一流になるための真のヴォイストレーニング

福島英とブレスヴォイストレーニング研究所のレッスンアンソロジー

レクチャー  ヴォーカルQ&A  レッスンQA by トレーナー 16480字 362 365

レッスン録

Q音域

毎日トレーニングすれば、かなりの高音から低音まで出せるようになるのでしょうか?

 

Answer

音を求めるな!

使いこなせる声を目指せ!

 

声が出ている基準をどこに取るかということで違ってきます。

ポップスでは声楽のように広い音域が必要でありませんが、ヴォイストレーニングの成果としては、声域、声量が拡がるという面が一番、わかりやすいことは確かです。

どのくらい拡がるかは、実際にその人にやってみないとわからないところもあります。

ものすごく伸びる人もいます。

また、声の判断のおき方にもよるでしょう。

 

 

多くの人は、1オクターブくらい声域があり、トレーニングで2オクターブに拡がるだろうかと思うわけです。しかし、ここのトレーニングでは、本当に、その1オクターブが使えるのかというところから、チェックします。

もし、使えるなら、その1オクターブのなかでは、声に関しては、すでにプロとして通じるわけです。ここのトレーニングの基準では、半オクターブがOKなら、1オクターブ半くらいの歌は歌えます。1オクターブ、声についてOKなら、2オクターブの歌を歌えます。

それは、声に関してはヴォイストレーニングの方が基準が厳しいからです。

 

ただし、もっと大切なのは、声を確実にコントロールできるようにすることです。歌を聴いて、そのレベルがプロなのかアマチュアなのかは声域や声量で判断しているわけではありません。

声そのものが、きちんと使えているか、充分な表現ができているかをみるわけです。安定した強い声が望まれます。

 

たとえば、野球のバッターでいうと、100回バットを振ってみて、同じところにバットがいくかどうかが基本の力です。振るごとにコースが違っては、実践では使いものになりません。

 

ポピュラーの場合は、声のよさそのものや美しさよりは、強さ、パワー、あるいは最低限、声を支える力が重要です。風邪をひいたり、寝なくても異常をきたさないという声の強靭さが問われます。のどをつぶさないことと、無理な発声をしないことの上に、声量も声域も意味をもつのです。

 

 

 

Qのどの疲れ

いくら歌っても、のどが疲れないようになるのでしょうか?

 

Answer

のどではなく体に負担をかけ,支える!

 

ここのトレーニングをマスターしていくと、少なくとものどが疲れるようなことはなくなります。体から声を出し、体で負担を引き受けますから、疲れるのは体です。

体であれば、簡単には疲れません。一晩寝れば回復します。

しかも、使うほど、より強くなっていきます。

レーニングとは、体に負荷をかけることで、そこを疲れさせて強化します。

一晩、寝ることで一つ、覚えさせていくことです。

 

 

 

Q練習

正しいヴォイストレーニングとはどういうものですか?

それをやるとだったら、一日に練習する時間が長ければ長いほど、

よい声への最短距離になるのでしょうか?

 

Answer

「練習できる」力を2年かけてつけよ!

 

正しくトレーニングすることさえ、最初はできないでしょう。2年ぐらいたったら、ようやく本当に身になる練習ができるレベルになります。

 

ヴォーカリストという点で、力をつけるなら、今、日本でのほとんどタレントとして歌っている人やカラオケの上級者の人とは、区別しなくてはいけません。日本で非常にわかりにくいのは、これらの歌を歌う人をヴォーカリストと考えられていることです。彼らはヴォーカリストとは根本的に違う条件の上で歌っています。こういう人たちをめざすならタレント事務所にいくか、作詞作曲の勉強をすべきです。

 

ヴォーカリストとして、力をつけたいのであれば、カのあるヴォーカリストを目標にしてもらわないと、トレーニングの意味そのものがないのです。その辺の歌のうまい人と根本的に違う、一瞬でわかるうまさすごさとでもいうべきものが必要です。

単に歌を歌いこなせることではないと、わきまえておかないと、トレーニングそのものが成り立ちません。

 

海外のヴォーカリストで、CDで聞ける人たちを目指せば、まだ差がわかりやすいでしょう。その条件は、一声出せば、あるいは1フレーズ歌えば、もうそれでプロ、アマチュアでないとわかるというレベル、そこで、プロになるということです。

 

もっと単純にいうと、日本語がわからない人たちにとっても、歌の魅力が理解させられるヴォーカリストをめざすことだと思ってもよいでしょう。楽器の演奏レベルでの声とその技術ということです。

 

プロとしての前提条件は、ヴォーカリストとしての体と技術があることです。ヴォーカリストは体が楽器ですから、それをきちんと使えるように整えていくことが第一です。

1年たったら、1年分、ヴォーカリストに近づいでいる体になっていることです。

これからヴォイストレーニングをやっていこうという人には、トレーニングの最初は単純なことで、体が強くなった分だけ上達するようにやっていくのがよいと思ってください。

 

もう一つ必要なのが耳です。音楽である以上、耳の判断力が大切です。ヴォーカリストであれば、その部分は絶対もっていないといけません。自分の歌や声に対する判断ができないと、トレーニングそのものが身につかないからです。

 

この二つが、最も大切な要素だと思ってください。10代くらいの人たちは、歌一曲、歌えなくても、体と耳さえつくっていけばよいのです。

体と耳という器をつくらないと、後々、仕上げてから、器を大きくできないのです。基本である、ここに時間をかけるのが一番の正攻法です。

 

