一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

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モノトーク  340610

 

人を引き込むということが最低限の条件だと思います。映画で感動するのも、お笑いで笑わされるのも、いつの間にか、その人の世界に引き込まれているからです。

講演会などで、1本調子に話されると退屈で眠くなります。でも、声のトーンを変えたりして話し方に工夫があると、知らず知らずのうちに聞き入ってしまいます。

歌では、会場の人を引き込むことが第一歩です。

私は、人前で話すことは、苦手ではありません。誰でも得意な分野があると思いますが、私の得意分野が歌であるならば、最低限基本となるよい声を身につけたいと思い、ここにきました。

 

たくさんの人と出会ったり別れたりしているうちに、みぞおちが固くなってきて、息が浅くなり、鼻歌も出なくなりました。自分のことばが出なくなり、こんな自分が暗くて嫌だなと思っていた矢先、ここのことを知りました。

そこで聞いた話しが面白く、自分が今まで大事にしてきたことと全部つながっているのだと感じました。今の私に一番必要なのは、深く息を吸って吐くことなので、ここに来ました。

全身で息を吸って吐くことで、自分が優しくなったり、強くなったり、素直になれれば、きっとまた楽しくなれるのではないかと思います。

声というのは、その人の状態をものすごくよく表しています。素晴らしい声になって、人生を楽しんでいきたいと思います。

 

僕がヴォーカリストになりたいと思ったきっかけは、高校生のときに聴いたドイツのハロウィーンというバンドです。そのヴォーカリストのハイトーンの美声に憧れたのが最初でした。もともとはベースをやっていたのですが、ベースそっちのけで、レコードに合わせて歌っていました。

でも、ただやみくもに歌っていてもしっくりきません。そのうち高い声が出なくなり、変な声になってしまい、歌うことがあやふやになってしまいました。大学ではベースでバンドに入りましたが、ハロウィンなどを聞くと、ヴォーカルをしたいという思いが蘇りました。ま

わりのヴォーカリストの歌を聞いてもパッとせず、自分がやろうと思いました。「ここで鍛えれば、外国人ヴォーカリストにも負けないヴォーカリストになれる」と思い、基礎からトレーニングしようときました。僕の目標とするヘヴィメタのヴォーカリストなみに歌えるようになりたいと思います。

 

“人とがつながって 何かが始まる

それは友情 それは愛 それは明日への旅立ち

夏の集いから何かが生まれ そして何かが始まる”

これは、私が初めて作詞をした「何かが始まる」という曲の一部です。バングラディシュに海外協力をしている民間の団体が主催する“夏の集い”というイベントのテーマソングになりました。歌ったり踊ったり、コンサートがあったり、1年に一度のお祭りです。私は、実行委員をしていて、このテーマソングを作り、歌の指導をし、自分でも歌いました。この歌は、会場に流され、多くの人々に愛され親しまれました。たった1曲の歌で、こんなに多くの人々を楽しませることができる、イベントを盛り上げることができるということを実感しました。

その後、人前で歌う機会が増えたのですが、どうしても自分の歌に納得できず、本格的なトレーニングをしたくてきました。私の歌は、“夏の集い”から始まっているのです。

 

私がジャズヴォーカルを買い始めて丸4年経ちました。ひとつのことを長く続けたことがなかったので、自分でも驚いています。好きなことでないと続けられないのだなと実感しました。

私が歌を始めたきっかけは、ある日本人ヴォーカリストに出会ったことからです。以前勤めていた会社が毎日残業で忙しく、会社以外に何か欲しくなった私は、ニューヨークへ旅行に行きました。そこで、ハーレムのアポロシアターでやっているアマチュアナイトを観ました。出るのはほとんど黒人です。白人が「マイウェイ」を歌って、すごいブーイングを浴びていました。そこへ、ミキという日本人女性が出てきました。彼女が歌い出した途端、私は鳥肌が立ちました。黒人にも全くひけをとらないすごい声とハート。歌に対してシビアな観客も拍手喝采です。私は、普段意識していなかった声というもの、自分は日本人なんだということを気づきました。異国で日本の女性がこんなに感動させていのだと思うと、自然に涙が出て止まりませんでした。歌ってすごいんだなと思いました。

何かやりたかった私は、帰国後すぐに歌のレッスンを始めました。でも、やればやるほど難しいです。最初のうちはレッスンに行くだけで楽しかったのに、自分の下手さ加減に、だんだん人前で歌うことが苦痛になってきました。

何故かわからずにいたところ、福島先生の本を読み、今の私は、人前で歌えるような人間ではないのだと気づきました。二の足を踏んでいましたが、先月再びニューヨークへ行ってプロの声に触れ、ここを決意しました。

 

自分のことについて話します。僕は自分の性格が好きになれないのですが、22歳になって、自分と向き合っていかなけらばならないと思いました。僕は気性が激しく、興奮したり、落ち込んだり、道徳的であったり、誘惑に弱かったり、両極端なのです。皆もそうかもしれませんが、楽観的になったり、悲観的になったり、自分をコントロールできなくて苦労しました。興奮して、人生は素晴らしいということを、歌で伝えられればと思い、歌っています。

最近、今この瞬間の自分が、その両極端のどちらでもないことに気づきました。冷静に自分を観察している自分が存在しているのです。これは、表現していくことにとって重要だと思いました。エキサイトしているだけではなく、どこかで自分を見つめなおしで、観察して、記録しておく。表現するということは自分をコントロールしたうえで、エキサイトした部分を皆にあげなくていけない。

難しいですが、基本的なトレーニングができてくると、それが自然なものにつながるのではないかと思います。テレビでプリンスのライブのリハーサルを観たときに、それをよく感じました。ステージの裏はとても緻密で、どんな状況にも対処できるように計算されていて、それでライブが成り立っているのです。そういうことから、日々のトレーニングの大切さを感じているこの頃です。

 

17歳です。小学校3年生から中学校1年までシンガポールに住んでいました。そのときボンジョビに衝撃を受けてヘヴィメタルが好きになりました。むこうにいた頃は毎日が楽しかったのですが、日本に帰ってきてからは、生活環境の違い(特に中学校の規律など)から、人間関係がまずくなってしまいました。

ひとりでこもって、レコードを聴いたり、音楽雑誌を読んだりしていました。そして、ヘヴィメタルがもっと好きになりました。そのときの僕の夢は、アメリカへ行ってヘヴィメタルのバンドに入ることです。2年後、僕はアメリカへ行って、音楽学校に入ります。

 

