投稿 298
オリジナリティって何ですか。 オリジナリティ、独創性こそが大切なのだ、とよく云われますが私たちにとって、純粋にオリジナルなものって、あるんでしょうか。はたして他からの影響を何も受けていない、まったくほんまもんに独創的な音楽って作れるものでしょうか。
私たちにとって、ある作品、作家の価値を決めているものはいったい何なのでしょうか。さらに、それが分かったとして、そういう考え方は何に由来しているのでしょうか。
こういうことを考えてゆくと、実は様々な問題が含まれていることに気がつきます。たとえば、日本の音楽が、欧米の人々には、自分たちの真似をしているにすぎないと思われているという事実があります。これは私たちが日本人であるが故の、明治以来の責苦でもあるようです。
「向こうのエンジニアのやつが「日本の音楽聞くと、パターンがひとつで、すごくアメリカ的で、マイケル・ジャクソンがはやればマイケル・ジャクソン、マドンナがはやればマドンナみたいな音になってしまう。物まねなんだよ、お前ら』と言った。たしかにそんな感じが、言われてみるとズキンとするんです。」(アルフィーの高見沢俊彦・朝日新聞より)
ちなみに、この記事が出たのは二年くらい前のことなのですが、最近、彼は盗作問題で苦しんでいるようですね。「日本人の作る楽器(シンセサイザーを指している)は世界最高なのに、どうして音楽は物まねのガラクタばっかりなんだ。」(さる高名なミュージシャンがオフレコを条件に語った言葉)
これを読んでいる人は学生時代バンド組んでた人が多いと思うんですよ。皆さん、まず好きなアーティストのまねをしませんでしたか。と言うよりも、まねをする快感、なりきることの快感、これをあじわいたくなかったですか。
私の体験から言っても、みんな、オリジナルをやろうとする考え方が出てくるのは、いろんなコピーバンドを経験したした後でしたね。
しかも、お客さん達もよっぽどでないとオリジナルをいいといってくれることはありません。同じレベルで出来るのなら、みんなが知っているバンドの曲をやったほうが良かったと思ったことがある人、いるでしょう。それどころか、衣装、.しぐさ、癖(。)までも完全にコピーしてみせれば、それはそれで拍手喝采を浴びることが出来るのではないでしょうか。
そういえば、どこのクラスにも、先生の物まねのうまい人気者っていませんでしたか。まねも完璧にできればそれは芸術といえるかもしれません。本物の先生が現れてもちっとも面白くない。まねをすることに価値があるのです。
まねをするということ…これは、人間にとって本能的なものかもしれません。私たちが現在獲得している生活用式、言葉、知識…そのほとんどは「まね」に由来していることに疑問をさしはさむ人はいないでしょう。そして好きな対象の「まねをしたい」「同じものを作りたい」と思うことは、実は芸術の根源のようなものではないでしょうか。
現在、我々は、芸術というものは、ある個人の卓越した能力によって、それまではこの世に存在しなかったものが生み出されたもの、表現されたものと思っています。そして、その才能を称賛し、「著作権」を与え、保護するのです。
ところが実は、ある天才による独創の表出、という芸術の観念はかなり新しい時代のものなのです。それ以前の西洋における芸術の中心概念は(ミメーシス)というものだったのです。
十八世紀のフランスの哲学者バトゥーは、「人間の精神は本来何も創造することが出来ない」と言いきっています。そして、天才の役割は「存在しえないものを想像することではなく、'存在しているものを発見すること」だというのです。
そして、結局のところそれは「自然」の「模做」でしかありえない。
プラトン、アリストテレスにまでさかのぼる、この「模倣」の概念を単純に「コピー」と考えることには、多くの議論の余地があり、事実、長年論争の的となっているようなのですが、ま、小難しい話は哲学者に任せておいて、もっと身近な話をしましょう。
