一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー 基本トレーニングほか   522

レクチャー

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レクチャー  基本トレーニン

レクチャー  京都

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レクチャー  基本トレーニング    350314

 

最初のトレーニングでは、同時に2つのことをやります。体を使い息を使うとともにその息がかすれないように、びりびりといわないように声に変換させていきます。タイミングがあわなければ、空振りをしてしまいます。それは自分の耳で判断してください。

 

自分の振ったバットのボールの正面にあたったのか、チップだったのか、見極めます。

空振りだったのかそれがわからないまま、いくら練習しても上達しないわけです。正面でミートしていれば、必ず手応えがあります。それがまず一つです。

 

もう一つは、たとえば、私の体とかプロの体からの声を、今、同じようになって体感するというのは無理なことです。が、一所懸命、トレーニングを積めば、やがて誰もが、その感覚を得られます。

その体をもっていない人は、まだ接点がつかないだけです。

 

外からみてもみえないわけです。いくらよい声の人をみても、感心するだけで、終わってしまいます。それを体で感じていかないといけないのです。

それには、ある程度、意図的に、自分によみこんでいくことです。すると同じレベルでなくても、少しずつ、わかってきます。

 

同じレベルの体で、よみこんでいった方が早いので、まわりの人のなかで、うまくできている人をよく感じてみることです。同じクラスの仲間の体だったら、最初は、大して差がないでしょう。

聞いたとき「あの人の今のどこの部分が働いていて、どのぐらいの息が吐けて、よかったのか悪かったのか。」そういうことを毎回のレッスンでみていると、当然のことながら1、2年で、読み込みの力がつくでしょう。三流の歌い手さんの体も、みえてきます。分析しなくとも、体感でわかってしまうのです。

 

楽器でも何でも、そのことをマスターするには、その完成された状態のイメージなり理解なりを必要とします。プロのスポーツ選手で一流の人は、一つのプレーですべてを理解します。自分の体におきかえて瞬時のそのフォームやタイミングの是非を判断できるのです。

 

それを言葉にできる能力のある人は、解説者や指導者としてすぐれています。声でいうなら、これが、ヴォイストレーナーとしての条件です。特に急いで技術を高める場合には、必要でしょう。

分析していく手法となります。それが必ずしもベストなわけではないのですが、そういう形で、うまくいく人もいます。

 

本格的にやっていくと、難しくなるとともに、おもしろくなってきます。違うおもしろさになってくるのです。

たとえばドラムの人は、バンドの音を聞いていてもドラムの音だけ聞こえてくるわけです。

人によっては、音楽そのもののおもしろさがなくなることもあるのーです。その時期は、がんばるしかないわけです。

 

練習に使った曲が嫌いになっていく場合もあるでしょう。そういうものと踏まえて、その材料から自分独自の世界、そして表現をつくっていくのが大切です。

 

同じことをもう一度やってみて、うまくいかない理由や何で失敗したのかを自分で考えてみてください。息と声が合わなかったのか、高すぎたのか、キィの問題もあるでしょう。

高すぎたり低すぎるために声にしにくいということもあります。

Do Your Best、そのための条件と環境を整えるのは自分でやることです。

 

最初に必要なのは単純にいうと、息を吐く力です。これは最後まで問われます。プロが15秒くらい伸ばしていることを同じヴォリュームで、といったら、かなりトレーニングしている人でも、半分くらいしか伸ばせないものです。

 

15秒、声を伸ばすだけなら簡単ですが、うすまってしまうのです。ヴォリュームに耐える体にするなら、呼吸機能を鍛えましょう。

 

体の底から息を吐いていくことです。柔軟を含めての体のトレーニング、そして息を吐くトレーニングが基本です。

次に、その息を完全に声にしないといけません。声にしない以上は、外に出ていきません。

 

息を声にすることです(これを声立てと言います)。それも完全に声にすることです。思いっきり声を出そうとしたときに、かすれたり、ビリビリと、のどがなってはいけないのです。

そうならないためには、ポジション、たとえていえば、声の根っこをつかまえるということです。

 

息から声への転換効率を100%にしていって欲しいのです。体ができて声がコントロールでき、それが歌になっていくようにしていきます。

きちんとしたトレーニングを将来、声域、声量を広くしていくためにも、していくのです。器が大きくなるようにします。

 

 

「ハイ」といってみてください。「ハイ」は短いのですが、「ハ」と「イ」の間も声にして一つのフレーズにしないといけません。その間、お腹はずっと使っています。体で声を終止できるようになります。これがまわらないといけないわけです。

 

「ハイ」と言おうとするときに、まず瞬時に体が準備されて、空気が入って、最適の状況を整えて声にするところまで、反射的に結びつけておくことです。習慣になってくると、あまり調係なくなりますが、それは体に身についたからです。

 

3つの音でやってみます。多くの人は3つ目の音までのイメージがないのです。2つ目ぐらいまでしかないと、2つ目のあとは大体いいかげんになり、3つ目でうまく終わりません。一瞬たりとも気は抜けないのです。

 

こういう練習が大切なのは、出している声、息すべて、最後まで作品だからです。息を吐くトレーニングでも、実際に必要な2倍くらいの容量をもっていないと、充分に安定して確実にはできないのです。

 

たとえば歌で「ララララ」と1フレーズを伝えるとしたら、その3つぐらい長いフレーズをイメージしていないと、その前半ぐらいしかもたないわけです。これを完全にキープして終止をきちんとする。

 

最後の終止というのはうまい人、下手な人、差がありますが、きちんと止められるということは、ここに余力がないとだめなのです。息が全部なくなっていたらできません。

 

 

強化のトレーニングには2つあります。息がなくなってもよいから、とにかく吐ききっていくようなやり方と、コツとかタイミングを踏まえて、劾率的に声をとろうとするやり方です。

後者は基本的な力がないと難しいでしょう。体が動かない状態では無理だということです。

 

腕立て伏せを何回もしてからすぐにバッターボックスに入るバッターはいません。タイミングとコツを合わせてボールを打つことと、それ以前にやるべきトレーニングとは別なわけです。

いずれ、それを一緒にした方がよいのです。そこが、人によっても違います。

 

 

 

息で「ハイ」、ことばで「ハッ」と続けてやってみてください。このときに出している声が日常より少し深いベースの声と思ってください。これはパワフルかつ個性的な声です。誰の声かわかるわけです。そうすると大切なことが一つわかります。

 

1、2音はトレーニングすると、それなりにできるわけです。そこではできますが、それを作品にするところまで、がんばる人が少ないのです。多くの人は、これらをはずしたところで歌っているのです。それが歌唱テクニックだと思う人もいます。

 

これは日本のヴォーカリストのここ十数年のあやまった部分だと私は思っています。サウンド重視というのは、声を含めてでなくてはいけないのに、声だけ忘れてしまっているのです。

 

だから5年たっても、10年たっても声が深くならないのです。一流の役者さんは、深く体についたところでセリフを言っています。舞台を5年も10年もやっているうちに、深く入ってくるわけです。そうすると体でコントロールできるわけです。しぜんと心の動きと一体になっていくわけです。

 

ヴォーカリストのほとんどがおかしな方向にいくのは、高音域をとること急いでしまうからです。

ヴォイストレーニングの基木的な考え方は、もっとも使える音色で、その声量をコントロールしていく技術を、身につけることにあります。声量のコントロールというのは難しいものです。コントロールしていくなかに声域が入ってくるのです。

 

