一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

パワー不足   521

パワー不足   521

 

BV座を2週連続でみて、これまでになく失望した。

結局、ここしが見えていないこと、

たかだか2週、もたせられない(仮に外でライブをやっていても同じことだが)。

 

歌とか声とかヴォイストレーニング以前に、人に何かを伝えようとする絶対的な意志や、パワーがない。つまり、発声が完成しようと歌がうまくなろうと、これではどうしようもない。

 

あなた方ほどの声も歌うカもなくとも、歌で人を楽しませ感動させている人が、世のなかにたくさんいる。

いったい何のために、声や歌を学ぶのだろう。

どうしてトレーニングを通じて、そのパワーが増大していかないのだろう。

そんなトレーニングとは、いったい何なのだろう。

 

人に伝える意志やそのために出てくる気力が、トレーニングをひっぱっていくものだろう。

 

スポーツを本気でやっている人なら、

参加すればよいなどと思っている人もギリギリで勝ちたいと思っている人もいない。

絶対的に強くありたい、

徹底的に完璧に勝ちたい、

できれば最高のプレーで勝ちたいと思って、

人は努力する。

 

そうでない人が人前で何かをやって、心から称賛されたり、感動を与えることがあるわけがない。

そのままでは、いつまでたっても永遠にありえない。

 

 

ステージのでき不できのことではない。

気づかぬうちに生ぬるい、もたれあいとなっている。

 

歌に覚悟を決め、絶壁で歌って人の心を打っていた(少なくともその方向にあった)

BV座が崩壊している。

 

歌や声は直せるが、芸のない芸人には、語ることばはない。

少しくらい、一般の人より長くトレーニングし、

声も出るし、歌らしくもっていけるので、その場をしのげるかもしれない。

 

しかし、だからといって伝わらない歌というのは、何なのだろう。

調子が悪いとかいった言い訳をいつまでやっているのか。

出たものだけが実力という世界などと今さら、言わなくてはいけないのだろうか。

 

このままでは、ライブの公開も、CATVやインターネットの放送もあったものてはない。

創出する意志、気力、モティベートの欠如こそ、最も恐るべきことだ。

 

これはBV座に限らず、②③クラスでも、いつも感じていることだ。

少し長くいることで慣れていくのは、おのれの内に高い志をもち、

外に大きな世界をめざすことに欠けているせいである。

自分で自分の世界を切り拓かず、まわりに同調しているせいだ。

願わくば、謙虚に自省して欲しい。