レクチャー 340500 352
こんな質問がありました。
Q1 ブルース・スプリングスティーンの声は、のど声なのでしょうか?
Q2 “息と声がひとつになって体から出る”という感覚がよくわかりません。
Q3 カラオケで歌うとき、高音が出ません。また、ブレスを正しくできるようになりたい。
Q4 バンドで歌っていたら、声帯結節ができてしまいました。声の出し方が悪いのでしょうか?
Q5 ヴォーカルのオーディションには、怪しいものがありますか?
Q6 陸上とヴォイストレーニングとは筋肉の使い方が全然違いますが、差障りがないでしょうか。
Q7 上体を曲げて息を吐くトレーニングをしていると、肩が凝るのですが?
Q8 1フレーズごとに息を吐ききってしまうのですが?
Q9 口笛を吹いていると、口先だけで歌うクセがつかないか心配です。
反洋楽的な言語を母語にして歌うということ
ここのヴォイストレーニングは、日本の音楽界において、かなり特別な位置にあります。それは、あたりまえのことを徹底してやっているからです。人並の声域を持ち、音感とリズム感があれば、トレーニングによって、声は相当出せるし歌えるようになります。ところが、多くの人は、何年たってもそうなりません。なぜなら、あたりまえのことをしていないからです。
声を思うように出せたら、安定してもっとうまく歌えると考えたことはありませんか。
外国人は、普段、話すところからしっかりと声が出ています。日常会話で1オクターブくらい使っていて、話していることばにメロディーがつくと歌になります。歌がとても身近にあります。
彼らは、しっかりとした発声をごくあたりまえにできるので、うまく歌えます。そのため、彼らの世界では、本当にうまい人、選ばれた人しかヴォーカリストになれません。
残念ながら、日本では、しっかりと発声ができている人は、ほとんどいません。ですから,チャンスでもあります。ここのヴォイストレーニングは、とてもシンプルで、あたりまえのことをあたりまえにやっていくものです。
日本は、その言語風土において、特殊な状態におかれていると言えます。かたくなまでに反音声表現、反音楽的なのです。日本語は、さほど身体を使う必要のない言語です。歌にストレートにならないところで話されています。
声は、人前で話す状況によって加工され、歌になるとさらに加工されます。日本語は、声とことばと歌に相当に距離があることばといってもよいのです。もちろんポップスは、洋楽路線であるからです。
ヴォイストレーニングは、本来、声を整えるものです。
発声を邪魔するものを取り除き、ひびきを統一して、声を完全に使えるようにします。
でも、日本人の場合は、しぜんに声にするところに努力を要します。
“息を吐くとそのまま声になる”ということから始めなければなりません。そこに重点をおいたのが、このヴォイストレーニングです。
日本人のためにつくられた日本人のためのトレーニング、外国人との差を埋めるトレーニングでもあります。
日本のヴォーカリストは、軽音楽にしろ、声楽にしろ、とかくハイトーンを目指し、声をつくってしまいます。もって生まれた声帯での本来の声の使い方に無理のかかる方向へいこうとしていることが多いのです。その結果、腹式呼吸さえ、声に結びつかず、声にボリュームが出てきません。
長く海外に出て行けないのも,そこに根本原因がありました。
歌唱レベルとして、海外で通用する日本のヴォーカリストは、とても少ないのです。
音楽は、ことばを、つまり、国を超えていきます。
日本のお客さんの求める声は、世界とは相当違うのです。
まるで、ワールドサッカーとリトルリーグほど、レベルに違いがあります。
日本も含めて、各国のキング、クイーンと呼ばれるヴォーカリストの声を聴いてみるとよいでしょう。
日本の場合、生活環境そのものが、声づくりの邪魔になります。外国に数年、住めば、それだけで、相当、声が出るようになります。それほど外国では、しっかりした声を出し、自分の意志を伝えないと生活にも支障をきたすのです。
体から声を出さないと意志が通じません。
それに、声を出すことは、もともと快感なものです。
たとえば、日本人の英語の歌に魅力がないのは、発声ができていないからです。いくら発音がきれいであっても、だめなのです。
どこまでの歌を望むのか