僕は英語の学校にいっています。彼は中卒で全部独学でやっていて、自分の信じているものを温めてやっている、“自分” がある人間です。彼を見ていると、“自分” がない自分にすごく腹が立ちます。彼といるとコンプレックスを感じて肩身が狭くなります。彼のほうは「僕のおおらかな性格がやりやすい」と言っていて、半年くらいいっしょに(バンドを)やっていました。でも、行き詰まってしまいました。今の状態でやっていっても、僕は彼のよきパートナーではなく、よき子分のような気がしたのです。そういう自分が嫌になって、一から出直そうと決意しました。全部やり直して、全ての面で自分を高めていきたいと思います。もっともっと苦労したい。そのひとつの手段として、外国に行きたいと思います。僕が英語の学校に通っているのも、そのためです。これから何年かかるかわかりませんが、自分を高めて、もちろん歌うことも学んでから、もう一度彼に会いたいと思います。そして、自分という人間をよく見せて、よきパートナーとして再びやりたいとというのが、僕の希望です。

 

 可能性を信じて 私は歌が大好きだ。一生、歌を歌っていこうと心に決めた。でも、「あなたは絶対、歌っていくべきよ」と言ってくれる人は、今のところ一人もいない。これは問題だ。早く一人でもそういう奇特なファンが現れ、その人から周囲にファンが伝染していく、というふうになりたいものだ。しかし、現実は厳しい。現実は、「そんなことをしても年をとっていくだけなのだから、早く家へ戻ってきなさい」と言ってくれる人がいるだけだ。

 

私は所詮、弱い人間だから、ときどき、すごく憂鬱になってしまう。やめようか、続けようか、何度も何度も考えて、そのたびに秤にかけてみた。そうすると必ず、続けていきたいという方の天秤が大きく傾くのである。

「あなたには才能はない」ということを、かつてハッキリ人に言われたことがある。しかし、才能があるかどうかは、ある程度の実力がついてからしか判断できないものじゃないだろうか。私はまだその基礎の部分が、全然できていないから、判断基準の外側にいるだけだと思っている。でも、逆に言えば、それだけ可能性があるということになるのではないか。世の中、たくさんの人がいるのだから、わずかな可能性にかけてみるバカがいてもいいじゃない、と思っている。

 

 

歌手とコスチュームの関係 たまたま、ある番組で、今とても人気があるという日本のロックバンドを見た。女の子たちの歓声がすごくて、人気のほどはよくわかったけど、演奏の方はさっぱり記憶に残っていない。そういうのも、彼らがみんな化粧をしていて、私はそれが気になって違和感で一杯だったのだ。

家の者にそう話したら、それはおまえが年をくって、若者の感覚についていけなくなった証拠だ、などと笑われたので、そのときは、そうかなあと思ってすませてしまった。

しかし、若者の感覚もないもんだ。化粧しているミュージシャンはいくらでもいる。それに私は、男の化粧は許せん!なんて少しも思っちゃいない。

私が初めて見た化粧男は、フレディ・マーキュリーである。中学1年のときだった。彼は化粧どころかブキミな格好もしていた。当時は洋楽ブームでクイーンやキッスは人気があったけど、気色悪いという人も、もちろんいた。でも私はフレディが大好きになった。クイーンが好きだという女の子は、たいてい、ブロンドでハンサムのドラムのロジャーが好きだったけど、私は断じてフレディがよかった。友だちと競って歌詞を覚え、廊下で「ガリレオ ガリレオ」と叫んで先生に殴られたりしてた。

化粧とタイツは真似しなかったけど…。クイーンやキッスの他にも、エルトン・ジョンとかプリンスとか、奇バツな人は沢山いる。好みの違いはあるが、違和感はないし「こういう人なんだ」と思えるだけだ。私が見たその日本のバンドは、何のために化粧しているのかよくわからない…と言うと変だけど、…そこに何の意味があるわけ。と思ってしまったのだった。ファンの女の子たちもそっくりに化粧して、みんなノリまくって楽しんでいるのだから別にいいんだけど。化粧をしている本人が、化した姿に追いついていないというか…私がフレディを見たときのような「おおおっ!」という衝撃もない。もちろん、フレディ・マーキュリーが登場した頃と今とでは、男の化粧に対する価値観が違う。当時は、男の化粧なんか、ただおぞましいものでしかなかったから、クイーンやキッスがショッキングだったのは、あたりまえだ。でも、そうだとすれば、今なら、なおさら「化粧している」ことなんか意識させないくらいの強い何かがもっと出ているべきじゃないか。

別にそのバンドをけなすつもりなんかないけど、つまり、どんなに思い切ったアイデアでも、使う人がそれを完全にこなせない限り、浮いてしまうんじゃないだろうか。…うまく言えないけど。

少なくとも私は、そのバンドを見て「化粧なんかしない方がいいのに」と思ってしまったんだ。似合うとか似合わないの問題じゃない。フレディ・マーキュリーの強烈な顔に比べたら、彼らの方がよっぽどきれいに見えたのは確か。だけど、もしも美しく見せるため、ということでやってるとしたら、逆に中途半端だ。彼らの中性的な顔はもっと美しく見せられるはずだし、化粧のテクニックをもっと追求するべきだ。

化粧に限ったことではない。何か表現するために、いろんな方法を使うことがあるけど、使うためにはそれがばっちりつきつめられていて消化されていなけりゃ意味がない。取ってつけたようなことをしても、芸術的、又は創造的なものにならないと思う。···もっとも私は、そのバンドの曲さえ全く知らないし、その日、初めて見ただけだから、よくわからないが…。

でも、もし私が、マドンナの、あのおっぱいがとんがったコスチュームを着てステージ実習に出たらどうだろう。そう考えれば、わかることではないか。

 

 

 

人を愛せない人には、歌う資格はないのか。写真週刊誌「フライデー」に、デビッド・フォスターという人のインタビューが出ていました。私はこの人のことを知らなかったのですが、グラミー賞を8度も獲得した、超大物プロデューサーだそうです。

で、彼のヒット曲を作る方法とは。

「自分のクルマの中で、ラジオを聞く。そしてそこに自分の曲が流れてくることを想像する。B・ブラウンとか、V・ウィリアムスとかのあとにね。それにうまくフィットすれば、米国でもヒットするだろうし、多少なりとも違和感を覚えたら、まず無理だろうね」

そういえば、BVの書棚に、ある音楽雑誌がありました。その巻末に、ヴォーカルレッスンのことが載っていました。そして、某レコード会社のディレクターが、「極端にバカな歌や暗い歌は駄目だよ。暗い歌にもいい歌はあるけど、やっぱり元気の出る歌がいい」という趣旨のことをインタビューに答えていたのです。