昔は、ビデオなんてありませんでした。テレビ番組は、その時間を逃してしまえば、もう二度と見ることの出来ない大事な大事なものでした。そして、たとえ見ることが出来たとしても、それをもう一度繰り返して見ることは出来なかったのです。
そのせつなさといったらわかりますか。みんな、カメラをブラウン管に向けたり、音声だけでもとテーブレコーダーをつないだり…二十歳くらいの人には想像もつかないでしょうけれど。仮面ライダー(ノリダーじやないよ)の絵を描ける友達は英雄でした。ノートの後ろに描いてもらったものでした。
私たちですら、そうなのですから、昔の人がどんなに目の前を通りすぎてゆく「時」というものを慈しんだか、想像するに余りあります。いつかは年老いて死んでゆく美しい恋人の、この一瞬をとどめることが出来たら。
「時よ止まれ、お前はあまりにも美しすぎる!」(ゲーテ)。
現在の私たちでさえ、この一分一秒が死への旅路であることに間違いはありません。昔の人には、ビデオもカメラもテープレコーダーもありませんでした。他になかったので、手元にあった石を刻んで像をつくり、絵の具で肖像画を描いたのでしょう。そして、その技術をも必死で「まねた」に違いありません。
「アー卜」と言う言葉には、最初は「芸術」という意味はありませんでした。それは、「技術」という意味だったのです。髪の毛の一本までも、まるで写真のように正確に描写することの出来た画家はきっとひっぱりだこだったでしょう。音楽なんて、演じられた先から消えてゆくのです。先生の完璧なまねが出来ないかぎり、後世に信えることは出来ないのです。
今では、ありとあらゆる物が再生可能で、複製可能です。別に演奏会に出かけなくても、レコード屋さんでCDを買ってくればよいのです。昔の一級の絵は、教会や、王侯貴族の館のものでした。しかし、今は美術館に行けばいい。行く暇のない人は、本屋さんで画集を買えば、ある程度の…昔の紳士に比べて、きっと私たちのほうが知識量としては上回っていることでしょう。
もしかしたら、もう何十年かしたら生身に近い思い出がいつまでもとっておける時代が来るのかもしれませんね。私がどんなに歳をとってたとしても、あの頃のままの君を抱きしめていられるときが。
これは聞いた話なんですが、某レコード会社には毎日たくさんのデモ・テープが送られてくるそうなんですよ。そして、その中にはいますぐCD化してもおかしくないような、プロのレコードと言われても分からないような出来のものもあるんだそうです。しかし、「こんなの結局、いま売れてるあれのまねなんだよなあ」と、ちよっと聞いてはポイポイ捨てられてしまうのだそうです(どこまで本当か分かりませんが)。
最近テレビで香港や台湾など、発展したアジア各国の歌謡番組を見ることが出来ます。そこにあらわれるアイドルは何と日本のアイドルにそっくりなことでしょう。衣装、ステージ設定、どこかで見たようなものばかり。実際、これらの国では日本のアイドルがびっくりするくらいに崇拝されているんですね。
日本人ばっかりのアイドル雑誌がものすごく充れているんだそうです。そういうのを見たときに、私たちが感じる気持ちは、先程の外人のと同じなのでありましょうか。私たちをまねるということは二重のものまねをやってるわけなんですかね。
(余談ですが、あまり知られてないことですけど、日本の『クイズ百人に聞きました』などのクイズ番組は、ほとんどがアメリカのクイズ番組のまねだそうです)
こんな詩を知ってますか。
そんな歌がある
みんな すててもいいような
たいそう古い
ものうげな かなしげな
私にだけ秘めた魅力を持つような
たまたまそれをきくたびに二百年
私の魂は若がえる
ルイ十三世の時代に
そして私に見えてくる
横たわるみどりの丘
そこに映えている黄色い夕陽
それから煉瓦の城
その角を石でかため
その簪ガラスは赤さびて
広い林野にかこまれ
そのすそを川にひたし
その川は花をわけて流れ
それからその高窓に 高貴な女
黒い目 金髪
そしてその衣装の古風な
どうやら前生で既に見たような…
それをいま
私が思い出しているような!