今の「ハイ」というのが1オクターブでいえたら、スタッカートで1オクターブ歌えたら、ラップやシャウトでもっていくような歌ならプロ並みに歌えるということです。

そこをレガートにしたり、長く伸ばしたり、あるいはもっと上の音域を体でとっていくことになると、今度はフレーズという問題が入ってきます。

 

 

「ハイ ハイ ハイ」と、3回、声にしてみましょう。コントロールとそのための体や息をつくる強化トレーニングは地力として必要です。不器用でも時間がかかっても本物を追求していくという人は、確実に体をつけて、この地力を得ていけばよいでしょう。

 

時間がなくて、1、2年で仕上げなければいけない人は、コツでもやっていかないといけないのですが、これも向き、不向きがありそうです。

 

たとえば、ここでのトレーニングは、順番がまわってくると瞬時に、一つの表現を発表しなければいけません。そのときに自分一人で練習するときよりも、うまくできる人はコツをつかむ勘のよい人です。そういう人は、舞台でも強いわけです。

 

ところが自分の練習のときはベストなのに、ここで順番がまわってきて、ぱっとやると、力を出せないという人は(全く出せないまま、何年もとなると)、個人レッスンを受けた方がよいでしょう。

 

人前に出たらどうしても力が、出せないという人もいます。特に日本人の場合は多いですから、気にする必要はありません。一緒にやっていくなかで、慣れていきましょう。

スタジオで録音するのが中心のヴォーカルもいます。

 

ライブの場合は、やり直しがききません。いや、歌というものは、やり直しがきかないものです。そのとき、声が届かなかったというのは、そのまま伝わるわけです。ですから、常にどんなステージでも失敗は許されないという心構えでやっていくことです。

 

ここは、練習ですから、失敗してもよいのです。失敗しないようにするとまとめていってしまいます。それはトレーニングでは必要ないわけです。ただし、できていることをやって満足するのでなく、それ以上のことを試みて気づくための場です。そこのところをきちんと知っておいてください。新しくできてくるものに慣れていってください。

 

さまざまな課題をその埸で与えられ、すぐに行うのは大変だと思います。急にはできないでしょう。しかし、それができるようになってはじめて、歌が聞えるのです。

 

度胸をつけるためには、私の授業では、前に、順番が先に回る側に立つことです。☆

最初というのは、大変です。最初の3人ぐらいは、私もそこに3割、プラスアルファ、つまりハンディを加えてみています。

 

メロディ処理、フレーズでは、音程とリズムをとってすぐに言わないといけないでしょう。最後の順番になると、覚えられて、できてあたりまえですから、半分くらい差し引いてみています。何人もの人がやったあとでやるのですがら、それで狂ってしまうのは、余程、力がないということです。ともかく、どんなに恥をかいても、それをよしとするポジティブな姿勢はくずさないでください。

 

 

「ハイ ララ」でのキィの上下降のトレーニングは、ドから上のドまで、初心者ではドから、ミから真ん中のソぐらいのところまでにしています。これを基準としています。

いつも練習する音域が変わるとわかりにくいからです。

 

歌を中心に考えると低すぎるのですが、これは、日常のことばを中心とした音域です。今の状態ではドの音をどんな発声法で歌うのかなどと結びつけなくてよいのです。むしろ、今まで発声と結びつけてきた人は、それを破ってください。

 

必ずしもこの音だから、そう発声しなければいけないのではありません。決めつけると、そこから伸びなくなるのです。それは安定でなく、限定です。自分の声が伸びてきたら、その感覚は違ってくるのです。もし、たった一つの声でさえ、魅力的かつ、プロの声に聞こえていないなら、1回、結びつきを切ってください。

 

1オクターブでも広すぎです。厳しくチェックするなら、この半分、半オクターブで、できれば相当よい方です。そういうときは、高い方になったら、1オクターブ下げて声を出してください。

 

通用しない声を出すと、のどがしまってしまいます。これでは、出だしのところから少し上がるとうまく声が出なくなるのが普通です。浮かしたり、体や息のついていない弱い声ならできますが、トレーニングになりません。

 

2音から3音つくるのに半年ぐらいかかってもよいのです。前は1年で1オクターブを目標といっていましたが、今は完成度を求め、半オクターブを目標といっています。

半オクターブきちんとできれば、1オクターブ半まで歌えます。それぐらいの厳しい基準です。

 

1オクターブ、きちんと出たときに2オクターブ歌えるということです。そのときには、声区のチェンジが、しぜんとできてくるのです。声区融合、バランスをとるだけでクリアできるようになるのが理想です。

 

声区もポピュラーでは1声区という考えでよいでしょう。それで表現していくことができたうえで、応用していくとよいでしょう。

 

 

「ハイ ララ」(ド ドド)

最初は、基本的にはスタッカートの練習から入りましょう。これも一つの動きのイメージで捉えます。

「ハイ ハイ ハイ」(ド レ ミ)

これでも同じ音色でしっかり出すとなると、きついわけです。次のところのフレーズをとっておかないといけないわけです。ブツブツと切れてはよくありません。それには体でできなくてはいけません。

 

「ハイ ハイ ハイ」と一つの流れの中で、それができていないと、先にいっても浅く表現力のない声になります。

音楽に使っていく声ですから、パワーを要します。

 

基本的には、息の一番、深いところ、底をとって欲しいのです。あんまり動きを意識してしまうと上だけになってしまい、どこにも根づかなくなってくるので、難しいのです。そこはきちんと分けておくことです。まずは、声の底を捉え、次にそれを動かしていきましょう。音楽ですから、音の動きを感じることです。

 

日本語が難しいところは、「ハ」「イ」とか、「ハ」「ア」「イ」となりがちなので、その日本語をはずしていって「ハイ」と言えるようにすることです。要は「ハ」と「イ」を同じ感覚で伸ばすと、どんどん離れていくわけです。

 

頭で音をとって、あとのヴォリュームが、キープできないわけです。「ハ」が大きくあとに「イ」があるとイメージしてください。こういうフレーズなら、上だけでなく下も保たないといけなくなります。すると根っこから動いてきます。ピッチもリズムも動き出します。

 

根っこを捉えたまま、押すという感じが抵抗なわけです。この抵抗をつかむと、コントロールへの道が開けます。息を吐くと声になってくるからです。

 

もっと簡単なのは、「ハッ」と、かけ声をかけることです。のどを傷つけないようにしましょう。のどがビリビリとなるなら、もっとのどが下の方へ長いと思って、下の方に声があるようにイメージするとよいでしょう。

「ハイ」よりも「ハッ」の方がやりやすい人もいます。ただ次に「ッ」がくるので、このときにのどをつめないようにしましょう。

 

日本語では「ウ」が難しいでしょう。日本語そのままの「ウ」とか「イ」では歌えないのです。それを直すために「ハイ」、「ラオ」、「ララ」などで、ごまかしながら、より深く入るように、ことばをもってくるわけです。

 

多くの人は、大体、逆になってしまいます。間違った方向にそろっていきます。間違った「ウ」「イ」に「ア」「エ」「オ」がそろい、声にならなくなっていくのです。一人で行うと、どうしても悪い方向にそろうからです。だから、発声の独習は、難しいわけです。☆

 

「ハイララ」と語尾をレガートにしてみます。レガー卜にする練習というのは「ハイ ララ」に全部の声が入ってくるわけです。

「ハイ」といったあと、ポジションを離せば、しぜんとひびき、ひびきがくるところが歌うところなのです。

 