1オクターブの声域できちんと声が出たら、歌の場合、何の問題もありません。声がかれたり出ないとか、高音が延びないとかいう問題も出てきません。
声というのは感情を伝えるものですから、強く出すか弱く出すかです。
いつもキーの高さや音程などでトレーニングを考えているのは、日本人くらいです。それに気をとられているから、歌いこなせないのです。
出せるか出せないかでなく、どう出すか、いえ、“出す声でどう表現するか”が歌の練習です。
歌がひとつにならず、発声から出られなくなってしまいます。そうならないためには、体が声に特化していなけれなりません。
ヴォーカリストというのは、そこに存在していればよいのです。説明は戻りません。10秒でも、話したり歌ったりして、そのなかに全てがあればよいのです。表情や振りつけも、それを補充するもの、強調するものでしかありません。
ヴォーカリストは、自分の欲するところまで上達すればよいのです。ポップスは、特にそこが自由だから難しいのです。どこまで目指すかは、上達にとってのポイントになります。
「本格的なトレーニングに値する歌を歌いたい」と思わなければ、トレーニングがいらないわけです。腹式呼吸で歌わなければ、身体から歌わなければと、考えても、歌そのものに身体を使う必要がなければ身体は動きません。動かさない方が、楽だからです。今のしぜん体だからです。
のどですむような歌を必要としているのなら、ずっとのどを使って歌うでしょう。それですめばそれでよいからです。
でも、そこで確実に差をつけたければどうすればよいでしょう?
歌そのもの、声、センスで勝負したいとしたら。
トレーニングはそのためにあります。
ヴォーカリストというのは、声は1割でしかなく、あとの何割かはルックスやパフォーマンス、ショー的なスタイルでしょう。さらに、作詞・作曲、アレンジ、伴奏など、組み合わせです。
本当は、センスや表現力の上にそれがのるのですが。
声だけよくてもだめです。
しかし、声は、ヴォーカリストの基本中の基本です。
ヴォイストレーニングで得た確実に体の部分にあるものが1番強いのです。それは、10秒でもそのなかにすべてあればよいと言ったとおりです。
ヴォーカリストのキャリアほどあてにならないものはありません。それは、アマチュアのレベルでの年数に過ぎないからです。
ヴォーカリストには、楽器としての、のどを使いこなす技術が必要です。その技術とは、身体を完全に声に対して使えることから始まります。
ヴォーカル…身体そのものを声に特化する
ヴォーカルは、音楽の一部というより、最初は舞踏やダンスなど身体を使って表現する芸の方がよほど近いと言えます。スポーツのように捉えてみるのもよいでしょう。基本トレーニングを何度も積み重ねていかないと、応用がききません。
基本とは、長い期間、それは、一生続けなければ意味がないのです。何年たったらプロになれるとかいうものではありません。しかし、レッスンを受けていると、やがて自分で練習できるようになります。それでやっと半人前です。
最近では、2年では到底足りないと感じています。とはいえ、ポピュラーの世界なら声以外の要素も大きいので、自分の目標をどこにおくかによって違ってきます。
ここでのトレーニングを全うして、トレーニングのやり方の底にある精神を学べば、プロとして要求されるレベルのもの(日本では、はるかに超えたもの)が、習得できると思います。
私が行なっていることは、タレントではなくヴォーカリストの育成です。ですから、デビューの決まったような人ばかりではなく、地道にこれから力をつけていこうとしている人を主に教えるようにしました。
タレントとヴォーカリストは、違うのです。タレント志向の人も多いのですが、タレントには,他の要素が多く含まれてきます。ヴォーカリストの基本は、身体そのものが声に特化していくということです。
自分の声ができているかどうか迷うようなら、できていないと思ってよいでしょう。
できていたら即、使えます。正しいことはシンプルです。
声が使えるようになるには、それだけの身体が必要です。
「声を使えるようになるための身体を鍛える」というように、はっきりした目的を持たないと、トレーニングが成り立ちません。
トレーニングをしている人は、見ただけでもレッスンの1年目、2年目ということがわかります。
それだけのものを背負ってきているからです。それだけ、行わないと変わってきません。