これは十九世紀の詩人ジュラール・ド・ネルヴァルという人の「幻想」という詩なのですが、この人の生きた口マン主義の芳香は、二十世紀末を生きる私たちにも届いているようです。
私たちは、このような感覚をどこかしら求め、賞賛していないでしょうか。
ドラマ等でよく言われる、「〜の血が目覚める」という設定のなかに。「何だか、遠い昔にどこかで会ったことがあるような気がする」というセリフの中に。「小指と小指が、生まれたときから赤い糸でつながっていた」というファンタジーの中に。「今度生まれてくるときはきっと一緒になろうね」という、傷物売り場に山と積まれた約束のなかに…
どういうものだか分からないけれど、他の誰とも違う、この宇宙で私だけしか知らない不思議な何かを私は持っている。そして私は、私から始まる神話を創造する。私.の作った作品は、これ以後の「典型」となり、私に続く人の模範となるものである。この何かとは、民族の魂かもしれなむし、千万先祖の声かもしれない。はたまた神の啓示かもしれないし、私の霊感かもしれない。でも、そんなことはどうでもよいのだ…と、こう信じる天才によって芸術は生まれてくるのでしょうか。
ふと思うのです。我々が自信にあふれたオリジナルを作って、誰かに聞かせたとき、「◯◯のあの曲に似ているね」と言われて、どきっとした経験のある人はいませんか。それが、自分でも良く知っているはずの曲だったることもあるのです。そんなときは、自分の創作力にすっかり自信を無くしてしまいます。
知らない曲に「似ている」と言われる事もあるのですが、もしかしたら、カーラジオかデパー卜の店内放送なんかで聞いていて、自分ではすっかり忘れているのだけれど、記憶のどこかにしまわれていて、ある時まるで自分の心の中からわき出たメロディーのような顔をして浮かんでくるのでしょう。
あのポール・マッカートニーでさえ、「イエスタディ」がどうもどこかで聞いたことがあるような気がして、友達みんなに、「こんな歌、知ってる。」と聞いてまわったそうですよ。
もちろん意識的にやるまねもあります。たとえば、日本の歌謡界(あぶねーな)。いわゆるパクリというやつですか。
知らないあいだに私たちの心を支配しているものに「流行」というものがあります。これについて、面白い話があったので、紹介したいと思います
「芸術は長く、人生は短し」という。人の一生どころか、何世代、何世紀にもわたって変わらぬ価値を保ち続けることこそ、真の芸術の栄光というものであろう。
だが流行は違う。それは年ごとに変わるものである。去年喝釆を浴びた衣装も、今年は何となく見劣りがする。十年前の服などとても着られたものではない。そうかと思うとまた古いものが復活してきたりする。流行とはまことにとらえ難い。
ジェイムス・レイヴァーの『趣味と流行』という本によると、その気まぐれな流行にもきちんとした法則があるという。それによれば、同じファッションが年とともに次のように変わる。
流行の年 スマート
一年後 見すぼらしい
十年後 醜い
二十年後 滑稽
三十年後 面白い
五十年後 古風
七十年後 魅力的
百年後 ロマンチック
百五十年後 ビューティフル
なるほど、そういえば、一九二〇年代のアール・デコ調は今や「古風」から「魅力的」になりつつあるし、百年前のティソの女性達の衣装、日本でいうなら鹿鳴館スタイルは、まことに「ロマンチック」である。
レイヴァーは、過去のみならず、未来をも法則化している。
一年前 大胆
五年前 恥知らず
十年前 淫ら
つまり、今「恥知らず」と言われているものが、五年後には流行の最先端を行くことになるというわけである。さて、芸術は本当に流行と無縁なのであろうか。
高階秀爾(東大教授・美術史)世界名画の旅(朝日新聞社)のコラムより
今年、日本ではある種の(?)写真集の売上げが、去年より大幅に上回っているそうです。この現象は、何年後かには、どう評価されているのでしょう。
