筋などの支えによって動かしてあげるというイメージが、よいのではないかと思った。腰回りの筋力強化が必要だ。

 

「息を吸う」というイメージではなく、「息を入れてあげる」とした方が、私の場合は余計な力が邪魔をしなくなるような気がする。自分の身体が楽器だから大切に扱ってあげるのはもちろん、よく知ってあげることからはじまるのだと感じた。

 

課題曲をその場でつかみ構成するということがわかってきたような気でいたが、単に以前に集中力がなさすぎただけなのだ。プロの歌を繰り返し聞くと、全体の奥ゆきの深さや濃さ、それをセンスでやってしまっていることがわかる。圧倒的な差を感じる。

 

まず声を統一させ、その上で展開しなくてはならないということは、おそろしく体力と気力がいる。この積み重ねひたすらやらなければ。

「フレーズの方向」がみえる人とみえない人がいる。自分のことでもあるのでわかるが、大きい声を出そうとがんばっていても、流れはみえないものだ。声がそろってる人のフレーズはおもしろい。表現がある。

 

今日、先生にできないことを無理にするような練習ではなくて、ちょっとでもできることをよりよくできるようにするための練習が大切なんだ、というようなことを言われて、すごくためになりました。

 

洞察力というか物事を深く掘り下げて考える力にすごく欠けている気がする。自分では考えてるつもりなのだが、歌には何も考えてない状態が表れてしまっている気がする。感性と理性の融合がもっとしぜんに歌にできればいいと思う。

 

先生が最近、細かくアドバイスしてくださって、とても嬉しいのだが、それは自分で考えてわかっていなければ(自分で気づかなければ)いけないことのような気もして、不安になり心から汗が出てしまう。でも気がつかなかったのだから、言われたことを身につけるしかないと思った。

 

音符どおりにただことばを読んでもだめ。伝えるためにフレージングか大切。オクターブ以上の音程の動きかあっても、体を使ってきちんと発声していれば「高さ」を感じさせない。たった1フレーズできえ、まともに、どいうか自分で納得できるように声にすることができない。「踏み込む」ことの難しさ、いや恥ずかしさを克服したい。

 

 

聞く耳もっこと。一流のアーティストの歌を自分に置き換えてみて、一緒に歌ってみて、どれだけ体を使っているか、息が吐かれているか知る。体で感じる聞き方をする。フレージングなどの練習でも、常にMAXでやる。ふみこんで浮かす。強弱をつけたり、流れを出すことを体をつけてやる。この1時間でも、現在の自分の最高の力を見せる。それだけの気持ちでやる。先生のそのへんの捉え方というのがとてもためになります。とてもいい目標になっています。

 

フレージングのときなど、キーの合うところでやらないと、かなりできが違う。しっかり胸に入るところの音を常に出せるようにしたい。もっともっと大げさに表現していいように思う。今の自分のでは、1フレーズで何かを伝えることなどできない。これらのトレーニングもすべて舞台だと思ってやる。歌に絶対必要になってくる基礎的な部分をやってくださっていると思うので、いままで小手先だったところに体をつける。表現は残す。

 

より表現できるように体をつける。入った理由の部分だ。何ていい授業を受けているんだろうと思います。一番、歌の分野に入ってくるところで、おもしろくて難しくて。自分の表現を見せようと必死になるので大変なんですが、楽しんでいる自分がいます。この授業を受け続ければ、将来、歌を歌うときにかなり役に立つだろうと思います。

 

フレーズの中でひびきをそろえること。そのために歌いだしの音を深くとるということ。ことばが点にならずに線として把握していくということ。声を出していてほんの数回であるが、声の底をへそのところで感じたような気がした。

 

その息で高い音に進むと確かに腹部力がなくては同じひびきをキープできない。これがよい発声かどうかわからないが、ノドもリラックスしていたし、しぜんな感じがしたので、しばらくこの線を大切にレッスンに生かしていこうと思う。

 

 

レーニングに来ていると、伝えることの難しさを感じます。今まで友人に伝わってなかったことは、相手が理解する云々の前に、自分が伝わるように声にしてなかったんじゃないか、ことばになってなかったんじゃないか、と思います。ましてや歌になれば、より一層の表現が必要だな、と思います。

 