多くの人はすぐにひびかせようとするから、間違うのです。ひびかすことが歌ではないのです。それはコントロールができないからです。ひびかせようと思って、ひびいてしまうのは、コントロールできていないのです。むしろ、ひびかせまいと思ってひびいてくるのが、コントロール可能の使える声です。しぜんとひびいてくると、それは息でコントロールをできるようになるわけです。☆

 

ひびきをぶつけても、それをコントロールしようとしても無理なのです。きれいにひびかせていこうということを目的としたヴォイストレーニングでは、結局、声の芯がもてずに終わりがちです。フワフワしてパワー、迫力が全くでてきません。そこで、のどを使ったりしていると、さらに間違ってしまいます。

 

声の根っこをつかまえるのです。そして、ひびくときには線からはみ出してはいけないと思ってください。コツとかタイミングをうまくつかめば、一つの流れが出てくるわけです。その中で「ハイ ララ」と、これ自体が音の流れとなり、歌となってくるように方向づけをしておくのです。

 

はみ出した音をつくらないようにすれば、ひびきもしぜんと統一されていくことになります。これがスカッタートからレガートのトレーニングです。そして、これは同時にシャウトからフレージングの基本にトレーニングになるのです。

 

 

「ラ」は日本人の場合、ほとんど浅い発声なので、ひびくだけで表現が宿りません。力を入れると、ひっかかるし、入れないと浅くうすっぺらくなるので難しいのです。

 

たとえば、日本人が「ラララララーー」と歌っているのを聞くと浅く、外国人と全く違います。

スキヤットとかアドリブで歌うのには、「ラ」が多いのですが、日本人のは、どうしても安っぽいコーラスみたいになってしまいます。形だけ、だから、形が見えるのでしょう。

 

「イ」と同様、「ラ」の問題は、この「ハイララ」で早めに片づけておくことでしょう。

「ハイ ララ」これが1音に聞こえるように求めていきます。それからもう一度、放していきます。

 

レーニングは機械的になりがちですが、音の動きを感じるようにしてください。イメージには大きな力があって、体をリラックスさせ、息を自由にします。声も出やすくなります。何も考えないで機械的に行なっていくことで身につく部分もありますが、心を入れないと、遠回りになります。

 

機械的に行なっていく部分が多いところでは、どう感じていくかは、なかなか教えられないし、:本人が気づくしかないのです。そういうことに気づくには、常に自分のつくっていきたい世界、そして、それを支える基本の技術をどのように得るのかを考えましょう。

 

自分のイメージを入れて表現に近づけていくことです。すると、声はしぜんに出てくるし、決して間違えないでしょう。本質的なことを捉えてきちんと出していくことです。。

たかだか「ハイ ララ」でも、何も考えないで出すのでなく、何か感じて出していくことです。その人に歌や人前に表現していきたいパワーがあふれていたら、そうなるはずです。出てきたので声をそのまま作品に使いたいというのが、私のヴォイストレーニングです。

 

息と声のレガートを結びつけるトレーニングをやってみましょう。自分が一番、出しやすい声でやりましょう。息を深くします。一番深い息というのは、どういうものでしょう。

 

たとえば、生活のなかでは、ため息というのがあります。「はぁー」というような声は結構、深い息です。体に負担がきますし、リラックスもします。感悄も宿ります。

深いため息は、そのままで歌です。そこからレガートにするというようなやり方もあります。

 

ため息だけでの2時間の授業をしたことがあります。「はぁー」のなかで声ができるわけです。いろんな声が出てくるわけです。そのときに、のどをしめないで、できる人はあんまりいないのです。

これは笑い声がトレーニングになるのと同じです。笑い声が苦手な場合は、この方が息からレガートにはつながりやすいようです。

 

ドッグブレス(犬の呼吸)というトレーニングがあります。これは、声楽のトレーニングでも使われ「ハッハッハッハッ」と息を吐き、これをなるだけ速くするのです。犬のように4つんばいになって舌を出してやると感じがわかります。かなり体も動くし、息を深めるにはよいでしょう。実際のトレーニングでは、立ってやります。舌は出さなくてもよいです。

 

まっすぐでも体を曲げてでも、深い息を吐いてみてください。「はぁー」とすぐに音をつけてやるのではなく、自分の中で「はぁー」と息から声にしていく頓度を高めていきましょう。

最初は息だけでよいです。少しずつ「はぁー」から半分くらいにしてきて、最終的に全部、声にするわけです。

 

全部が声になったら、ため息にはなりませんから、ある程度、長くやってみてください。体からしぜんに声になってくるとも思います。これは腹式呼吸と声とを結びつけるポイントになります。

前半は息、そこから徐々に声がまじってきて、最後は3分の1か2分の1ぐらいで声になるようにしましょう。最後はすべて声にするということです。

 

先に息の流れをつくっておかないと難しいです。息の流れをつくっておいて、声にするのです。最初は息で「はぁー」といってみて、どんどんと声にしていくように音色をつけていくわけです。

「は」より「ア」で伸ばす方がよいです。ため息の声を使って「ア」にしてください。

 

次に息から声に変換するより、最初から声にしてみてください。なるだけ大きく出すと考えればよいです。これ以上、大きなため息をしないというぐらいにして、そこでコントロールします。長さも2、3倍にしてみるのです。

 

 

 

スーザン・オズボーンのヴォイスセラピーでは、今の「はぁー」というのを長くやって、こういう空間の中を声でうめていきます。その中で音域も2オクターブくらい高いところから低いところまで感情の思うままに出していきます。

声のバイブレーションで特異な空間が出てきます。失語症の人とか精神的に不安定な人を直すために声を使った音楽療法と考えればよいでしょう。ヴォイスセラピーという分野です。そういうものによって心を開いていくのです。

 

芸術的になるためのため息という条件は、コントロールできていることです。盛り上りがあっても、コントロールできていなければ、ふわふわとしてしまいます。ひびきも一定であればよいのです。乱れていると芸術的にはなりません。単なる深いため息です。

 

もう一つは、声が体でコントロールできているかどうかです。体と一体になっているか、それとも口先の中でやっているかは、すぐにわかります。そこに計算がみえてしまうと伝わらないのです。計算を働かせてフレージングのイメージは出すのですが、しぜんにこなされていないと通じません。

 

他の人に合わせてやろうとしても、おかしくなります。ひびきというのは体と一体の呼吸になっていて、その部分での音声のコントロールができていて、はじめて成り立つわけです。表現するものもあります。

 

それが不安になるときというのは、うなされたり夢をみていたりしても、多分のどにはこないのです。逆にそういうことをベースに考えたらいかに日本語で普通にしゃべっている声がまともではない使い力をしているかがわかります。それを戻していけばよいのです。戻らないところで歌っていても、ことばそのものを使わないと通じません。これでは限界がきます。

 

 

「アーアーアー」(ドシド)

このフレーズでそのまま、入る曲もあります。これが一つの音に聞こえることです。上のひびきでとると同時に、下の支えが必要です。一つずつの音で「ハイハイハイ」と分かれるのではなく、今のため息と同じように連結させるのです。音の境目をなるだけみせないのです。これがレガートのフレーズの基本です。

 

ことばでチェックするなら、3つの音に聞こえない力がよいのです。何分の中で3つの一音として捉えるのでなく、一つのフレーズで捉えます。こういう練習をやるときは、2倍の力でやると思うことです。「アーアーアー」と出したら、それを2回やるぐらいの息の配分にしておかないと、もちません。その上で思いっきり声を出せばよいのです。

 

歌うときに、大体1秒か2秒先を歌えばよいということです。聞いている人と同時に歌っていると、ついていかれ、追い越されてしまいます。そういう歌い方(ため方)もありますが、きちんと押さえた上.で、先への流れをつくっていくことです。