私たちの心は、どこまで自分のものなのでしょうか。
フランスの芸術哲学者エチエンヌ・スーリオの言葉。
『うまく行けば、無知でもかまわないなどと考えたりしてはならない。無知にはいささかの長所もない。過去を顧みずに新しいものをうまく創りだそうと望んだところで、とどのつまりは過去が死んでいることも分からずにその過去を再び作りだすだけか、あるいはその過去が今でも持っている生気に溢れたものや、今日的なものに盲目になるだけのことである。その上、過去の中にはさまざまな偉大なものがある。それらを知らないということは、偉大さというものの意味を見失うことなのだ。』
ー
たくさん心に残る場面が登場した。それは俺を楽しませたり、悲しませたり、喜ばせたり、怒らせたりして俺のまわりを彩ってくれた。いろいろあるけど、捨てたモンじゃない。世の中、うまくできてんじゃんって感じ。1年をこうして回想するなんて事しないんだけど、今月は某ロック誌から原稿たのまれて、そいでたまたまこういう機会ができたってワケ。でも結構面白いよ。こうやって紙にベスト10何でもいいからあげてさ。いろいろ思い巡らせて、しばしの間、現実逃避すんの。
毎日、物思いにふける時間もないほど、せわしく生きてんだからさ。年に一回くらいはね、そんな時間があっても悪くないじゃん。
そんなワケで、もう十二月だもんね一。ぼんやりしてると十二月もアッという間だな。時の流れのスピードはマッハ3くらいでしょーうか。少しでもいいからそのスビード緩めてもらえないもんかね。そんなスピードの中でこんないろんなことがるんだからね。特に今年はスゴイ。俺の記憶の中じゃナンバー1だ。よくもまあ次から次へと。感心しちゃうよ。神様も大変だ。
事が起きるっていうよりか、何%かは起こす、って感じなんだろうけど。卜リガーを引くのは結局、自分ってことなんだろうな。でもそのgunに安全装置は付いていない。安全装置が付いていたらつまんないもんね。やつぱ。「人生は小説より奇なり。」よく言ったもんだ。この人はエライ。そんないろんなこと、経験したんだろ一か。俺も年寄りになったらこんなこと言えるといいな。願わくば、仙人のようなジジイに。それまではめいいっぱいのcool thingを経験しなけりゃいけないな。
何が待ってんのかね。「実は知ってるんです。」なんて人、でてこないかな。そしたら一杯おごって聞きだす。あー、でもなあ、やつば安全装値はない方がおもしろいなー。この計画一はなしにしょう。そんな人が出てきたら「易者になったらお金持ちになれますよ」と熱えてあげよう。こっちの方がよっぽどお互いのためだ。
これでは来年も何が起きるかわからない。ハラハラ、ドキドキの一年が過ごせます。そう言えば今年は厄年だったんだけど、「コリャたまんねー」といったことってなかったような気がするな。
いや、もしかしたら、波瀾万丈だったために、そういう意識がマヒしてしまってたのかもしれん。来年はまだ後厄ってのが残ってるらしいからな。気をひきしめていこう。
独自トレーニング法(英語の発音) 英詞ヴォーカルを目指す人に、いや多くの日本人にとって英語の発音は悩みだと思う。どんなに練習していると思っても、日本人である限りきえないだろう、心の奥底に劣等感があって、彼ら(主に西洋人)がすごいと思っている。
だから、英語で会話をするときにしろ、歌うときにしろ、かっこをつけようとしてるんじゃないか。、うまく発音しようと思う人が多いのがその証拠だ。彼ら(ネイティブスピーカ—)はしぜんなのに。
それが「ありのまま」の発音の邪魔してる。しぜんになるべきだ。もっと言えば「ことばを忘れること」が大事だと思う。それによって、イタリア語もフランス誑まできてしまうだろう。対象と一体化する、それはことばじゃない。
語学力のなさをそのせいにしてはいけない。人間なんだからことばは必要だ。逆説的のようだが、これが私の体感。彼らとフェアになること…むずかしく、かなわないことかもしれないが。何世紀もの呪縛だろうが。不可能だと思って埋没したくない。「日本語のヴォーカルでやっていくんだ」という人はそれでいい。だが、私は世界がある以上、そいつを見たい、知りたい。