私は何だか意外な感じがしました。ということは、今の日本でヒットする歌受け入れられる歌というものは……。やっぱりCMやドラマに採用されそうな曲、と言うことになるのでしょうか。でも、よくよく考えてみたら、今の流行り歌はどうしてこんなにも「肯定的」で「元気」な「愛」の歌ばかりなんでしょうかね(私の誤解かもしれませんが)。みんな、これらの歌詞に書かれていることを本気で信じているのですか。こう言うとちょっと言い過ぎかもしれませんが、愛を信じていますか。(別れの歌も、もちろんたくさんありますが、それは決して愛の否定ではありません)

みなさんは、どうして歌を歌うのですか。何のために歌っているのですか。少なくとも、今の私には、いま世の中で歌われているような甘い言葉は言えそうにない。ラブソングは歌えそうにありません。

 

 

紹介するのは、民族音楽学者・小泉文夫(故人)の著作からの抜粋です。

“どの音楽も「それぞれの民族の喜びや悲しみを表しています」などということを私たちは簡単にいいます。ところが、世の中には、喜びだとか悲しみなどというものを表さない音楽というものがあるんですね。

南インド音楽は、人間の情緒や感情などを表すための音楽ではないのです。それではいったい何を表現しているのでしょうか。

特に南インド音楽が結びついているものは、天体の運行とか、季節の移り変わりとか、一日のなかの時間の変化で、たとえば、朝早いときにはこういう音楽を、夕方になってきたからこういう音楽を、真夜中にはこういう音階でというふうに決まっています。(中略)つまり、個人的な感情や願い、たとえば入学試験に受かりたいとか、彼女にふられちゃったとか、そんなくだらないものを音楽が表そうとしているのではないのです。

ある人々にとっては、人間の感情こそ一番すばらしいもので、それを音楽が表すのだと考えられます。オペラや大部分の声楽曲なんかみんなそうですから、人間の喜びや悲しみを表すのが音楽の目的だと思っている人も多いかもしれません。しかし、南インドの人に言わせれば、音楽はそんな、はしたない主観的なものを表してはいないのです。もっと客観的で超越的なもの、個人個人のものではなく、普遍的なものに価値があるんだと思っているようです……(中略)よく考えてみますと、じつは日本にもそういう音楽がありました。たとえば、皆さんご存じの「越天楽」だとか「陵王」だとか、いろんな雅楽の曲があります。「越天楽」は人間の喜びを表しているでしょうか、悲しみを、あるいは人間の恨みを······何も表していないですね……”

小泉文夫(民族音楽学者、元芸大教授)「フィールド・ワーク~人はなぜ歌をうたうか」より

ちなみに、小泉さんのおもしろい音楽話を手軽に楽しめるものに團伊玖磨さんとの対談「日本の音楽の再発見」(講談社現代新書)があります。

とはいっても、やはり私はそこまで解説できそうにありません。「我々現代人は以前としてロマン主義の後裔である」(ケネス・クラーク-美術史家)のですから。とすれば、軟弱な私にも歌えるのは、こんな歌でしょうか。

 

時とともに 皆 行ってしまう

顔を忘れ 声を忘れる

あんなに好きだった女

雨のなかを探した女

化粧の下に 偽りが見抜けた女

時とともに 皆 消えてゆく

 

時とともに 皆 行ってしまう

ひどい奴だと思った女

宝石を買ってやった女

おまえのためなら 命さえ

売ってもいいと思った女

時とともに 皆 片づいた

 

時とともに 皆 行ってしまう

年老いて髪は真っ白 凍える思い

独りぼっち でも それでいい

過ぎた月日に だまされただけ

そう 本当に 時とともに

人は もう誰も愛せなくなる

 

これは、日本でも大変人気のある「時の流れに」Avec le tempsという曲です。去年、亡くなったフランスの歌手、レオ・フェレという人が作ったものです。この歌の本当のよさが分かったような気がしたのは、つい最近のことです。最初は、単なる失恋歌、追憶の歌にしか思っていなかった。しかし、この歌は人間という存在の絶対的な孤独・絶望を歌っていたのです。

ついでながら、本当の芸術とは、この歌のように、出会うたびに新しい発見のある、そして私とともに成長する、私の成長と共に自己を開示してくれる、そういうものだと思います。

最後にもう1曲、シャンソンを。同じくレオ・フェレの作った歌で、「愛しあおう」という歌です(邦題は「愛するとき」)。この曲に出会って、私には「シャンソン」が自分の人生にとってかけがえのないもの、どうしても切り捨ててはいけないものになりました。私の歌ってみたい愛の歌とは、たぶんこういうものなのです。でも、愛だけが歌ではないとも確信します。多分、もっと違う何かを求めているような気がしています。

 

愛しあおう

一筋の柔らかな陽射しのために

死んでゆく落ち葉のために

冬将軍の 冷淡な眼差しの下で

 

愛しあおう この秋

全てがブロンドに染まるときに

ソルボンヌで授業の鐘が鳴り

鳥達が寒さに身を寄せ合わせ

荒れ模様の空が まだ青いうちに

 

愛しあおう

霧氷の仕立屋に

皮を剥がれたマントのために

クリスマスの飾りのために

愛しあおう この冬

鳥達のコンサートも終わり

地に着くほどに 空は低く

リラの季節を歌うにはまだ早い

 

愛しあおう

緑一面の絨毯のために

森の腕を 美しい陽射しに伸ばす

この愛の芽生えのために

愛しあおう この春

キンセンカの指人形が

うぐいすの歌に合わせて

フレンチカンカンを踊るときに

眠る大地の結んだ髪がほどけて

愛と命を また再び

交わしはじめるときに

 

 

 

 歌詞にちょっとこだわって 昭和64年の朝日新聞に「悲しき口笛美空ひばりの時代」という連載記事がありました。その9回目は、彼女の「声楽家」としての側面を振り返ったものでした。

私も、その記事を読むまでは、よく知らなかったのですが、彼女の声は歌謡界だけでなくクラシック界や音楽学者からも高い評価を受けていたんですね。いわく「多様な裏声が出せ、しかも使い方が巧み(宮川泰・作曲家)」で、「表現力にこれだけの幅広さをもった歌手は珍しかった(小島美子・音楽学者)」と。 また、クラシック畑の作・曲家・林光は「無類に音程のいい人だった。その音程のよさそのものが快感である人は、他のジャンルにも少ない。希有な歌手だった」と述べています。

しかし、彼女の再起第1作「みだれ髪」の作曲者・船村徹は「ひばりを他の歌手と区別したのは音楽的才能よりも文学的才能だ」と言うのです。「たわいもないオタマジャクシの並んだ歌謡曲を、あそこまでの芸にしたのは、歌詞の世界を解釈する才能、日本語の能力、想像力です。歌心というより詩心が決定的に違った。神業だった」と。