 

今のことでいうのなら「ドシド」に対して、それぞれの息をつくってはいけないということです。呼吸で、一つの息の中に音感があって、この3つをおいていくと考えてください。

浅い息を使ったら当然、つながらないです。一つのものが「ドシド」と3つに分かれて表現されていると考えればよいです。

 

私のいうフレーズとはそういう考え方です。一つのフレーズがあると、その中に3つをおいていくわけです。

外国語の言語構造なら、しぜんとそうなります。強アクセントがあったら、次は弱がきます。この強というのは、はっきりと表現し、弱のところはあいまいになってもよいわけです。あるいは全然、聞こえなくたってよいこともあります。

 

ところが、日本語というのはそうではなく、高低アクセントですから、一ひとつをはっきりと発音します。だから、ぶつぶつ切れるわけです。大きくしたり、はっきりしようとすると、均等に息が配分され、浅くなり動きも止まってしまいます。

 

「わたし」が「わーたーしー」となってしまうのです。私たちはそういう感覚で育っていますから、むしろ意図的に一つにしていかないといけないのです。これを捉えるために体の深いところで声を捉えてそれを展開させるのです。だから、深い息、フレーズが必要だということです。

 

外国語から日本語に入る方法をとると、これがスムーズにできます。「ラーラーラー」を日本語で歌うときには、このメロディ、音程をとっておいて、たとえば「わーたーしー」とおいていくわけです。

 

楽譜を見たり、ピアノで正しく弹いたりしたのに合わせると、そうなりがちです。しかし、歌い手はそのままでは、だめなのです。それを体でフレーズの一つとして捉えてから、ことばとして聞こえるようにすること、そして音の流れを先につくることです。それがフレージングの基本です。

 

ロックの感覚は、強弱のメリハリで、前に進めていくリズムの感覚を出すことです。リズムと音感が声のなかに入ってきます。息が浅いと動かないのです。息も大きく使います。タイミングとコツとそれを支える体の力があって息が吐ければ、3音くらいのフレーズは一気に処理できるはずです。

 

 

「アーアーアー」(ドドド)

今度は同じ音でやってみましょう。「アー」といいたいことを、表現からとっていくと、3音がつながって、あたりまえです。その上で、どんどん自由になって欲しいのです。自分が考え感じていることが「アーアーアー」なら、同じことをこの中に入れていけばよいのです。

 

单なるリズムや音程を正しくとるなら、機械的にコンピュータがやればすむことです。ヴォーカリストなのですから、微妙にズレて結果としていろんな形に表現できると思います。

そのとき音が少々ずれようがリズムがずれようが、後で修正がききます。

 

声をコントロールし大きな線を絶対に殺さないことです。すると、その線のなかに、音もリズムも巻き込まれ、一つの表現として成立していきます。どんどん声を大きく出していったら、声量のコントロールになるわけです。

 

声楽家に限らず、発声を学んでいる人のイメージは高い音ほど重心を低くして入ります。重いものになるほど、もつのに、体を縮めることと同じです。

「ドシド」で「ド」を「シ」に対して低めに感じる方がよいです。すると少し音楽的に処理しやすくなるのです。

 

フラットとかシャーブでも、ピアノと実際の音とは違うのです。平均律を知っている人はわかると思いますが、楽譜で正しくは表わせません。

 

「ドレド」のときは「レ」の方に力を入れるのです。高い音のときに、より強調します。最初は高い=強い表現と思ったらよいです。

同じ音質で表現したいと思ったら、体を使わないと衣現できないということです。同じ体の使い方だったら、上に抜けてしまうのです。ここは意識的に行うのです。

 

同じ条件で一つのフレーズにもっていくとしたら、「レ」のところに体を使わないといけません。そうするとここに盛り上りが出てくるわけです。体を使いますから、揺れ幅が大きくなり、上の方にもひびいてくるし、ドの方にもひびきます。これがレガートの基本みたいなものです。

 

レガートはただ伸びているわけではなく、より強く表現しようとしたら高くなります。英語でも強弱アクセントで強で入っているところは、声そのものが高くなっているのです。

日本語の高低とは違います。日本語は、単に高くあげ、上にぶつけるのです。

そう考えると、上がろうが下がろうが、フレージングの波のなかで調整しなければいけないということになります。

 

 

「アーアーアー」(ドーシードー)

高く上がると明るくなって、低く下がると暗くなるという日本的感覚に対して、卜レーニングは高い音を暗く太くとって、低い音を明るくとるように考えてください。これが高低の声をそろえる方法の一つです。深いところで声をとり、それをひびきにもっていくと、たての線がみえてきます。

 

しかし、音楽の場合は、よこの線が切れてはなりません。ポジションがなくても、よこの綠がつながれば音楽になるわけです。そこで、たての線をきちんと入ったポジションで表現、つまり切り込みます。

線をつなぎながらいくために、体の強さが必要になるのです。

 

「ハイハイハイ」

この3つをつなげようとすると、普通の人は浅くしないとつながらないのです。すると、ことばがしっかりいえません。深くしてつなげるためには、体と息が必要となります。それがないと、歌ったとき全くインパクトのない歌になります。

 

いくら「ハイ」とか「ララ」とか大きな声が出ても、歌うときにその声が大して出てこなくなるのです。それを使うためには、体も息を吐けるようにしておくのです。つまり、声量の中で声域をつくっていくということです。

 

それを応用したら、半オクターブ、1オクターブと、ある意味でフルヴォイスの声域がついてきます。

あとからついてくればよいという考え方です。

最初は声量からとってください。声量がない場合には、音符を点でおいていくしかないから、いつまでも他の問題がクリアできないのです.

 

「ドシド ドレド」と音感で捉えて出してください。音程をとるという感觉ではないでしょう。使っている音は、半音で2音です。ここに流れをつくるということです。

たとえば3つの音を与えると、多くの人は音程をとることに集中して音楽とか表現につながらないわけです。こういうことはフレーズの中でこなします。

 

日本人は等分しますが、むこうは強弱を決め、つなげていきます。音程ということでいうと、「ド」の音にぴったりあっているわけではないのです。「ド」より少し上の「レ」だったり、「レ」より少し下の「ド」だったりします。リズムからいっても、ヴォーカルは微妙にはずれます。

 

息の流れと声の流れをつくって、そのなかで完全に一つの線をつくってください。その上にあとでことばをおいていくと、表現力が違ってくるのです。

表現と技術の違うところでは、いくら発声のトレーニングだけをやっていても、それはそのまま歌にはならないわけです。これが完全にそろうのが一つの技術です。基本のベースです。このことが全く同じことができて、全く違うように聞こえさせるのが歌なのです。

 

ここは大きく違うところです。技術というのはベースですから、全く同じにできなくてはいけない。しかし、この最初のフレーズと2つ目のフレーズが全く違う音程、リズムのように表現できるのが歌の力です。そこを間違ってはいけないのです。

それを同時に行おうとすると矛盾をきたします。まずは同じにすることです。一つにしてから出し方を違えていくのです。

 

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レクチャー  京都

 

 

日本でも声そのものに関しての関心が、少しずつ高まってきている感じがします。

日本の業界の場合は、ヴォーカリストを育てる期間が短く、すぐに人前でもつ形をつけようとしています。3ヵ月、半年で完成させる、つまり、形づけるやり方と、2年くらいを基本の習得にかけ、本当にベースをつけて練習の土台を築くやり方とは、根本的に違うのです。

 