発音の話に戻ると、前記した日本人の英会話生の涙ぐましい、うまく、きれいにやろうとする発音は私はしたくない。自分の英語収穫法はあくまで独自で、レンタルビデオへ行って块画のハミダシ刑事の毒舌なんかを真似たりする。発音もきわめて不明賺。だが、こういうのが自分にはしっくりはまって最高に気持ちいいのである。
「私と歌」「君は何故、プ口になりたいのか。」バンドのメンバーやオーディションの審査員たちに問われたことがあった。理論理屈を並べるのではなく、胸中にあることがうまく言えず、悔しい思いをした。
プロフェッショナルだの、アマチュァだの、単なることばでの執着にしか過ぎないものたちが自分の音楽性にどれだけ誇りを持っているのか、疑問だった。日本人でありながら、日本の音楽感の視野が狭いというのを知りつつ、されどそうならないための養成はどうしたらいいのか…あれこれと迷っていた。
劇団でのレッスンもみな、どこも同じようなテキストでおざなりであるのに、音楽スクールでも私が望んでいるマンネリにならない、魂がひびき合うように、息づくものがなかった。だからオーディションに合格しても断ったりした。
歌がうまくなるというのはお金を払って習得できるものではなく、外人のように、生まれたときから環境が財産で、そこから人それぞれのホリジナリティが開花していく…ごくしぜんの成り行きが人々を共感させる、最も人間らしい生き方に対し、「なんて機械的で、商業的なんだろう!」そんな中に埋もれてしまう世界なら、歌う意味がないと思った。
生きていて、時代の流れの中で、本当の自分を見失いそうで、叫びたくなるときがある。数知れない感情や思いを詞に託し、歌う。人間が奏でる唯一の楽器は鍛えるほど、私の人生の中に素晴らしい幸運を与えてくれるだろう。音楽は私を見捨てない。歌い続けるのは私の生きる糧であり、救世主でありたい、と思う。
振り返ると自分自身も含めて、一体何人の人が自分たちの声を届けることができたでしょうか。ここで声と言うのは、自分たち自身のことです。私は恥ずかしいことに自分の持ち時間を何とか格好よくこなそうということで精一杯だったのです。このライブを少なからず未熟なりに考える立場にいて、自分の時間やライブハウスあるいはもっと広い意味での空間を全体的に高めていこうとするがあまりにも足りないということに気づいたのです。
個人的なことになりますが、私もライブの最後を務めさせてもらって、結果的に内側から見れば決して満足のいくものではありませんでした。面白く思わない人もいたでしょうが、涙して見ている人も、足でビー卜を刻んでいる人も、覚えていてくれて一緒に歌ってくれる人もいました。その意味では成功だったと言えなくもないかもしれません。
私は自分が放出したものに対する反応をもう一度受けとめることができませんでした。最近とてもいい出会いをする場にめぐまれていて、今回のライブを見にきてくれたレコーディングエンジニアの人もその一人ですが、その人から、情熱は見えるけどだしきってないしおもしろくない、ヴォーカリストがまわりを食わなかったらバンドが死んでしまうだろーと温かい言葉をもらいました。
私がいろいろな意味で愛している人には、もっともっとユーのあがきがみたい、もっと強くならなくてはいけないと言われました。私のバンドを見てくれた人はどう思いますか。情熱だけでは足りない何かが他にあるということについて。それは今後の私の課題になるのでしょうが。
ライブの終わりに、私は「皆にとって今日がゼロからの始まりになればいいと思います」と言いました。でもライブが終わってからよく考えると、一体ゼロは何処にあるのだろうという不安に目まいがしました。
ライブの次の日、ほとんどー睡もせずに懇談会に行って、創ったら壊す、そして創る、この繰り返しだという言葉を聞いて、一瞬にして目が覚めました。