 

 

私の愛するブラジル音楽を紹介してみたいと思います。私の知っている限りのブラジル音楽は、とても哲学的、瞑想的で、サッカーやサンバしか知らない人たちには意外に思われるかもしれません。

 

そちらの世界のことを

だれがいるかを教えて下さい

私をしっかり抱きしめて下さい

もう私は帰るのです

 

私の気に入っているのは

計画も持たずに

また旅立つことが出来ること

更にもっていいのは

いつでも好きなときに

また帰ることが出来ること

 

毎日まいにちがいったりきたり

人生は駅で繰り返される

たどり着く人がいる

ずっといるために

去ってゆく人がいる

もう決して帰ることなく

やって来る人がいる

帰りたくて

去ってゆく人がいる

いつまでもいたいのに

やって来た人がいる

ただ一目見るために

笑おうとする人泣こうとする人

 

やって来たり 旅立ったり

それは同じ旅の二つの面

到着する列車は 出発する列車

出会いの時間は 旅立ちの時間

この駅のプラットフォームは

今 ここの 私の 人生

 

これはミルトン・ナシメントの「出会いと別れ」という曲です。この歌はもはや私の言葉です。私のアイデンティティ・ソングのつもりでいるのです。

私は、ただ好きだとかふられたとか、そういう歌ももちろん大切でしょうけれど、もはや歌いたいと思わないのです。それよりも、もっと普遍的なものごと、何かそんなことを言うと頭でっかちのように聞こえるかもしれませんが、実はとても簡単なことを歌いたいのです。そういう意味で、私は童謡や文部省唄歌が好きなのです。童謡や文部省唄歌は易しすぎるとか、逆に高尚すぎるなどと両極端の批判を受けて邪険にされてきたのではないかと思います。簡単な言葉で表される真理。それは、釈迦やイエスの言葉と同じではありませんか。

もちろんブラジルにも恋の歌があります。ここで紹介するのはブラジルで多くの歌手-私が知っているだけでも10人以上-が歌っている名曲「沈黙のバラ」です。カルトーラというおじさんが作ったサンバなのですが、彼のお葬式のときにみんなで合唱して別れ送ったという話です。もちろん私もこの歌に涙した一人です。

 

また私の心は 希望にときめく

ようやく夏が 終わるから

 

庭に戻ろう

きっと泣いてしまうのに

あなたが帰りたくないことを

よく知っているから

 

バラに嘆きを語る

ああ、なんて愚かなこと

バラは何も言わない

ただ香っているだけ

あなたから盗んだ香りを

 

帰ってきてくれなくては

私の悲しい瞳を見るために

私と同じ夢を

あなたも見たのだろうか

 

 

詩人・室生犀星は「自分が詩人として一度も間違わなかったのは、叙情詩の他には一切、手を着けなかったからではないか」と言っています。多くの文学者が、社会的、思想的なものにこだわりながら作品を作ってきましたが、今となってはなにやら虚しくなってしまったように思えるものがあります。戦時中は協力的の国体賛美の作品を多く作り、戦後は困ってしまった、なんて人もありました。だからといって詩人が恋愛事ばかりを主題にして、社会や思想にコミットしなくていいのかどうか。「時代の香り」と「変わらないもの」をどう取り入れるか。ああ、既に遠い昔、芭蕉と言う人は「不易流行」と言う言葉を使っていたのでした。

 

 

美しい女とは何か。シュールレアリズムの芸術家たちに大きな影響を与えたジョルジオ・デ・キリコの「街角の神秘と憂鬱」という作品をご存じでしょうか。その絵を見た多く人々は、「この風景を、どこかで見たことがあるような気がする」

と思うのだそうです。実際、私自身がそうでした。

そういえば、何年か前、ボイジャー海王星の写真を送ってきました。さすが海という名前が付いているだけあって、神秘的で、瞑想が凍りつくほどに青くてぼーっと見入ってしまいました。

そのときふっと思いました。この映像が送られてくる前にも、やはり海王星は存在していた。私たちがその美しさを知らなかっただけで。何十億年も前から、海王星は美しかったのです。しかし、私たちが生まれる前、そして死に絶えてしまった後でも、やはり美しいと言えるのでしょうか。美しいと判断する人間がいなくなってしまっては、それはただの物体なのか。いやそれどころか、この私が死んでしまったら、たとえどんなに他の人間が生きていようと、やはり世界は私にとって全く意味のないものになってしまうのでしょうか。人間の次に地球を支配する生命体は、私たちと同じ美的感覚を持ち合わせているでしょうか。

 

 

私は去年の今頃、会報に今回と同じ題の原稿を出しました。実は、この「美しい女」というのは、プラトンの「ヒッピアス(大)」の中で、ソクラテスとヒッピアスが「美とは何か」を論じあっているときに出てくる重要な言葉なのです(実際は「美しい乙女」)。

毎回、言っていますが、私たちの美の感覚はいったいどこから来たのでしょうか。私たちは音楽のよし悪しをどこでどうやって判断しているのでしょうか。そして、それを主張することに何らかの意味があるのでしょうか。音楽を好きなたくさんの人がいて、BVの中だけでもいろいろな音楽の趣味の人がいます。ある人が至高の美と感じている曲が、別の人には騒音にしか思えないことがあります。それでいて、だいたい衆目の一致した「名曲」というものがやはり存在しています。多くの人に買ってもらえるCDがあります。あまり知られていなかった曲で、あるきっかけで大ヒットするなんて事もありますね。

 

 

プラトンの著作に「メノーン」というのがあります。メノーンという青年がソクラテスに「あなたの大事にしている『徳』というものはどうやって獲得できるのですか」と尋ねます。ソクラテスは、「まず、徳とは何か、答えてくれ」と、いつもの調子で尋ね返すわけです。「国家の仕事を処理する能力を持つことや、友達の味方をして敵を害すること」等と答えるメノーンに、「それは徳の種類であって、私は徳の本質、徳そのものを知りたいのだ」とせまります。

メノーンは、「あなたは徳とは何か全然分かっていないのですか。知らないものをどうやって探すのですか。たとえ探し当てたようなつもりになっても、もともと知らないものなのにどうしてそれだとわかるんですか」と問い返しました。そういわれてみると確かに困ってしまいますね。BVの私たちにとっては、「美とは何か」と考えたほうが分かりやすいでしょうか。私たちは、あの音楽は美しい、あの人は美しい、等とよくいう。でも、どうしてそうだと分かるのですか。私たちはそう判断するための「美」の観念をいつ知ったのでしょうか。美に限らず、それまで知らなかったことを探究することは可能なのでしょうか。