3ヵ月や半年で教えられることは、カラオケの初級講座と振り付けみたいなものです。いかにマイクと音響の力を借りて、歌が下手に開こえないようにするかというものです。せいぜい、音程、リズムが、はずれていないと減点法で聞くミーハーの耳にしか通じません。

 

本当の歌を求めている人にとってそんなものは、付け焼刃にすぎません。誰が、そのような期間で人々の心からの拍手を手に集められるに足る技術が身ににつくと思うのでしょう。

 

プロの人たちは活動しているなかで、本当にうまい人、海外のアーティストなどと比べてみたときに、根本的に差があると気づいてます。それを突き詰めていくと、結局、声の差、声が基本であることがわかってくるのです。

 

日本のアーティストも、それなりにいろんな才能があります。傾向として多いのは何となく生まれつき高い声が出るとか、作詞作曲の能力が優れているといったことです。業界に近いところでチャンスを得て、とんとんとあがってきたとか、オーディションか何かからデビューできたとか、そういうタレントさんヴォーカリストが多いのです。

 

しかし、それならそうではない人、特に音楽とか関わってこなかったけれど、これからやっていきたい人は、どうすればよいのでしょうか。初心者でも音楽スクールへ行けばヴォーカリス卜になれるというのでしたら簡単なのですが、そんなことはありません。

 

どんなきついことをやってもよいから、とにかく早く本当の力をつけたいという人の求める場、相当厳しくしているところは、日本の場合は、ここぐらいではないかと思います。

本当の力をつけたいときに、根本的に声の力、息のカ、体の力が必要です。それがトレーニングとして確実に身につく力の基礎だからです。最低でも2年くらいは必要です。

 

歌のレベルからいうと学校に行っている人たちは、そこそこ人前でうまく歌えるようになるのは早いのです。そのあとあまり伸びないで終わってしまうのです。デビューしたりしていますが、声を聞いたら素人と変わりません。それでは、いったい何のためのヴォイストレーニングなのでしょう。

 

 

ここで私がやっていることは、やや特別なので、説明しておきましょう。

講演会というのは、私のオーディションです。私が、でなく、皆が選ぶのです。

東京では毎月、50名近い人に会いますが、関わりをもつ人は1割ぐらいです。

 

今は「たかだか2年もみることのできない人は来ないでください。」と言っています。3ヵ月や半年で、どうにもできるものではないからです。

関西の人は以前、東京まで通っていました。交通費が大変なので、私が行くことにしました。本が出てから、どうしても地方の人に拠点が必要だったのです。

 

 

基木的な考えとして、今の日本の音楽業界には、合わせていません。音楽スクールでは、デビューさせたり、CDをつくったりして、それを宣伝文句にしています。

 

私としては、そんなものをやってどうなるのか、みえてます。そんな人たちは、いくらでもいるのです。毎年1000名近い人がデビューし、次の年に残っている人はほとんどいないわけです。

まずはデビューした人の声や歌を聞いてみてください。残れないのがあたりまえの人が、どうしてこんなに出るのか不思議なくらいです。

 

私は、ヴォーカリストである限り、声なり歌一つで他の人と差をつけられるべきであるという、あたりまえの考え方で追求しています。2年たったらプロになれるとは言わないです。

プロという基準をどこでとるかが難しいからです。

デビューということなら、選抜してデビューさせるのは簡単です。そんな目先のことをやってきたから日本の場合は、しっかりしたヴォーカリストが育たないわけです。

 

その2年のなかで何が身につくかというと、入ってくるレベルでも違っていますし、人によって差があるでしょう。しかし、プロの道というのは、遠いということを本当の意味で理解できると思います。

その距離がみえることが、大したことなのです。距離が見えて、初めて詰めていけるからです。

 

ここでいうヴォーカリストと、最初に分けて欲しいのは、タレントやアイドルのヴォーカリストです。どうしても日本人が思い浮かべるヴォーカリストというのは、そういう人たちが多いからです。

それとカラオケの上級者です。100人ぐらいの中で一番うまい人をここで歌わせたらそれなりに歌えるのです。そこのレベルのことをめざしても仕方ないでしょう。

 

それは1ヵ月でもできるかもしれないし、人によっては何年もかかるかもしれませんが、それをやったところで、そんな人たちは100人に1人いる、つまり全国にいくらでもいるわけです。しかし、そういう人たちと本物のヴォーカリストと比べてみると、とても大きな差があるのです。

 

ヴォーカリストというにふさわしい人は、日本でも何名かいますし、海外ですとほぼ皆、ここでいっている基本的条件をもっています。プロのヴォーカリストが隣にきたときに、素人やカラオケの上級者、タレントのヴォーカリストはかすんでしまいます。その違いを確実につけていくのが基本トレーニングです。

 

タレントのなかで歌を歌っていたり、売れている人たちがいますが、これはタレント性があるから売れるのです。そこも区別しなくてはいけません。それを区別しないでアイドル歌手やタレントさんより自分の方が歌えるとか、あのぐらい自分でも歌えるといっても仕方ないのです。

 

彼らは売り込んでくれるバックがあるし、まわりの人を引きつける別の才能があり、出ていけたのです。普通の人では、出ていけないです。仮にその道を目指すのであれば、タレント養成の学校なりプロダクションのオーディションに行った方がよいでしょう。

 

日本のヴォーカリストはいくつかの特徴があります。世界レベルでは、一部の人を除いて、通用しないのは残念なことです。世界で通用しないのは、人気にヴォーカリストの実力が伴っていないからです。日本人だから世界に出られないというわけではないのです。

 

国内市場のみをめざしてきたため、レベルが低いのです。それはきちんとしたトレーニングの上に歌がのっていないからです。何も目標を世界に定めなくても、どこの国でもヴォーカリストは、歌に秀れています。歌に秀れているから、ヴォーカリストです。この常識を破っているのは、日本くらいでしょう。

 

日本のヴォーカリストでいうと、高い声の出る人が単にそれだけで認められやすいようです。たまたま16、17歳ぐらいで高い声が出たまま、続いていく人が多いのです。それは、本当に表現できる高い声で出ているのではありません。高い声に声域がシフトしているだけです。

 

10人いたら2人ぐらいは、高い声が出て、2人ぐらいは、低い声が出ます。高音の出る人は中音域とか低音域は普通の人よりも出ない人が多いです。そういう人たちが日本の第一線にいると思えればよいでしょう。

つまり、生まれつき、カン高い声と作詞、作曲の能力が秀れている人で、ヒット曲が占められています。私はこのことを否定しているわけでは、ありません。

ただ、トレーニングを考えたときに、この2つの能力というのは、人によっては、確実に習得できない要素が多すぎるのです。また、絶対必要条件ではないのです。

 

16、17歳ぐらいで高いところが出せる人は毎年、何千人と出てきます。すると、そういう人たちを発掘した方がよほど早いわけです。それを20歳になっても25歳になってもできなかった人がまねていくというのは、プラスではないわけです。しぜんにできている人のまねをしぜんにできなかった人がまねていくのですから、無理がこないわけがないのです。

 

多くのヴォーカルスクールが、こういう方向での教え方をしているのは困ったことです。そのハイトーンが本物、魅力的であったらよいですが、それは、稀でしょう。この高いところの声では、表現力は海外には通用しません。ただ日本でしか通用していない浅く弱くあてたりまわしたり、無理にひびかしているだけの声なのです。海外のヴォーカリストのハイトーンと比べたら盛り込める内容やヴォリューム感、声の技術というのが違うわけです。そういうことを磨いてきていないのですから、それはあたりまえの話です。