あたりまえのことができずに小さなことに悩みパワーを使い果している自分の弱さを知ったような気がしました。小さなことで立ち止まっていてはいけないのです。
ゼロになることは戻ることではなくて立ち止まらないことなのかもしれません。もちろん急ぐことでもないと思います。結局、答えは見当たりませんが、この企画が私に与えてくれた課題は計り知れなく大きなものだった、そう思います。この告白を機会に私は自分の中の水面下を語るのはやめにしようと思います。
はじめて出会った人から強烈な、あたりまえのことばを学びました。それは「歌っていること自体がポジティブだからその内容が後ろ向きとかは関係ない」という言葉でした。自分の身にしみる言葉でした。
あと他に感じたことですが、人の表現するものに対して聞く姿勢さみしい人もいると思いました。アートなものを格好のよさで判断していいものでしょうか。
これは個人的な意見ですが、音楽的に歪みがあっても、その人のできる範囲のことで精一杯出そうとしているのなら、その人の中の叫びを何か見つけるのも大切なことだと思います。音楽的にどう発展していくかはその人に任せればいいことではないのでしょうか。懸命なものに対して笑える人がいるというのはとてもショックでした。
格好良かったとしても、のどごしすっきりで後味の無いビールを飲んだ程度の存在感より、バリウムでも飲んで内蔵をさらけ出させてくれるくらいのインパクトを与えた方が美しいと思ってしまいます。もちろんどれが正しいとか正しくないとかそういうもののではないと思いますし、好みもあると思います。でも、何かを見抜こうとする姿勢のない人に、自分をつきつめていくことは難しいのでは、と思うのです。
自分も含めて、意識自体、もっと高いところに行かなくてはいけないと思いました。駆逐していく世界ではなぐ剌激しあい高めあっていく世界だと思うからです。みんな自分のことしか考える余裕が無さ過ぎて、視野が小さくなっているような気がしました。
否定的なことしか書いていないようで、嫌な感じですが「よかった」で終わらせては発展していきません。
楽しいだけのパーティでは終わらせたくないような気がします。他に楽しめる所はたくさんあると思いますから。皆の意見とは当然、違うと思います。そういうところで意見をもち会えるような関係が広がっていくと、ここ自体もいい意味で変わっていくのではないかと思います。文章では自分の意見が一方通行になってしまうので少じ怖い気がしますが、今回のライブで純粋に感じたことを書かせてもらいました。
何が何でも出たいという人が今回の出演者以外にすでに2組の申し出があります。
賁任もって次も行ないたいと思います。スタッフとして創りあげていく人にも出会えるといいなと思います。
B’zの稲葉君に憧れ、自己流で歌い始めた。去年の暮れ頃には、女の子バンドでガンズのコピーを演っていた。背伸びをすれば、ある程度までは伸びるものである。
が、すぐに行き詰り、福島先生の著書と出会った。先生の著書は、歌だけでなく、生き方にまで一石を投じてくれた。
バンドの方は、夢見がちで筋違いなメンバーたちに嫌気がさし、脱退。以後、よい勉強期間を得た気分で自主卜レに励んできた。が、「力は一人でなくてはつかない」とはいえ、同志を得たくなり、メン募を通じてドラム、ギ夕ー、ベースの男三人バンドに加入した。曲は、大部分がオリジナルである。
これは、今まで完成品ばかり聞いて真似てきた私にとって非常に新鮮だった。何しろ、私がヴォーカルを入れて曲を完成させるのである。よい仲間に巡り会えた。彼らの出す音には「音み」「音さ」がある。だから私は週一〜二回の音合わせが楽しみで、日々の自主トレにも力が入る。
バンドや歌に対する時間を充実させるために、専門職のバイトから、フツーのバイトへと移った。とにかく、今が楽しい。