質問に答える
「肩が凝る」、「息でクラクラする」などは、トレーニングの初期に出やすい症状です。息を続けて吐いていたら、そのようになります。一方、基本の力のあるヴォーカリストは、ビクともしません。
このヴォイストレーニングというのは、ヴォーカリストになった人が持っている要素を抽出してきて、それを身につけるというものです。形からではなく、身体から入る方法です。
身体ができていなければ、いくら音程やリズムのトレーニングをしても,正確さで終わり,心地よさに至りません。
ステージでも相当の体力が必要です。それだけの集中力と、人に与えるものを持っているかどうかです。
私は、「2年目が終わったときに、役者や外国人のようになっているように」と言っています。
そこから、やっと、まっとうに音楽の課題に入れるようになります。
ですから、ここで何ができるかというと、練習ができるようになるということと身体が確実にヴォーカリストに近づいて変わっていることといえます。
そうなると安心して見ていられます。自分で練習していてもおかしな方向に行きません。
わずか2cmの声帯で2オクターブの音を出すのです。きちんとトレーニングしていれば、出すところを間違うことなどありえません。それどころか、それだけの身体ができていたら、間違ったところで出すと、のどが持たないでしょう。
日本人の場合は、それだけの身体を使わないので、声がかすれるとか、声が出にくいくらいで済んでいるのです。調子がよいときと悪いときで声が出たり出なかったりするのも、何も確かなものを獲得できていないからです。そのような発声では恐くて使えないでしょう。
本来は、きちんと出せる1オクターブを持って歌に入るべきでしょう。3分間で汗ビッショリになるような歌い方をから覚えていかなければ、ヴォーカリストの資格がありません。
精神集中し、何か伝えようと必死になることです。あるレベル以上の声を出すには、それだけ身体を使います。
最初から60分間続けるなど無理です。ステージではある程度セーブします。そんなに使ったら体が壊れてしまいます。
ステージ、歌というのは、ヴォーカリストの最終的なレベルでの問題です。
「プルース・スプリングスティーンの声の出し方は正しいのか」という質問は意味がありません。彼は、あれで音楽の活動をしているのです。音楽や歌というのは、声を聞かせるわけではないのです。彼がのどで歌っていようがいまいが、60分や90分ステージをもたせられるのですから、彼にとっては、それが正解です。実績があって、ヴォーカリストとして一番大切な魅力があって、支持してくれる人間がついているのです。「あなたが彼のような発声をしたときのどがつぶれないか?」というのが問題であって、彼にとっての問題ではありません。
ヴォーカリストというのは総合芸術です。のどが強いからヴォーカリストだというものではありません。のどの弱い人の方が声そのものの質がよいとも言われています。ひとつのかたちにまとめて、ステージができるのなら問題ないのです。
ハスキー・ヴォイスは、のど声と混同されがちですが、声楽よりも身体を使うかもしれません。より深いところでより体を使うと、あのような声になるのです。音域的にはとりやすいと思います。声帯が理想的に使われているかどうかは別にして、それなりの技術があれば、とれます。
ただし、日本人で、そういう声をまねて、声を潰す人がいますが、自殺行為と言えましょう。声帯そのものを変なクセで潰すと、マイクにも声が入りにくくなり、高い音域が出なくなります。
声帯はもともと弱いので、使い方を間違えると壊れます。
壊れないのが先天的に強いとも言えますが、正しい発声というのは、理にかなった使い方をしているのです。休ませるところは休ませてください。
ヘヴィ・メタルになると、もっと極端な例が出てきます。HighCより上の音まで出しています。あれは、のども身体もすごいです。プロレスラーなみの身体をしています。
ですから、10代の頃はスポーツなどで身体づくりをしている方がよほどよいと思います。
柔軟運動やコアトレも覚えますし、ひとつのことを身につける過程での厳しさや基本的なことを繰り返すことの重要性がわかるからです。
プロとアマチュアのトレーニングは別物ではありません。どこまでつきつめてこなせ、どこまで気づいて、深いものを得ることができるかという差です。