 

作詞、作曲の才能があり、シンガーソングライターとしてやっていく人であれば、歌の世界ですから、声だけが正解ではないし、自分でつくった歌を自分の声で歌って何が悪いというのがポピュラーですから、私が口をはさむことではありません。

 

しかし、少なくとも、トレーニングとしてやる以上は、効果が出なければおかしいと思っています。すると保証できるのは、体や声の部分です。

 

よく「トレーニングで効果がありますか」とか、「私は、うまくなりますか」と聞かれますが、単純な話でいうと、よほどおかしなことをやらなければ、何事であれトレーニングをすれば伸びていくものです。そのためのトレ~ニングです。

個人差や伸びる時期の違いはあっても、時間とともに、キャリアとなっていくトレーニングの結果が出てくるのです。

 

ヴォーカリストであるからには、声の質は、きちんと確保していないといけないでしょう。日本の場合、音声については、バンド(楽器)の人の方が耳がよく、声については役者の方ができている場合が多いようです。

 

役者のように舞台で動き回りながら、相手に伝えるのは大変なことです。日々、それに耐える声をトレーニングして実際に舞台に立っているから伸びていきます。

しかし、多くのヴォーカリストの場合は、最初からマイクに助けられるため声が伸びていきません。

 

ヴォーカリストというからには、アカペラで歌って、それで通用するくらいを望みたいものです。ヴォーカリストの声は、そんなにややこしいものではありません。ヴォイストレーナーとかプロのヴォーカリストでないと見分けられないわけではないでしょう。

 

誰でもその人の声と歌の出だしだけで力の半分はわかるし、1曲歌ったら、ほぼすべての力はわかります。2、3曲聞いてみないと判断のつかないヴォーカリストというのは、ほとんどいません。しかも誰にでもわかるのです。

 

ただ、それを自分に、当てはめて判断していくのは、かなり難しいことなのです。

声を判断する力を求め、その上.に声を音声として使うイメージが必要です。一流のヴォーカリストやトレーナーを見本に声の技術を獲得していきます。技術といわれるものであれば、その声を聞いたらすぐに価値がなくてはいけません。

 

外国人のヴォーカリストには、誰でもそれだけのものがあります。普通の人たちでも相当、声をもっているので、ヴォーカリストとなると半端ではないのです。

 

どんなことばでも声をつけて吹き込んでみて、歌としてもたなければなりません。音程やリズムの練習をして、レパー卜リーをどんどん増やしていけばできていくという世界ではありません。

こういう世界では、体にすべてが入っています。入れていないと出てこない難しい世界なのです。

 

それをことばで伝えようとすると、どうしても無理があるのです。

だから私は、話す内容よりは、声そのものがどういうふうに出るのかを聞いてもらってわかっていただくようにしています。

 

レーニングにより、本当の練習ができるようになることが大切なのです。

本当の練習というのは、自分のなかで最もよい声をすぐその場で出して、それをより深めたり、よりうまく歌に使えるようにできることの上で成り立ちます。体力と基本の技術がないと、それができないのです。

 

 

まずは、プロのヴォーカリストとしてふさわしい体と耳をつくります。コンスタントにハイレベルの練習ができるためには、プロの耳と体が必要です。

その日によって高い音が出たり出なかったり、調子が悪いというのでは練習の土台にのっていないわけです。

 

練習ができるというのは、ヴォーカリストが自分自身にとって最も優れたヴォイストレーナーの役割ができているかということです。ヴォイストレーナーと勉強しつつ、自分が自分にとって最良のヴォイストレーナーになることです。

 

常に自分の状態や目的に応じてメニューを自分で組み立てられないといけません。何ができていて何ができていないという判断も、自分でできないといけないということです。それができるのに、最低でも2年ぐらいかかるのです。

 

 

<1カ月目>

1カ月日は、いろんな課題を試します。いずれ自分でつくっていくことを考えましょう。

ことばのトレーニング帳なども、自分でつくるとよいでしょう。

特に、ことばなら、他人の課題よりも、自分のが使いやすいはずです。

 

常に自分で考え、つくり変えていくことです。

最終的にどういうことをやれば、声が強くなり調整できるのかを覚えていきます。

それから耳を鍛えることが、大切です。まずは、耳と体がすべてです。

 

そこにオリジナリティが出てきたら、歌は簡単なのです。もちろん、声の技術があればまねて歌ってみるだけで、成り立つ部分もあります。しかし、日本を離れて、どこの国に行っても、一声歌ってみたら、プロのヴォーカリストとわかる力をつけるのが、ここのヴォイストレーニングの目的です。

 

 

レッスンをするごとに気づいたことを書きとめていくことです。それによりトレーニングの効果があがり、声に関心をもち続けることができます。それを続けていけば、声がわかってきます。

 

知識もやり方も学んでいく必要がありますが、トレーニングをすることを忘れてはなりません。3日も休んだら成り立たないというぐらいに考えてください。ピアノやヴァイオリンの人も、1日休んだら3日戻るといいますが、ヴォーカリストは、もっと体に関係しています。楽器そのものをつくらないといけないのですから、1日休んだら1週間戻ると考えてください。

 

そういう面では正直に声に出てくるし、やっていないと何も出てこないということです。

ですから2年たったら2年分、ヴォーカリストに要求されている体に近づいていくと思ったらわかりやすいと思います。

 

もっと単純に言うと、ヴォーカリストというのは、体の中にすべてのノウハウが入っていてはじめて、人並み以上のことができるわけです。体を使って腹式呼吸をしてなどと考えているレベルでは、何もできないのです。

 

人並み以上というのは、普:通のことではないのです。歌うということも、それを聞かせて魅了させるということも感動させるということも同じです。

普通のことでないことができる体というのは、普通の人のものではないわけです。

 

ヴォーカリストの作品、歌は肉体芸術です。体の中にノウハウが全部、入っているという点では、舞踏とかダンスとかスポーツにも近いのです。どんな分野であれ、プロの人はプロの体をもっています。ヴォーカリストも同じで、ヴォーカリストとして特化して使える体をもっていると考え、その体を手に入れることをめざす方がわかりやすいでしょう。

 

こういったことも含めて、私は基本的にあたりまえのことをあたりまえに言っているだけです。日本人があたりまえに考えていなかったから、あたりまえのことがわからないから、使えない発声になるのです。どこの国のヴォーカリストにとってみても、こういうことは、あたりまえの話です。本來、こういう話は、ヴォーカリストとしてきちんと歌っている人にとったら、ほとんど価値のない話です。しかし、そこがわからないと、ヴォーカリストになれません。

 

私自身の価値観をおしつけるつもりはありません。ですから、どういうふうに歌うように、といった歌い方のトレーニングは、しません。歌には正解はないからです。

この歌は、こういうふうに歌いなさいとか言われないとわからない、そういうことさえ自分で決められないなら、まだ、その人はヴォーカリストではないのです。

 

声そのものも最終的に同じです。声楽家みたいに理想の声をめざしつくっていくのではありません。自分の感情、思いを伝えるための声が、まずは、必要なのです。姿勢も歌いカもスタイルも、最終的には自分で決めていきます。そのために、必要な基本を学ぶのです。

 

それで抜きん出ていけば、その人の世界なのだという考え方をしています。声に関しても、のど声であろうが、ヴォーカリストとしての条件を満たしていたらよいのです。それが満たせられるというのは、本当に聞かせられるということだけです。

 