ここでソクラテスは神殿の巫女から聞いた話をします。それによると、人間の魂は永遠不死なのであり、もしこの世で肉体が滅んでも、魂は神々の国に行く。そして、また人間界に生まれ変わってくる。だから、魂は神の国ですべてのこと、本当のことを見知って来ている。人生において、未知であることが分かり、ああそうだと納得できるのは、その見て来たことを「思い出す」からだ、というのです。

なんか突拍子もないことを言いだされた、という気もしますが、こういう考え方から有名なプラトンイデア論が出てくるのです。そして、現在に生きる我々も「遺伝子の記憶」とかいう表現を使ったりもしているのです。冒頭のキリコの絵。どうして、「どこかで見たような気がする」と多くの人が言うのでしょうか。この疑問に答えるためには、どうしてもそういうあらゆる人間に共通する感覚の記憶みたいなものを想定したくなってしまうのです。

ときどきどうしても、聞いたことがないはずなのにどこかで聞いたことがあるような、懐かしい記憶を呼び覚まされるようなそんな歌に出会います。今までは全くそれは偶然の出会いによって私の前に現れました。しかし、私からもそっちに訪ねていきたい。今日も私は中古レコード屋を廻り、みんなの歌を聞き、コード理論の勉強をするのです。私はキリコの絵のような歌を知りたい。そんな歌を作りたい。そんな歌を歌いたい。

 

 

校内ライブがありました。そのとき、私の歌を聴いた先輩方から、「1年のときに比べたら、ずいぶん大きな声になったし、歌もうまくなったけど、何か物足りないんだよなあ。」「なんか無機質。」「感情がこもってないよ。」などなど言われました。そこで私は思いました。(うまく歌おうとばかり考えて伝えることを忘れていたんではないだろうか。)と。

あと、英語の歌詞への取り組み方が甘かったと思いました。英語の発音、抑揚をはじめ、歌詞の内容も、心から理解していなかったのでしょう。私は、ライブを終えるごとに、新たに自分の課題を見つけるようにしています(見つけようとしなくても、出てきたしまうのですが)。みなさんは、自分の歌について、本音で厳しく評価・アドバイスしてくれる人がいますか。。そう考えると私は恵まれているのかもしれません。

 

 

好機 いろんな歌が聴こえてくる。ロック、シャンソン、演歌…。自分の好きな曲、嫌いな曲。スタンダードになっている曲、はやりすたりの曲。大御所や歴史的なアーティストの名演、名も知らぬアマチュアのオリジナル曲…。

パトリシア・カースのコンサートを観た。前半はしっとりバラードを重ね、中盤以降、一転、強烈なR&Bをたたきつけた。そして、アンコールは「バラ色の人生」をアカペラでうたってみせた。観客はみんな大喜び。でも僕はひとり腑に落ちないままだった。何が演りたいのかよくわからないとまどいを越えてしらじらしさすら感じてしまった。彼女自身はインターナショナルな存在ではあるけれど、「ヴァリアテ」と呼ばよるフランス人がうたうアメリカ音楽は、ちょうど日本のロック、ポップス界と同じように、フランス国内でしか通用しない、閉じた市場であるそうだ。

布施明は、ミルバの「愛遙かに」を自ら日本語に訳してうたっていた。さすがに一字一句までは憶えていないが、フレージングの鮮やかさが強く印象に残った。ところがエリック・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」は英語のまま。演奏スタイルもアレンジもあの「アンプラグド」のまさにコピーをステージ上に再現してみせた。そしてその編成のまま、お世辞にもよくできているとは言えないオリジナル曲を披露した。他の名唄がかすんでしまう一場面だった。

ディック・リーは自ら作、演出、主演したミュージカル「ファンティジア」の中で、現代のアジアに生きる者は、東洋と西洋、二つの異なる文化の結合の申し子であり、東洋の伝統と西洋の影響のどちらかを否定したり、あるいはどちらかに固執したりする必要はまるでないと訴えていた。しかし、劇中の歌の歌詞はすべて英語、メロディやサウンドの処理はほとんどアメリカ流であり、時折、挿入されるアジア各国の民族音楽や舞踏は、物語の進行とまったく関係のない「ショータイム」になってしまっていた。彼の言う「結合」からは程遠い「列挙」に過ぎなかった。

 

アメリカのヘゲモニーはどんどんおとろえてきている。次は日本にその順番が回ってくるのはまず間違いないだろう。ヘゲモニーを握っている国が文化的、経済的、政治的、その他あらゆる面で最も大きな影響力を世界に対して持つことになる。歌もまたしかり。アメリカ音楽が世界最強の影響力を持っているように、はたして、日本の音楽も来るべきときに世界最強となりうるだろうか。世界に問えるだけの持ち駒が僕らにあるだろうか。演歌を出すわけではないだろう。民謡や狂言地唄で僕らの心情を表現しきれるだろうか。未来永却、翻訳文化で終わってしまうのか。

 

ライブ実習の帰り、酒の席をもった。みんな悩み、あがき、努力していることがよくわかった。酔いも手伝ってか、かなりつっこんだ議論にもなった。「アメリカ市場を意識する必要などない。」という意見もあった。実際、アジア圏で成功している日本人アーティストはたくさんいるし、ヘゲモニーが日本に移り、アジア諸国が経済成長をとげ、購買力が上がってくれば、単純に人口を比べただけでもアジア圏の市場としての魅力には計り知れないものがある。国内では需要が鈍りぎみの電器メーカーがこの魅力あふれる市場をほっておくことはないだろうし、レコード会社も皮算用しているに違いない。ハード、ソフト共に虎視眈眈と狙っているに違いない。

そして問題なのはアジア諸国が日本を窓口として西欧を見ていることだ。日本のしていることがすなわち西欧化、西欧化することが、先進国化することだとみなしていることだ。薄っぺらな日本の音楽シーン、業界体質をそのままアジア諸国に持ち込み、彼らを追随させるようなことになってしまったら…。日本はまた大きな罪を犯すことになってしまう。商売を抜きにすることはできないけれど、市場がどうこういうより、どこへ出しても恥かしくない、本当に優れたものを創ることが一番、重要課題であることは言うまでもない。

日本は今、試されている。ヘゲモニーを担うに値するかどうかチェックされている。政治面、経済面、ひいては国民一人ひとりの精神面まで爼上にあげられている。様々な問題、矛盾が噴出し、見直し、再構成の機会を与えられている。音楽もきっと同じだ。この時期にBVが旗上げし、我々が集まったのも、そうした時代の流れの中において、きっと何か縁あってのことであるにちがいない。うぬぼれや思い過ごしだとしてほっとおくのもいいけれど、今はまたとない「好機」なのではないだろうか。本物になって本物を世に広め、みんな本物に目覚めさせて本物にしちゃおう。わずかでいい、自分も何かその役に立ちたい。

