一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

ステージ実習感想    537

ステージ実習感想

 

 

1回目に上がって、おどおどせずにステージに立てたと思うのだが。最後の一行「われらが大道を歩まん」は、その前でつかえたにも関わらず、意志をもって言えた、つかえても焦らないでいられた。

 

瞬間で自分を引き出し提示するという行為から遠ざかってしまったこと。案の定、私の弱点がすべて出てしまった結果となってしまったわけですが…。ただそこで、行動したという事実だけでは、とうてい不足もいいところで、一体、自分に何の価値が付加できるかという勝負をしなかった点。「言いたいことをいうという、自己満足の領域VS観客がいるという想定」という、あたりまえの構図がきちっと設定できていなかったところ。

 

目線をこの辺り、と決めておいたのだが、スポットライトを浴びた瞬間に、わからなくなってしまった。詩の朗読だったので、内容の進み具合で目線を変えようと思っていたのだが。詩の朗読の途中、言葉がつかえてしまった。「千回読むくらい読みこなさないと」と前回、言われたのだができなかった(やらなかった)。つかえた瞬間“あーぁ。やっぱり”と思ってしまったのが情けない。

 

自分らしさ、スタンス、スタイルをしぜんな状態で保持したまま、共通言語を使い他人と向き合うことの難しさ。

 

初めての歌。とことん練習してきて、リズムが早くなってしまわないように、堂々と歌いたい。あと手の位置が難しい。

 

仕事のステージではあがらないのに、ここではなんでこう緊張するのだ!!とにかくステージ実習では(身体にたたき込んだ以外の)「予定はたたない」と思った方がよい。

 

ライトを浴びていると、周りが何も見えなくなって、光に圧迫されている気分になり、息がすえなくなってしまっている。どうすれば、この圧迫感がなくなるのか。

 

前回と比べものにならないくらいよかった。原稿を読むだけでは伝わらない心からのストレートな想いが、確かに今日は感じられた。トークは自分の世界。歌は人の創った世界。感情移入し、何らかの想いを伝えることはもっと難しいだろう。どうすれば伝わるのだろう。

 

声にパワーが足りなかった(大声を出すという意味じゃない)。声が引っ込んでいる部分があった。今回のテーマは(これからもだけど)、詞を伝えるより声(音)に表現を込めよう、だったが、なかなかどうして、難しい。すぐにできるわけないか。私は日本語で歌っていきたいんだけど、日本語がわからない人でも、声(音)を聞いて何かを感じる、何かを想像できる、目に浮かぶ(私たちが洋楽を聞いてそうなるような)。私の今、めざす(この言い方は好きじゃないけど)声、なりたい声はそれ。月までの距離ぐらい遠いんだけど。

 

「立ちつくす」先生は難しいと言っていたが、私にはその難しさがわからなかった。

 

私は好き嫌いが激しすぎていけない。そんなのまず抜きにして、人の歌を聞かなきゃ。それと私の短所は、人のよいところを見ようとしないところ。人が歌っているのを見て聞いて、なぜそんな声で歌うの?なぜ前を向いて歌わないの?怨念を込めるように歌うのはどうして?とそんなことばかり考えて、人の歌を認めようとしない。何かヤな性格だなーって自分で思ってしまう。もっと見方(聞き方)を変え、自分には何が足りてないのか、できてないのかを知る、人の歌からも学ぶ。

 

これから…まず、今の自分の声に自信をもつ。歌って観客がボサーッとなる、早く終わんないかななんて思われたらどうしよう、そんなことを恐れない声をまとめる、広がらないようにする(特に語尾)。今、たまに出るいいと思う声をものにする。声(音)の表現。

 

 

出演者への感想

 

 

この人らしさがしっかり出てるような、呼吸のままに構成がまとめられているような心地よさだった。すーっと耳をひっぱられた。人前に出るなら、せめてこんなふうに一つのステージを私もつくりたいと思った。

 

上を向いて歩こう」で泣いていたように見えたんだけど、それがイヤ味じゃなくて、私も何だか涙が出てしまった。と、いうことは、うまいということなんだろうなぁ。

 

「表情」彼女の満足そうな「ほほえみ」が私の心に残った。本当のことを言うと、私は以前の彼女(舞台

の)を見るのがとても嫌いだった。「形」から入っているのが気持ち悪かった。でも、今日の彼女の「ほぼえみ」にはうそがなかった。今では舞台の彼女を魅力的だなあーと想える。

 

「地」のようだった。プロみたいだった。この人は外国語の歌は本当に上手だと思う。スキがない、という感じがした。

 

ステージに上がってから深呼吸をするのはやめた方がよい。今日は、どの人の中にも「あーこの人のここがいいな」と思えるところがあった。でもやっぱり、嫌悪感を覚えてしまう人もいて…。まあ、誰にでも好かれる人より、よいのかもしれない。とはいっても、その人の歌を聞くのはつらいし、見ているのもつらい。

 

一人、歌詞を忘れた人がいて、その人は絶対、重要な問題と捉えて、この自己評価にも書くと思う。でもこれはキビシイことに聞こえるだろうけど、たぶん聞いているみんなは別に何とも思わなかったんじゃないか、これはなぜ?

一つに、そこまででひきつけていなかったから、別に歌詞を忘れて途切れても、パッと止まってしまわない。そこまでの流れがない。別に変化もない、驚かないというか、ガッカリしないというか。つまり、そもそも歌にひきつけられてなかったから、別に普通の問題として、こちらはしぜんに捉えてしまう。

 

自分も含めて、みな福島先生の言う「がけっぷち」に立っている気持ち、今、歌えるのが最後かもしれないという緊迫感からは程遠く、甘えている。