自分の未成熟度の理解。レッスンの流れの中で、そのつど先生の提示する音、ことばによって、何で元に戻るかとか、何で次にそのことばを発するかといった意味を、何となくだけど感じて、ほんの少しでもイメージがもてること。

 

 

一つひとつ入るところは入れて、それが一つの流れになっているか。体を使って自分が入れたいトコロに入れられるかどうか。メリハリがつけられるか。息を流し体をつけ、どれだけイメージをもてるか。息がながれていなくて体がついていなくてメリハリがなくて入っていなかった。

 

息のながれていない声は何か感じるものがなく、誰にでも歌えてしまう、ただの歌だ。ことばとしての区切り区切りを読み捉え、それを一つのフレーズとしているとき、途切れ途切れのものでなく一つの流れを感じさせること。福島先生のフレージングの表わし方がよく理解できた。円を書くような体の使い方、息の流し方を体で覚えていくといいと思った。

 

 

 

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◯課題曲レッスン感想

 

フレージングのつめが甘い。イメージかあいまいであると。その通りであった。中途半端では伝わらない。「あいしているから一」で、どれだけ自分が表れるか。自分の中であいまいなままだと、出てくるものは小さく弱くなってしまう。イメージは鋭く大きくとる。それを追う。

 

自分の「あいしているからー」よりもずっと大きく捉えないと伝わらない。小さくまとめようとしたり、小手先でごまかさない。はじめの1行ですでに1オクターブだから、1曲通して歌ったたらどうなってしまうのかと思った。見本ではとてもオクターブ上がってるとは思えなかった。「わかっているよ」の出だしの深さ。音程に振りまわされ半端だった。

 

 

先生に言われて気づくのも情けないが、確かに自分で歌っていて気持ちがよくない。どこにもはまらない。「こうかな」という感じだった。何か伝わるわけがない。肝心なのは、そこなのに。「わかっているよジュルヴァジュルヴァ」は、練習しがいのあるフレーズ。

 

 

「君を誰より愛しているから」と誰も愛していないみたいな気持ちになってしまった。イメージ(imagination)も貧困。「わかっているよ」という歌詞もわからない気持ちでやっていては、永遠にわかりっこない。禅問答のようになってしまうが、結局、どれだけ集中でき、どれだけ一つのことばにすべてを込められるか。

 

 

ゴスペルのワークショップに参加して、黒人の生の歌を聞きました。大声をはり上げて歌っているわけじゃないのに声がでかくてよく通る、一本のシンが本当にわかる。私は大口開けて大声はり上げてるけど、声が広がってる感じで全然、通る声じゃない。これは胸のポジションの深さと関係あるのでしょう

 

 

ロックのルーツや音楽を探るうえで、とても勉強になった。今までは、何げなく聞いていた音楽も聞き方ひとつでとても勉強になり、今日はそのヒントを得た。この授業は私にとってとても重要なので、次回も是非、出たいと思う。ブルースやR&B、そしてジャズなどを聞いていたところから、ラジオの中からいきなりロックンロール飛びでてきたのは、かなりの衝撃であろうと思う。これは、現代に生きる私にとっては、その衝撃度は想像がつかない。

 

◯佐藤先生(声楽家)テノール特別レッスン感想  京都

 

レッスンで技術を学んで帰ってくるだけでなく、レッスンの意味(意義)として通うために、毎日それに向けて自分で整えてレッスンに臨もうとする過程が大切だということ(体館など含む)。歌詞を伝えるのではなく「心」を伝えるのだということ。

 

声を出すときは赤ん坊のように、口、口の周りに力を入れずに発声のときは腹を引っ込める。風船の原理。ヘソの下からこみ上げるように息の無駄使いをしない。睡眠をちゃんととる。健康第一。体を鍛える。体、ノドに特に気を使う。歌は歌詞を伝えるのではなく、その詞の意味を伝える。何よりも大事なのは健康な体。

 

レッスンにはベストコンディションでのぞむ。レッスンに通い、本当にちょっとずつ得て、そのちょっとが続くと大きなパワーとなる。発声など技術的な面より普段の生活においての姿勢を主に話してくださった。とてもためになった。先生方の話を聞いていつも思うのだが、何よりも基本が大切で日々の小さな努力を怠ってはいけない。そして歌うための環境、体に自分で変えていく。