 

 

今の私は歌を歌うことが楽しくて仕方がない。歌の練習をしているときなど、心の底から好きだーという感情が湧いてきて、私を包む空気さえも歌うことを祝福してくれているような気持ちになることがある。

私はここに来る前、某ヴォーカルスクールに2年近くいたのだけど、そこでは歌うことの楽しさを味わうよりも、できないことに対する苦痛を味わう方が断然、多かった。もうこれ以上、伸びないのではないか、こんなことをしていても結局は無駄なのではないかと葛藤していた。

そんな折、1冊の本に出会い、大いに衝撃を受けた。もしかしたら私の中で眠っているものを呼び覚ます、きっかけになるかもしれない、と感じたのだ。

確かに、私はここに来て変わったと思う。声が変わったのではない、意識が変わったのだ。もうどうでもいいことに縛られるのはやめよう。歌を生活の中心にしたい!歌っていくことで障害が生じることがあるなら、それを捨ててしまっても構わない、と思うようになった。実際、つい数ヵ月前に、4年もかけて築いてきたものと安定性のある生活を捨ててしまった。でも後悔は全くなく、戻るべき所に戻ってきたような感じがして、ホッとしている。改めて、人は本当に好きなことしかできないのだと思った。

今なら、誰に対してもハッキリ言える。私は歌うことで、自己満足を得たいがために、生まれてきたのだと。

 

 

世界でひとつだけの私の声を手に入れたい。今の私のトレーニングの方法は間違ってはいないと思います。ただ、もちろん、これはあたりまえのことですが、私は今の自分の力に少しも自信が持てません。まだ体ができる程の時間にも練習の量や質にも達していないからだということはわかっています。とは言ってももの凄く下手ながらも、トレーニングを始める前よりは、私なりに多少の上達はしていると思っています。でも、私の歌は歌になっていません。歌詞を読む段階から、その歌の世界を思い描き、表現しようと試みるのですが、いざ声に出して言うと、どんどん頭が冷めていくのがわかるのです。歌ってみると、その瞬間からプロの歌手と自分の表現力や声の魅力の差を感じ、歌おう、表現しようとすればするほど、どうすればそれができるのか、わからなくなってしまいます。

これは、私という1人の人間が、まだあまりにも未熟だからなのでしょうか。“声”という媒体を通して人の心に訴えかけるということが、このトレーニングを始める前よりも今の方が、難しいと感じています。

 

私は長い間、エレクトーンを習っていましたが、エレクトーンで「歌う」方が、ある意味ではやさしいと思います。何しろヴォリュームのコントロールも音色の選択も自由自在にできるし、「言葉」がない分、想像力はある程度、聴き手の側に任されるからです(と私は思っています)。「歌」を表現し、人の心に訴えかけるのに、こういった楽器を使おうが“声”を使おうが、魂の込め方は基本的には同じものかも知れません。でも、楽器である1音を鳴らすと、誰が扱ってもギターならギター、ピアノならピアノの音が出ます(人によって多少の強弱の差があるでしょうが、その程度でしょう)。

それに対し、人の声は10人いれば10人全員が違う声だし、同じ人でも同じ音程で様々な表現ができます。ごくシンプルなメロディラインでも、人が歌い、表現するからずっと魅力的な歌になる、そう思ったら、私は魅力のある声を手に入れ、歌えるようになりたいのです。私しか手にすることのできない、世界中でたった一つだけの宝だから。

 

前回の課題を提出したときに書いた疑問は、愚問でしかなかったと思います。先生の著書やレポートを熟読し、理解して練習に取り組んでいれば、あんな質問が出てくるはずないですよね。余計なことを考えて立ち止まってないで、わからないときこそ無心にトレーニングする方が、はやく解決の糸口が見つかるのでは、そうすれば、まだ私の中に埋もれている「本物の声」に少しでもはやく近づけるのでは、と思うようになりました。

まだまだ自分の理想のイメージと、実際の力とのギャップのあまりの大きさに苦しんでいますが、今後も少しずつでも確実にその差を縮める努力をしていきます。

最後にもう一つ。以前、習っていたピアノの先生が、「ピアノの音は指で叩きつけて力で鳴らすのではない、腕の重さを鍵盤の底にしっかりのせるのだ。フレーズは指先が弾いていってくれる。指を立てて手を鍵盤から遠ざけてはいけない。自分の鳴らした音を聞け。」とおっしゃいましたが、これらはすべて声にも通じることだと思います。

 

 

昼食を買って公園で食べていたら暇そうな黒人さんが話しかけてきた。私の持っているウォークマンを見ると、「音楽を聴いているのか」と言う。「そうです。」と答えたら、今度は「誰の曲か」と聞くので「アレサ・フランクリン」と言ったが、これがどうにも通じない。唇をひん曲げて「アリぃ〜たァ…アリィ~さぁ…」とやるのだけど「?」という顔をされる。きっとこいつはアレサ・フランクリンを知らないんだろう、と思いつつスペルを教えたら、「オオ!アレサ・フランクリン!!」と言った。なんだ、知ってんじゃないか。

つまりは私の発音がなってないってことね。私は英会話ができないのだが、洋楽ばかり歌ってるくせに、有名なシンガーの名前ひとつ通じなかったのは、はっきり言って情けない。いつも発音には特に注意して、何度も聴いて歌ってるのに…もしかして、外国人が聴いたら、「これは何語で歌っているのだろう」なんて思われるかれしれない。どうしよう。それにしても、英語がわからない、ということが、私にとって新たに問題として浮上してきた。私は必ず訳詞を見るし、ステージ実習の自由曲やライブ実習の課題曲は、訳と照合してみて知らない単語は調べる。訳が手に入らないときは仕方がないから四苦八苦して訳し、感じをつかむ、という程度のことはしてる。しかし、やりながらムカつく。時間がもったいないから。歌詞の多くは文法的には対して難しくないし、中学3年くらいのレベルで直訳は充分できる。でも、英語にしかない表現があるし、ことばのノリもあるし、直訳以上に解釈しないと意味がない。私の頭では、ちょっと文が長くなると変換できなくなっちゃうのだ。

こんな分かり切ったことを、なんでもっと前からやっておかなかったのかと、まったくイライラする。今まで言い訳をつけて先にのばしてきた罰である。しかし、歌詞の理解以上に重要なことがある。そもそも私は、以前から不思議だったのだが、よく、「誰々のニューアルバムはロンドンでレコーディングしたもの」などと書いてある。私は、人にビックリされるくらい、音楽全般に関して知識がまるでないから、海外レコーディングをすると、何が違うのかさっぱり分からない。でも、そういうことよりもまず、その人たちは英会話ができるから行くのだろうか。行くからには、しゃべれるってこと?