皆さんは「主婦がバンドで歌うこと」について、どうお考えだろうか。偏見を持たない人は、おそらくいないだろう。何を隠そう、私がその主婦であり、四歳の息子がいる。夫は三十三歳(バンドマンではなく普通の会社員)。女の子バンド時代、実は、主婦であることをメンバーに打ち明けた途端に壁ができた。私も、本気で音楽に立ち向っていなかったから独身のフリなどしていたのだろう。しかし、今後は「主婦」いう言葉にビビるような連中とは一緒に演らないと決めた。そして私自身も本気で歌って行こう、と。
ライブ BONY MORONIE 急激に緊張してしまう。(ステージにあがるときには、自分が世界一のヴォーカリストだ。マジソンスクエアガーデンでやるまでは、絶対、緊張するわけがない!と思っていれば一生緊張せずに済むはずだったのですが…)
・動きがなくなり、顔の表情も硬い。ライト(スポット)があたっていると客席が見えないので油断から、客から見た自分の姿を予想して動くことができなくなってしまっている。
・メロもなめらかさがなくなり、自信のなさからマイクを遠ざけてしまった。(多分それが原因でミキサーさんがマイクの音量をあげたらしく、ハウリが生じてまった)
CALL ON ME
・少々落ち着いたが(一年以上、自分で練習している曲だったため)音程がフラットぎみ。不安定でコーラスときれいにハモツていない。
I’M ALONE
・大失敗作その一 モニターでオルガンしか聞こえなくなってじまい(音は出てるのですが)パニック状態に陥る。自分で歌っていて、バックとあっているかさえもつかめなぐなる。
・完全に見失ってしまい、コード進行を探っていたため、ギターソロ、オルガンソロ、次にドラムソロがくる予定のところで歌い出してじまう。すぐに気づくが非常に見苦しい。誰が聞いてもわかる間違いをしてしまう。
・しかし一度、間違えてしまうとあきらめがつき、居直り、強盗のような落ち着きを取り戻しはじめる。
TWIGTIN’THE NIGHT AWAY
・全曲中もっとも落ち着けたし、まとまりも出ている。歌詞の順番はガチャガチャに入れ替わっているが、この曲に閒しては問題ナシ。ソツがなくつながっている。
・問題なのは一番のおわりでサビをリピー卜しないでさがっておわる部分を、リピートするときの音程(あがる)と迷ってしまっているところ。コーラスも同時に同じ間違いをしてしまった。
・MCはヘタな小細工はせず、とりあえずしゃべりました程度のしゃべりにとどめる。別にかっこいいものではないが、まあよしとしよう。しかし夜八時にもなって「こんにちは」というのはいかにも情けない。
(※本来、自分で演出すべき部分で、バンドのカラーや性格をあらわしてじまうし、感謝の気持ちや補足して説明したいことを伝えられる重要な役割を担うものであると思う。今後、改めていきたい。)
CHILDREN OF THE MIST
・幻想的ム—ドと段階的な經りあがりが欲しい曲。歌い出しは控えめに。循環コ—ドで三度目のリピー卜からキーボードが加わり、徐々に歌い方も盛りあげていく。
・ところが、少しずつ前ノリになっていったツケが、すでに二度目のリピー卜のところがまわってきてしまい、調整している部分が見苦しい。四度目のリピー卜で力強く歌いあげ、ギターソロにつなぐ。この間、やっと一度ソデにひっこむが、その引っこみ方がイマイチ。マイクをつかむ間(ま)、(全曲スタンドマイク)も研究の必要あり。
・五度目のリピートも冒頭部分同様、控えめに六度目のリピートで最高潮に達し、高音で歌いあげる。しかし、個人練習でもフラットぎみになりがちだった部分で、やはりライブではその傾向がみれらる。日頃から感じている弱点がライブでは出てきてしまうものなんだなと実感しました。自分がもっとも聞かせたかった曲だけにくやしい。
DANCING IN THE STREET
・ドラムの激しいフレーズからはじまり、ギターソロ、ベースソロ、ドラムソ口をはさむので、少しハードな雰囲気にしたいということから歌い出しで叫んでみたがいまいち。キーが少し低めだったこともあり迫力にかけた。音程もかなりフラついている。