トレーニングの方法はいろいろありますが、日本の場合、それよりも、本人の努力がなさすぎます。プロのピアニストやヴァイオリニストなどは、練習を休むことの恐さを知っています。
でも、日本の多くのヴォーカリストは、そういう次元ではありません。歌さえ歌えば、タレントでも、スポーツ選手でも、誰でもヴォーカリストなのです。そういうアマチュアとの決定的な差をつくるためには、身体のなかに全てのノウハウが入っていかなければなりません。
お腹から声を出すとか、呼吸法をマスターするという問題は、究極のところ、それだけで10年から20年かかる課題です。声楽なら、それくらい先に目標をおいて,20年以上かけて理想を追いかける世界です。
でも、ポピュラーで10年も待てません。声はあくまで自分を表現する道具でしかないのです。
声以外にも勉強すべきことがたくさんあります。10年間、毎日発声だけやっていても、ポピュラーは歌えないでしょう。
今、日本でまともな声で歌える人の多くは、ストレートに外国の歌手の影響を受けてきた人です。ヴォーカリストは、声よりも耳のよさが大切です。
「どうしてこう声がでるのか?」ということではなく、「なぜこの歌、この声に世界中の人々が共鳴するのか?」ということがわからなくてはなりません。
ジャンルではなく、共通する要素を聞くのです。それがわからなければ、本当の声はわかりません。
本当の声というのは、それぞれの人のなかにあります。ただし、それを完全に使い切るところまで、体を特化させていくことが必要です。そのためのトレーニングをして、2、3年後、そのレベルにたどり着いているのかは、わかる人にしかわかりません。それは教える側の限界でしょう。
私が会報を出しているのは、少しでも、皆さんが目的に向かって歩むために身につけるものをわかるようにしたいからです。
わかるかどうかは、素質やセンスなのかもしれないし、先天的なものなのかもしれません。でも、そうはいいたくありません。
日本の場合は、努力で出て行ける世界だと思います。
外国では、スタート地点から違います。ヴォーカリストになる人は、14、5歳からタップやダンスなどマスターしています。何千何万という人が、日夜8時間くらい練習しているのです。すごく努力しています。このなかから出ていくには、努カプラスα、才能、つまり選ばれた人しかやっていないのです。
私のところのトレーナーが、アメリカでサックスの人にヴォイストレーニングを受けました。サックスで吹いた通りに歌うことだったそうです。サックスやトランペットというのは、音色だけで全てを人に伝えます。ヴォーカリストも声のタメやひっかかりや、音色そのもので伝えていくのが基本のはずです。
聴いている人は、歌詞がわからなくても、そういうところに思い入れるのです。日本の場合は、そういった根本のことが全部、飛んでいます。ジャズでもブルースでも、のど声だったり裏に回した声だったりします。息と声がひとつにならなくては、表現はできません。
私の話していることも、内容よりも話している声そのものがノウハウなのです。息と声がひとつになって体から声を出すと、小さな声で話しても遠くまで聴こえます。口を大きくあける必要もありません。レコーディングのとき、この話し声よりもずっと小さな声も使います。大きな声より小さな声の方が体が必要なのです。
体にきた疲れは一晩寝ると回復しますが、のどにくるとあとに残り、調子を崩す原因となります。大きな仕事になるほど、負担は体で受け止めなければいけません。
日本語は、体を使わなくても言えますし、その必要もありません。
日本人は、普段から小さな声で話しています。そういう文化や風土の違いが、外国と比べて不利になる大きな要因です。
高音が出ないのは、中低音に問題があります。中低音がきちんととれていたら、高音が出にくいことはありません。上にどのくらい響かせるかというのは、バランスの問題です。それを声区でチェンジするとか裏声などで逃れていると、いつまでたっても高音どころか、中・低音も身につきません。
私たちが日常使っている声は、かなり操作された声です。それを操作しないで出せるようになるところまで体を使うことが先決です。
肩が凝るということに関しては、リラックスすることが基本です。