そりゃ、通訳という手があるし、ブロークンで通じることもあろう。でも、それでは、レコーディングという作業はできても、本当に対等な立場での仕事はできないんじゃないかと思うのだ。

音楽という感覚的なものを扱うのに、ちんたら通訳を入れたり、ブロークン英語でへへへへ、と笑ってすむなんて信じ難い。

もちろん音楽はハートだから、歌詞がよくわからなくても、日本で洋楽はヒットするし、みんな楽しんでいるわけだ(ものによっては訳詞がついてても、てんで当てにならない訳もあるし)。だけど仕事ということになったら、向こうの人に以心伝心は期待できない。自分の考えは即、自分でバシッと伝え、皮肉を言われたら皮肉で応酬するくらいでなければ対等に話ができないと思う。自分で先のことを考えると、どうしても海外へは行かなくちゃならない。そして向こうの人と仕事ができるようになっても「私は日本人なので英語はわかりません」とばかりにアイソ笑いしなぞしてたらナメられるに決まっている。日本人だからこそ、英語でもって相手にわかるようにこっちの考えを堂々と言うのだ。

 

仕事というのは結局、人間対人間だ。相手の一言ひとことをいちいち聞き返してひいこらやるなんて、ちっともエキサイティングじゃない。ポールマッカートニーのコンサートに行ったら、ポールが「マタ・キテ・ヨカッタヨ」と言うだけでウケる。外人さんがカタコト日本語を使うと、なんかカワイイからうける。でも日本人がカタコト英語をしゃべったとき「かわいい」なんて思う感覚が、向こうの人にあるだろうか。「いいお天気ですねぇ」なんて言えたってしょうがないし。音楽のことだけじゃなくても、例えば「なぜ日本人は鯨を殺すのか」みたいなことを聞かれたら、自分で答えられないのは口惜しいじゃないか。それで、「コイツ、本当は歌詞の意味もわかってないんじゃないの?何しに来のやら、まったく」なんて思われちゃあ、たまらない。

日本語の歌が広く世界で愛されるようになれば、状況は変わるだろう。でも今は、こっちが英語圏に突入していくんだから、そこでナメられるわけにはいかない。バカにされてるのも知らずニコニコしていた、なんて、冗談でもゴメンです。

最初は、歌詞がわかるくらいに…と思ったけど、それじゃちょっと心もとない。···そうでなくても、声のほかにも課題だらけだというのに。英会話スクールへ行くような暇も金もない。だいたい、今しゃべれないものを“短期集中コース”なんかでペラペラになれるはずないし。私にはNHKのラジオか、その辺の外国人つかまえて話しかけまくることくらい、あとは机にかじりついてやることくらいしか方法がない。だけど、「留学したいからァ」なんてのん気にスクールへ行ってるリッチなOLとちがって、こっちはもっとさし迫った問題なんだ。スクールに大金を投入せずともしゃべれるようになってやるー。

そういうわけで地道な努力を開始した。唇がつりそうで困る。実は気が遠くなりそうなのだが、今さらやめるわけにはいかない。他に道はないから、黙ってやるだけだ。それにしても、本当のところ、海外レコーディングに行く若い日本のプロの人たちは、どうしているんですか。しゃべれるんですか、やっぱり…。誰か知ってたら教えてください。

 

最近やっとヴォーカルも楽器だと思い始めました。音にことばをのせていくということが、少しわかった気がします。でも、まだ私はいい声を出す楽器も、もっていません。他のメンバーと違って、お金を出しても買えない声を、まず努力で手に入れること、それから歌のレッスン…私の課題は始まったばかりです。

 

バンドでOzzy Ozbourneの“Crazy Train”をやったりするけど、イントロで“アイアイアイ…”をかけあいでやったり“カーッ”とかSEをうたってあそんでる。どんな発声をすればよいのか?いまだ宙ぶらりんの状態。求めるものは、疲れない(のどと聴いている人)。はっきりしている、はりがある。pp~ffまで、どの音程でも(低音で強くできない、高音で弱くできない)。広い音域。低音は下まで、各2~3音ずつ、高音はEまで。のどを疲れさせない歌い方はずい分と習得できてきたと思う。

 

「地声」ってなんだ?表現すること。歌い込みがたらないからか?詩の朗読(日本語・英語)がいいかもしれない。自分の音程に対する不安感。ドレミファソラシド~だけでも繰り返す。そう思うと、まだまだ俺は、人前で歌うのは早すぎるかもしれない。もっと歌いたい気持ちが高ぶらないと(EX.人を愛する気持ち)、それを待つべきなのかなあ。

 

 

会報5、6月号の詩、「自分に」を読んで。何げなくバスの中で揺られながら、この詩を読んでいた。「子供のとき、みつけた宝物、今でももってますか」この文章が目の前にきたとき、私は必死になって探してしまった。ようやく頭に浮かんだのは、小学校のとき、学校の図書館から盗んだ本だった。

 なぜか、ほっとしたと同時に涙が出てきた。ずっとそんなこと忘れてた。どうしてもほしいっていう気持ちを忘れていた。そんな自分を情けなく思った。「曲げなければ折れてしまう夢ってあるのですか」そう、曲げるから折れてしまうんだよ。何でこんなあたりまえのことに気づかなかったんだろう。妥協したり、諦めたりして落ち込むような人間には、私はなりたくないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おすすめ,活動

 

 

デビットシー、Mama I want to sing

 

サラ・ディヴィヌの「ツンドラ

 

6/15UFO

 

6/1映画の日に“シンドラーのリスト

もっと湿気の多い映画かと思ってたのに意外とカラッとしていたのにおどろき。ドキュメンタリーなタッチだったからでしょうか。シンドラーの人間くささに涙しました。

 

ティーリーダンのCD

 

6/17のクレッシェンド

 

7/15ホリーコール

 

6/17グラシェラスサーナ、簡易保険ホール

 

6/23ミルバ、青山劇場

 

6/12、Salem(ヘヴィメタル)のライブ

 

It's only Rock'n roll. Ozzy Ozbourneの“Tribut”

ヴォーカルはあとから録り直ししたらしい(!)。そういってた。そういえば、発売の時期がおかしい。Speak of Devilの解説には「いいテイクのライブマスターがないので、新たに録った」とあったはずだ。

 

BAD COMPANY

 