声楽の先生についている人がよくきます。

ポピュラーの声は、声楽とは少し違うのです。ポピュラーの場合は、バラエティにとんでいる分、その人が自分を突き詰めていけば一つの世界ができてきます。最終的にその人が自分の世界をもち、見せることができるかということです。

 

ですから声が美声だとかきれいに聞こえるとかいうよりも、表現を常に問える強靭な声が必要です。かすれていようが、何であろうがコントロールできていたら、歌はもちます。

声を完全に、集中カと集中力を支える体力と声の技術でコントロールしていくから、1曲歌うというのはものすごく大変なことなのです。

 

 

レーニングができている人を土台にのるといっています。半年ぐらいで土台にのれば、早い方です。2年ぐらいでは、のるようにしたいものです。何とか本当の練習ができるようにするのが大変です。

 

レーニングですから30分もやれば汗びっしょりになります。着替えが必要になります。そのぐらいのことを毎日やって、少しずつ、変わっていくのです。

 

直立不動で汗一つかかず「ラララララ」みたいな発声練習もどきを何年行なっても、大して変わるわけがないのはあたりまえでしょう。

強化トレーニングというのは体の力をつけていくものだから、確実に強くするために体が疲れるようなことをしないと、早く身につきません。

 

ヴォーカリストはスポーツではありませんが、声を支える体は、肉体の方に負っています。声の使い方はイメージによっています。しかし、本当に歌える人は、シャウトできますし、ことばも完全にいえます。アナウンスをしても通用するし、技術は違いますが、役者の声にも負けないでしょう。

 

本当の意味でいうと、そういう声の出る体をつくっていくことをきちんとやっていくのが、目的です。それがないと、あとで結局、伸び悩むます。音域も音量もとれず、器自体が大きくなりません。

 

10ぐらいの声があって、それを12とか15にしたって所詮、使えないのです。そのくらいの力でプロとして歌っている人もいますが、そういう人たちは他の要素がかなり秀れています。この10を100にしていくことをめざすのが、私の考えるヴォイストレーニングです。

 

 

ここにはいろんな人が来ています。クラスで声が一番小さい人とか、今まで全く声をほとんど出さないできた人もいます。そんな人がヴォーカリストになろうとしたときに、音程やリズムがどれだけ正しくとれてもステージがもつわけがありません。よほどかわいいとかスタイルがよいとか、作詞作曲の才能があって、よい曲をつくるとかでないと難しいでしょう。

そういう人が本当にパワフルですごいヴォーカリストになろうとしたとき、声と体は第一条件なのです。

 

ヴォイストレーニングの条件は、声を統一して使えるということです。それには、自分の表現したい世界をその声で表現できるために必要不可欠なことです。イメージに対応する体をつくるのが大変なのです。ですからその分、器を大きくしていくのが、ここのヴォイストレーニングです。

 

器を大きくするというのは、今、もっている声の中の一番よい声をさらによくしていくことです。より大きく深く出せるようにすることです。

ほとんどの日本人は、山に行っても「やっほー」と腹の底から言えないのです。もしそれが言えたとしても、その声で3分間、1オクターブにわたって、では困難でしょう。

さらに音楽を表現できるかどうかを問うてみてください。それが基本の力です。

 

日本人のヴォーカリストにはいろいろなタイプがいるからわかりにくいのですが(多くの人は、声がないのを他の才能でカバーしているので)、外国人のヴォーカリストを思い浮かべてください。その基本はもっているはずです。そういう人たちと比べあなたが、それにどこまであてはまっているかどうかをチェックしてください。

 

 

レーニングの1年目というのは外国人の一般レベルか役者の5年目ぐらいのキャリアのある声を求めます。声そのものについてはそのぐらいをめざしてください。

2年目になったら、そこにヴォーカリストの要素を入れていきましょう。

 

2年たって人前に立ったときには、顏の表情だけで、その人の力ははっきりとわかるものです。背負っているものが違ってくるのです。毎日そういう生活をしていることが、ステージの中でも力になります。一声、出したら、すべてが、はっきりとわかります。

 

その声の基準を述べます。トレーニングで、自分が何が得られるかということを判断してください。今の日本の音楽業界とは、レベルの違うことをやっていますから、そのことが自分にとって必要なのかを、自分の中で判断してください。欲するなら一緒にやればよいでしょう。

 

時間をかけてやっていきますが、先を急ぐ人とかタレントとして出ていきたいという人には、これが必ずしもベストの道だとは思っていません。ただ、2年たったらできると思っていた人が、4年たっても5年たってもできないことを確実に2年間、毎日きちんとやればできていくということです。

 

歌がうまいとかへたとかの要素は、声とは別のものです。まとめ方がうまいと歌はうまく聞こえるわけです。日本のヴォーカリストの場合は減点法です。荒をなるだけなくしていくという教え方をすれば、それなりに一応うまく聞こえます。しかし、これではキャラクターとしてはともかく、声そのものの個性は何も出てこないのです。歌には聞こえないということです。

 

声がなくても売れるヴォーカリストがこれほどいるのは、日本くらいではないでしょうか。それでは、本人もつまらないでしょう。そういう人たちは、すぐにヴォーカリストをやめてしまいます。デビューできてもタレントなどの世界にいってしまいます。

 

そういう人たちをここで育てても仕方がないので、今は長期的な視野で本当に力をつけたい人に対し、声を体に宿らせることから中心にやっています。

深い息とか声の音質づくりがベースです。そのため、役者や声優志願の人も増えてきました。基本の習得方法として考えるなら、スポーツの1年目の習得段階、2年目の習得段階みたいなものと共通する部分が多いでしょう。

 

ビブラートをつけようとか発音をきれいにしようといったトレーニングは、基本の力がついた上での調整のトレーニングです。それは器を大きくするのではなくて、器の中でまとめてきれいに出すことです。

マイクや音響がありますから生の声はわかりにくいですが、トレーニングしている人の声を聞いたら、すぐにわかります。

 

たとえば深い息に支えられていると、声をどんどん小さくしても、速くまで伝わるのです。ヴォーカリストは小さな声も使います。低く小さな声にするのも体を使うわけです。息でコントロールするからです。遠くまで聞こえるのがマイクに入りやすい声です。日本人の場合は、のど声なので声の伝わる効率が悪いのです。それを卜レーニングで直していきます。

 

日本人のヴォーカリストを手本にすると、声に関しては、のどで歌っている人が多いので間違えてしまうのです。つくっているというのは、全部くせのある声になります。それをはずすともっとよい声になります。

 

深い声を出せるところは日本人があまりもっていないポジションです。外国人はそこをもっています。女性は低くてもよい声をしています。深い声をよい声と捉える感覚が、日本人にはあまりないからです。日本では、数少ないですが、一流の歌手はその声を出しています。

 

レーニングをすればできるのですが、日本語は息が浅いし、「アエイオウ」と体を使わなくてもいえてしまうことばだから、なかなか体がついてこないのです。声を出そうとしたときに、のどでつくってそれでことばをつくり、歌うときにまたくせをつけてつくってと、3段階くらい加工して複雑にのどを使っているのです。

 

つくればつくるほど、ストレー卜に歌えなくなります。これでは体がつかないのも、あたりまえです。シンプルでないと体は使えないからです。のど声にすると、一見、上逹しているようにみえても、結局、歌えなくなってしまいます。どう歌っても他の人と同じように聞こえてしまいます。

 

完成型が先にあって、それに似ていたらよいという世界なら別です。アイドルなら可愛いし、プロダクションもサポートしてくれますからそれでよいのですが、普通の人たちはそれと同じようになったからといって、どうなるのでしょうか。

 