声のきっかけ(声たて)も忘れてはいけません。息を出した瞬間に声になるということです。
夏に軽井沢に50人くらいで合宿に行きました。そこでの最終課題は、「あおい」、「とおい」、「ラララ」をそろえることです。トレーニングしている人でも5、6人しかできません。
まず、ことばの段階で「い」を日本語のようにつくると、言えません。深いところで、ことばをそろえるは,なかなかの課題なのです。
音の高さをド、ミ、ソ、ドと変えた場合、どの音でも自分の使っている音域であれば、音色をそろえられなければいけません。メロディーの処理についても同じです。
「何もかも外国人のようになれ」というのではありません。
ただ、人類というもののひとつの共通したパーツを使うのであれば、インターナショナルに考えた方がよいということです。
手本は、欧米でなくても、アジアにしろ、アフリカにしろ、日本とは全然違います。西洋人のように顔のほりが深くなく鼻が高くないからできないなどということではありません。
本物の声が、本物の歌をおしえてくれる
業界にあこがれる人は多いのですが、根本的なところでの精神的な問題、方向を間違えないことです。ヴォーカリストは、仮にもそれを“ロック”と言いたいのなら、力がつくまで既成のものに乗るべきではないと思います。
ここにどういうプロをいるということを出さないのも、それに乗っかろうという人が集まると困るからです。その動機では、トレーニングが続きません。
何事でもそうですが、自分が行うことにおいて、No.1になろうとか第一人者になろうと思わなければ始まりません。
ヴォーカリストというのは、声が楽器です。声は、ピアノのように完成した楽器ではありません。だから、同じマニュアルで教えることができません。一人ひとりの持っている楽器が違うからです。
ポピュラーでは、目指すべき声も歌もスタイルも、それぞれ違ってよいのです。
ヴォイストレーニングというのは、自分の目指すべき世界を切り拓きつつ、特化したトレーニングをしていくのです。
その人の声そのものがまだ充分に使えない段階でも,それなりに、その声をうまく使うことも同時に行わなければいけません。長く伸ばせないとか高音が出ないとかの問題は、体で声を出していない限り根本的に解決できないのです。一時的な処方はできますが、それは操作することで、クセをつけてしまいます。ヴォイストレーニングでは禁じますが,歌唱では許容せざるをえません。
ヴォーカリストにとって、耳とともに、大切なのが、コアの感覚なのです。丹田(ヘソの2、3cm下)です。人間の体は、腰が中心です。基本のトレーニングをしていくと、腰で声を出すということがわかってくるでしょう。それがわからないと一所懸命やればやるほど、のどを壊していくこともあります。
「短期間で声がひびくようになった」などと、目に見えて上達していくときも、2、3年で見ていくと、反対方向に向かっている場合が少なくありません。2、3年かけてトレーニングし、体そのものがヴォーカリストとしての条件を備えていくまで待たなくてはならないものです。
プロのヴォーカリストが、いかに息を吐いたり声をキープすることができるかは、海外の昔のCDを聞くとよくわかります。特にオールディーズなどでは、わかりやすいでしょう。
ストレートにマイクに入れて録音していますので、息が全て入っています。
だいたい英語で歌うのなら、相当体から息を吐かないと声になりません。唇や舌を使っても、発音は正しいかもしれませんが、声は伝わりません。
皆さんに考えて欲しいのは、体に息、声をつけていけば、本人が求めるものが声にも出てきて、それは本人がその先に求めるものと一致してくるということです。
歌や音楽を声が教えてくれます。
操作してつくってはいけません。邪魔している要素を取り除くのです。
ヘタな発声練習を1時間するくらいなら、のどを開いて笑いころげていた方がよっぽどトレーニングになります。実際にやってみてください。体やお腹が痛くなって30秒ともたないでしょう。
体の支えや息がないと、どだい勝負にならないのです。これを3分間、さらに何回も繰り返しできるのが、そのままヴォーカルのステージの体力というものです。ですから、体を鍛えていくことが必要です。発声練習というのは、声を出すことだけが練習ではありません。本当に集中すれば、5分でも疲れるのが本当の練習です。