View Records、Miki HowardAaron HallCheryl pepsii Riley

 

エスカレーターズというバンドのヴォーカル

最近、コロムビアからCDを出したばかりです。私もライブでコーラスに参加したり、別バンドと一緒に歌ったりしてますが、とても声量もありよいと思うので、お勧めです。

 

Tevin Campbell

 

Journey

 

Cheap Trick

 

中丸三千繪のリサイタル

明治のアイスクリームのCMで使われていた曲が一番よかった。得意のレパートリーなのだろう。ニューヨークの教会を会場にしていたが自分も機械でなくしぜんな残響のあるところで歌う機会をもちたいと思った(昨年、暮れの京都合同練習の会場は多少、音のかえりがあってとても気持ちよかった)

 

エイドノアン・ブリュー

 

ホリーコール

サラヴォーン

アニタイカ

ティナターナー

昨日、店じまいの中古CD店でCD5枚とビデオ1本買って、それが全部、すごくよかった。

 

上野にあるカレー屋

インド人がやっていて、インドの歌謡曲がかかっているので、インドに行ったような気になれる(でも高いし辛い!!)

 

ZI:Kill

なぜか…。

 

ON AIR WEST 寺田恵子の100曲ライブ

夜7:00から、次の日の朝10:00まで途中、休憩を入れながら5回ステージにわけて100曲歌うというライブだったのですが、最初から最後までパワーがおちることなく声も乱れることなく100曲歌いきった彼女にとても感動しました。自分の持ち歌だけでなく、ジャニスやベッドミドラーの曲など、いろいろな歌を聞かせてくれました。もともと寺田恵子の歌や声は好きでしたが、ますますファンになってしまいました。あれだけシャウトして歌い続けても「苦しい…」と言わないで「気持ちいい…」と言えるように私もなりたい…。

 

E.Z.O

もう解散しちゃったけど。1stがメチャクチャかっこいい。曲が日本人じゃなきゃ、つくれないような。でも、マンネリじゃない。そんなカンジです。

 

ANA BELEN「VENENO PARA EL CORAZON」

 

“DIRTY HARRY”“GOLGO13”

 

池波正太郎 “剣客商売

 

JANISJOPLINの“JANIS

考えさせられる。感想を一言。彼女ってどうやら嫌われ者だったようです。友達もいなかったみたい。で、彼女は“歌を歌うと何も考えない。全てが一体。外へ自分が出ていく”と言ってました。たぶん、20数年間、内にこもってきた彼女の孤独や、自意識過剰ゆえの自己世界の完結と、疎外感などなど、全てをひっくるめたのが彼女の歌だったのかもしれません。彼女の顔って男にも童女にもおばあさんにも女性にも見えると思います。たぶん彼女の中では、自分が何才、自分の性が何、などなどは関係なかったのでしょう。彼女は彼女自身のこと、あまり分かっていなかったのではないかと思います。その内面の空虚感が、シャウトする肉体の感覚によって、埋められ(るような気がして)歌を歌っていたのではないか、そんな気がします。

彼女自身、“歌手になるとは思わなかった。しぜんにそうなった”と言ってるくらいですから。とすれば(ま、これはいろいろな歌手としての構成要素の一つかもしれませんが)、歌手というのは、自分に触れていく作業を答えもないまま、半ば強迫神経症のように追い求めていく人間であることが、自分の資質の中になければいけないのかな、という気がします。これは言ってみればキケンなこと(生命に対して)だと思います。訳の分からぬまま心にどこにも拠り所がなく、生きていけば、必ず破綻するからです。

ジャニスの27才(でしたっけ?)の死はそれを端的に物語っていると思います。かくいう私がこういう文をつらつらと書いており、こういうことをジャニスという映像と音声のポートレートから感じたということは、自分にもそういう資質があるからです。たぶん。人は彼女を見てどう思うのでしょう?同じように思うのでしょうか?芸術に破綻がつきものだといわれてきたゆえんというヤツが今さらながら分かります(分からされました)。

 

マイクケネリー

 

ロックセットの一番新しいアルバム。

 

グレゴリアン・チャント(CD)

 

エルトンジョン

“Empty garden”という美しい曲があるが、そこに出てくる“Johnny”というのがJohn Lennonのことだと初めて知った。こういうビデオでおもしろいのは例えばエルトンなら、彼が歌っている歌の背景がわかるために、普段何気なく聞いていた歌が、2倍も3倍も広がって聴こえることだ。そういう意味で授業っていいですね。

 

埼玉テレビ日曜夜11:30和田まことがVJの番組。E.Z.O、かっこいい。(佐々木)

 

ボニーレイットの新しいCD

カッコよかった。

 

Slum Dance

(アマチュアですが、R&Bのノリがなかなかよいです)。

 

ネヴィルブラザーズ

とても暗いサウンドが心地よい。

 

M.C.A.T.

MTVみたいなので、みたけど、なんかおもしろい。

 

CDアングラのエンジェルスクライ

 

國分康孝氏の著書

 

Suger cubes

ヴォーカルの女の子の声。(最近の発売ではありませんが。ちょっと古い)

 

「ときめき夢サウンド布施明

歌いっぷりがスゴイ。声域の限界に挑むキー設定、大胆なフレージング、くどいほどの感情移入、ほとんどBVのステージ実習みたいだ。レギュラーというわけではないが、ひんぱんに出演しているので要チェック。ちなみに「SAILING」も二月前ぐらいに歌っていたが、僕にとってはロッドスチュワートのバージョンよりもグッときた。

 

Robby Valentine

すごくいいと思う。

 

フジTV火曜深夜の「文学ト云フ事」

 

ジョニー・ルイス&チャーのフリースピリットというアルバム。

 

オリジナルラブの新CD

高い方の声がきちんとしている。

 

日曜の夜の番組、関口宏の「知ってるつもり?」

 

シオン

 

松田優作

 

Mama I want to sing、Cece peniston、Maze

 

7/19、プライマル・スクリーム(渋谷公会堂)

 

パトリシアカース オーチャードホール

 

6/11 リッキー・リー・ジョーンズ

 

5/23目黒LIVE STATION

 

5/26池袋サイバー

 

5/20リセットメレンデス ジャングルベース

 

5/27サルティンバンコ

 

7/3ミルバ

 

7/9タンゴアルゼンチーノ

 

5/17にナルシスのライブ

 

5/20 GRUBBY

ココバット」のGとDrのニューバンド)

シングル「STAB」HGファクトからリリース

6/17に浦和のライブ

 

6月20日下北沢シェルター

 

16(シックスティーン)のOpening Act

「FOOL'S MATE」のインタビュー、6月か7月号には記事がのると思います。