・間奏(パートソロ)の後も、自分の歌が間奏のその迫力を殺してしまっているように感じる。エンディングもテンポアッブして最後に超有名フレーズをつけてきめる。が、自分はソデにひっこむ予定が引っこめず、仕方なく頭を揺らしながら下を向いている状態。本人は非常に困っているが、きっと見ている側からすれば、邪魔にさえならなきゃどうでもいいことかもしれないと思う。ここはできれば引っこんで、各パートに注目させたかった。
JOHNNYB.GOOD
・大失敗作その2 結局、時間的に余裕がありそうだったのでやることになった。しかし、ものすごい音程の悪さ。前日になってキーをDからEにチェンジしたことが裏目に出たか。(しかし、Eの演奏にのってDで歌っていられたらひどすぎるが…)
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おすすめ
テレンス・トレント・ダービー
シェリル・リン
最近、リーバイスのCMの曲に使われている。
ポール・ギルバート—卜(G)
ジョリーン・ターナー
PJハーベイのCD
変でおもしろいです。自分の世界をつくってる人です。普通のロツクにあきた人は、是非、聞いてください。
kbラング
なんと快い声だろう。中性的で整ったルックスとあいまって実にひきしまった歌を聞かせてくれる。宝塚の男役もこのくらい歌えばよいのに。女性ファンが多いのも袖得。とにかくりんとしてかっこいい。
インコグ・ニート
エディッ卜・ピアフ
ちよっと聞いたことがある程度で、普段から私の歌への勉強不足がうかがえます。これからは意欲的にもっとよい歌とのふれあいを大切にしていかなければならないことを感じました。
私が普段耳にしている歌にくらべると、パワーという点で、大きな違いを感じました。また、そのヴォーカリストは、普通のポピューラーのヴォーカリストというより、声楽家のようにも感じました。
カルメン・マキ
曲の構成と声と歌い方があまりにもはまりすぎていて、彼女の(声の)パワーにのって、何かが終わり、もう二度と戻ってこない、その悲しみと、自分自身がその昔には戻れない、思い出せない愛をなんと破壊的に歌っていることでしょうか。彼女の歌の心が、ひしひしと伝わつてきます。
曲をまじまじと聽くことがなかったので、どれもこれもすごいという言葉でいっぱいです。
日本語以外で言葉がわからない曲であっても、何か声を通して伝わってくるものがあります。
非アングロ・サクソン系の超絶な声の人。
中村善郎。
パトリック・ヌジェ
AZASA
アメリカのいくつかのCHOIRと、何人かの牧師の説教のおいしい部分だけをその間にはさみこんだ、ショー的な聖会を録画したビデオ
とてもよいと思っている。
マドンナのライブ
彼女はとても力強い存在に見えた。彼女の体からあふれだす何かに胸を打たれて、そしてとても静かな気持ちになった。私にはことばが足りなくて、うまく説明できないけれど、そのとき私にはその気持ちは成功の感覚だとはっきりわかった。今まで感じた中で一番強いものだった。あの強さと美しさとまぶしさは完成しても完結しない。そういう彼女の生き方から生み出されるものだと私は思う。
そこには素晴らしい芸術としての彼女の世界、彼女の思想、彼女自身があった。きっと彼女はまたそれを壊していくのでしょう。私は共感せずにはいられなかった。胸がふるえてとまらなかった。とてもリアルに私の中で輝くから。リアルに私自身が反応しているから。
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活動
CLUB24 横浜
横須賀基地の中のGospel PraiseにFull Gospel International Choirのアルトとして参加。
同Choirのメンバーとしてニカ月に一回コンサート。