一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

発声より気     360829           531

 

「体、声からの解放」は難しいことです。

 

ここで行なっていることは

「体を使え、声を使え」

「声を握り、はなさないで歌え」ということです。

 

それで声をだせということですから、

一見、矛盾するのですが、

だからこそ、解放の意識が、出口が必要です。

 

最近、ステージ実習をみていて、

レーニングが、トレーニングがかっているのが気になります。

 

いかにも発声練習みたいに発声がかっていくことはよくないのです。

「ラララララ」ときれいな声になっていくことは、それでよいのですが、

そのために体の無理な使い方や声を押しつけた形のまま、

体の中に閉じこめられていっている部分が、

音より目立つ感じがしてはなりません。

 

身体を使うことの経験の少ない人、

筋トレなどで体力的な面を鍛えることをやっても、

試合のプレーの経験が少ない人に、よくみられます。

 

集中力も含め、解放することの経験ができていないのです。

注意集中とは、集中しつつ、四方八方を観る状態です。

 

 

 

 

心と体を取り戻すことです。

赤ちゃんや子供の感覚からとり戻していくことを、

もう少しスマートに効率的にやっていくのです。

 

レーニングをすると、

どうしても体にしばられる、声にしばられます。

そこで自由をなくすのでなく

声に戻します。

 

声は浮いているのだと捉えて、

それを1回体にいれて、とばすわけです。

いずれは、体にいれる意識もなく、

できている感じのものとなるのです。

 

もう一つ、必要なのが、感情表現です。

全身で声を使い感情を表現すること自体、

今の日本の歌が はなれてきて、わかりにくいのです。

 

声をだすことも、歌を歌うことも、

それがシャウトであれ、ひびきであれ、

何らかの感情を表現するわけです。

 

感情の中で声を使いこなすという練習が大切です。

これを役者さんの場合は、微底してやるわけです。

 

それができていないと、

歌に生きたものがでてこないのです。

声が大きい、あるいは、通るだけの声になりかねないのです。

 

それが全部いっしょくたになって、

声が小さかろうが、

ぎりぎりのところで何かが表現されていたら、

伝わるわけです。

 

体を使っていこうとするトレーニングでは、

やるほどに歌えなくなってくるのは、あたりまえです。

 

一時、歌えなくなるのはよいのですが、

そのことを勘違いして、

表現から方向をずらしていくのであれば、違います。

 

力を抜いて、しぜんに歌っていてこそ、

その人も生き生きとしていて魅力的なものです。

 

レーニングは、ふさわしい体と呼吸の上で

しぜんにできるために、一時、部分的にアンバランス、

ふしぜんを許容するにすぎないわけです。

 

顔のなかでしか表現が動いていない。

感情も顔の中でしか動いていない。

胸から上しか動いてないとなると、要注意です。

 

レーニングというのは、全身で捉えて、

そこからすべての力を一つにまとめてだすプロセスづくりです。

 

体も使うし、声も使いますが、

同時に体も声もはなさないとならないということです。