ヴォーカリストの場合は総合的な要紊ですから、何で勝負できるかを自分で決めていかないとだめです。そのときに確実にトレーニングできるところの一つが、時間はかかりますが声の部分なのです。時間がかかるから差がつけられるのです。

 

ヴォーカリストですから、姿、形がみえなくてもオンエアされている声だけで誰の声かわからなくてはなりません。誰かによく似た声や歌い方で自ら二番煎じになっても仕方ないでしょう。

日本では私の声はいかにも鍛錬されたような声ですが、外国にいったらあたりまえの声でしょう。このぐらいの深さの声でしゃべるという感覚があたりまえなのです。腰で声をとっているのです。

 

たとえば外国にいくと一般の人でも、声が大きくはっきりと話せるようになって帰ってきます。日本で向こうと同じ感覚で喫茶店などで話していたら、まわりの人のひんしゅくをかうでしょう。知らず知らず、日本の生活ではのどを圧迫して声を出していきます。声にとっての環境がよくないのです。しかも耳では、のど声のヴォーカリストをのだみ声を聞いて育っていますから、自分が歌おうとしてもそうなってしまうのです。

 

向こうはロックのバックにイタリアのカンツォーネナポリターナ、オペラ、ジャズやゴスペルがあるわけです。その声を間いて育っているから、楽々と声がひびくのです。

以前、ゴスペルの講座をやっていましたが、生徒15人がやっているところにゴスペルのシンガー1人きたら、15人分の声がふっとんでしまうのです。プロですと、1人の声量の方が大きいのです。

 

そういう部分での差を踏まえてやっていかないといけないのです。自分の声の中にノウハウを宿していくしかないのです。そのために声として使えるようにしていくための体を鍛えていきます。息をより深く吐けるようにするといった条件を根本から整えていくことです。

 

 

ここのヴォイストレーニングは、2年間やったら、最初に入ってきた人は、ほとんどできないレベルにいくでしょう。そのことを目的としています。日本のヴォーカリストでは、プロでも対応できない人が多いレベルで、声を使いこなしていきます。しかし、本物のヴォーカリストや何年も第一線で主役をやってきた役者の人がきたら、クリアできるでしょう。

 

音程とかリズムにおいて複雑なことをやっていくのがトレーニングではないのです。音程練習でいくら「ドミソミド」と正しくとれても、そこに歌が聞こえなければ何の意味もないのです。

リズムも同じです。リズム感があって音感さえあれば、声があれば歌えるわけです。

 

そこを間違ってはいけません。複雑にしていってはいけないのです。正しいことは全部シンプルです。そのために体の中にすべて入れていくことです。歌おうと思ったときに、いつでもすぐに歌えないといけないのです。

 

仮に1オクタ一-ブや1オクターブ半で歌って通用しないとしたら、いくら声域を伸ばしても仕方ないでしょう。もし本格的にトレーニングをするとしたら、今までのは使いものにならないとしてベースのところでもう一度、やり直した方が早いのです。

 

多くの日本人にとって、20歳まで使っていた声の出し方はのどで操作されているため魅力的な声ではありません。魅カ的な声、表現にたる声は体から出ます。何か一つのことを伝えようとしたら、そういう声でないと伝わらないのです。

 

「あぶない」と本気で伝えようとしたら、息も声も深くなり、そこに表現が宿ります。表現というのは人を動かしてはじめて表現です。自分が表現しているつもりでも、伝わらなければ仕方がないわけです。そうすると、おのずと体や息を使うわけです。そして全身が一つになった声として現れるのです。

 

 

言語に強弱アクセントがついてリズ厶が入ってきます。感嘆詞や感情を表わす声は音楽的なわけです。日本人が音楽に入っていけないのは、日常のことばも含め、音声への感覚と表現がよくないからです。日本語も日本の風土の影響も、マイナスなわけです。

 

ヴォイストレーニングも、歌っていくほど声が出なくなったり、声がわれていくなどは、最初から間違っているからです。それはきちんとした発声のとれている声、本当にナチュラルな声の上にトレーニングしていないからです。本当の声で歌を歌っているからではないからです。

 

そうでなければ、何事においても2〜3年やっている人より新しく入ってきた人の方ができるようなことはないのです。それでは、キャリアも何もないわけです。多くのヴォーカリストの場合、やっている年月がキャリアにならないのは、基本である本当の声をきちんとつかんでそこの上にのせてないからです。そこに問題があります。

 

浅い発声なら、正しく歌うことに終始します。出したところをつかんで、それから声、歌そして音楽を築いていけません。歌に声を合わせた方が早いからです。

「あのヴォーカリストぐらいの声が出てシャウトできるのであれば、音楽も歌うのも簡単だろう」と思うなら、そうでなく、その声の出る体になることを優先するのです。

 

日本人は声からはじめた方が、よいです。

声の中にセンスやリズ厶感が入ってきたら、おのずと歌になるからです。

声があれば歌うのは簡単だろうと思うのであれば、声の部分を最初に徹底的につけていくことです。

音楽や歌、ステージに人ると、そこから基本の部分のトレーニングはできないからです。

 

 

今、ここでのヴォイストレーニングはまず、腹の底から「やっほー」と言えるようにします。結果的にその声で3分間1オクターブにわたって展開ができるようにするということです。

同じ人でも、その声と、マイクを使ってカラオケの伴奏で歌うのに使われる口先の声とは全く違います。

 

ヴォイストレーニングというのは、あくまで声そのものの可能性を拡げていくわけです。声量や声域に関してもなるだけ大きくつかんでおいて、そのなかで自分が使いたい歌の世界で不自由のないところまでもっていくのです。単に拡げることは、目的としません。

 

声は、歌よりも余力がないといけないのです。歌よりも大きな声で、音域も音量も出せないといけないのです。歌は、声の限界まで使わずに、まとめていくからです。

 

歌の方が、はったりがききます。肝心なところだけ、どこかにポイントをおさえたら、あとは流しても伝わるわけです。でも、だからこそ、声の力がモノを言うのです。

 

ここのヴォイストレーニングは、基準がはっきりしています。出している声が正しいか正しくないかではなく、伝わるかどうかです。せりふも歌も同じだから、基準というのがはっきりとするのです。せりふの伝わるかどうかは、誰でも判断しやすいからです。☆☆

 

 

 

1日も休まずトレーニングすることです。練習できる埸所が、とれなくともトレーニングはできます。

声を出すことよりも大切なトレーニングがあります。それを24時間ヴォーカリストの意識をもって取り組むことです。毎日30分から1時間ぐらい集中してトレーニングして、あとは体の状態で変えていくのです。

 

才能があってもトレーニングしないと変わりません。やったら変わります。そこから才能がでてきます。最初に効果が出る人とか、後から伸びる人とか、どの時期に声が出てくるかということには、個人差があります。長い年月でみたら、できるところは、はっきりとしています。

 

本の中で一番わかりにくいのは、フレージングと声を統一することでしょう。深い声、呼吸法も大切です。トレーナーと一緒にやっていくと、その差がわかりやすいと思います。

 

たとえば声を出すことを考えてみましょう。何か人間が一つ、大きなことをやろうとしたときに、力仕事でもピアノをもちあげること、あるいはピアノを弾くことでも、負担は、必ず腰にくるはずです。武道とかスポーツの自然体を思い浮かべてください。必ず、体の中心のきて、部分的なところにはこないはずです。

 

声も同じです。何時間も高い声を出したり、大きな出を出せるのも、声が体の中心にあるからできるのです。のどという部分で出しては、無理がきて、やるほど痛めます。