V塾は,原則、2年制で、2年間でできることは、練習ができるようになるといっています。

練習できるために必要な耳が備わっていかないとだめです。

これはプロレベルで、自分の中に音楽と歌に対する厳しい判断基準がつけるということです。そして、正しく発声をしていたら、のどはしまらないはずです。こうなると、いくらでもトレーニングできます。

 

ここのトレーニングで声を出すトレーニングでいうと、ある程度、基本が身についた人で、本当に集中できる時間は、大体、15~20分です。声を完全にベストの状態でコントロールできる集中力が、そのくらいしかもちません。

 

単に声を出して練習するなら、2時間でも3時間でもできる人はいますが、本当に身になっている練習の時間はそれぐらいでしょう。ヴォイストレーニングというのは、発声の基本のことをやらないといけないのです。

 

正しい方向は、体でいえば、今まで一生の中で声を出してきて、一番よい声が一つあったとしたら、それを確実に24時間出せ、さらに歌にまで使えるようにしていくことです。

 

 

 

 

Qオリジナリティ

他の人の曲を歌ってみて、その人特性、特徴をまったく取り入れず、自分が歌いやすく歌った方がいいのでしょうか?

 

Answer

口先でのマネはマイナス、声の音色で勝負できる力をまずつけよ!

 

基本的にそう思ってよいです。ポピュラーの世界では、まねは受けがよいだけで、表現にとっても、のどにとっても自殺行為になりかねません。その人と同じように出しても、その人に絶対にかなわないし、声そのものも似させようとするところから違っていきます。

 

プロは、歌うときに自分の体、筋肉、気質、性格などにとって、ベストのところでやっているわけです。あなたとは体そのものが違いますし、感情の入れ方や表現したい世界も違っているでしょう。

 

ものまねの方向にいくと、ものまねしようとするところで声帯を操作します。操作すると歪みがでます。自分の確実に出せる声をペースでもっておいて、そこに世界を創り歌っていくべきでしょう。

 

ヴォーカリストが、のどを痛めたり、のど声でしか歌えないのも、ロックやニューミュージックのヴォーカリストの悪い影響です。日本の場合は、極端な話ですが、プロと呼ばれている人をあまり、あてにしてはいけません。

 

のどを酷使するか、ひびきだけに逃して歌っている人が少なくないからです。彼らをまねてはいけません。見本にはできないのです。それは、個性で売っていて、声の技術がないからです。

 

ライブでその辺に出ている人だって、みんなは本当にうまいと思うのかというと、単に普通の人たちよりも、高い声が出るくらいでしょう。そうしたハイトーンは本当のハイトーンではないです。海外に出ていけないレベルのものです。

 

もう一つの特色が、作詞作曲の才能です。シンガーソングライターは別で、ヴォーカリストとは別の要素です。その才能を伴っている人が、日本では、とてもよく認められています。

 

たとえば、ティナ・タナーのように迫力ある歌い方ができる人や男性で30歳を超して歌だけは本当にうまい人が、どこかのプロダクションやレコード会社でデビューできるかといえば、多分、相手にされないのが、今の音楽業界です。

 

そういうことでいうと、ヴォーカリストの世界そのものが、日本では確立されていないです。その基準が、だんだんなくなってきていると思えばよいです。

 

ヴォーカルは楽器ですから、一つは音色としての声そのものの声質自体の魅力も必要です。それにことばがついて、楽器以上の表現ができるのであって、音色がなくてよいわけではないのです。

確かにことばと音程とリズムも大切ですが、それも多くの要素の1つにすぎないのです。声そのものも、その要素の1つにしかすぎなくて、大切なことがまだまだあります。その最も基本的なことが、音色での表現ということです。

 

向こうのプロのヴォーカリストを聞いたとき、私たちは、詞の内容のまえに、それを伝えるための声で判断しています。トランペットやサックスも、ことばがなく音色での表現で伝えるわけです。

 

サックスで出したとおりに歌ってみるようなトレーニングも大切でしょう。ことばはつけずとも、その情感を伝える部分が一番大切です。

これが日本ではトレーニングされていません。マイクつけてエコーつけてテープを切り貼りするなら、何にもトレーニングしなくても、できてしまうからです。だから、本当に上達しないのです。

 

ヴォーカリストなら皆もっていて、アマチュアには全然ない部分に気づき、それを身につけていくことです。

時間は長ければ長いほどよいのです。

ここのトレーニングの基本的な考え方は、自分の中に一番よい声があるとしたらその一音を歌に使えるところ、およそ1オクターブまで育てることがベースになっています。

 

練習すればするほど、ヴォーカリストがダメになっているのは、のどをしめて、くせをつけて、高音をクリアする練習ばかりしているからだといっても過言ではありません。

高い音といっても、単に音に届いているだけでは、何の表情もつけられません。それで2オクターブ3オクターブあっても、何の意味もないのに、出しているうちに出やすくなるだろうと無理しています。自己流でくせをつけていくから、つぶしていくのです。

 

ヴォーカリストとしての体の状態は、あるレベルに体かできるまでは、日常とは違うといってもよいでしょう。だからこそ、練習を正しくやって、そこを一日24時間のなかでなるだけひきのばすのです。ヴォーカリストの体というのは、普通の人とは息の吐き方も違うし、お腹の使い方も違います。それ自体が24時間拡大していき、365日になったら、そういう体になっていくと思えばよいです。

 

たとえば風邪をひいているときに、声を出す練習をやった方がよいかというと、声そのものよりも、体のハリや柔軟性を失うと、次に練習に復帰したときになかなか調子が戻らなくなります。

 

ヴォーカリストは、肉体芸術の世界だと思うとよいでしょう。ことばでシャウトして通用することをメロディやリズムが加わっても失わずに歌に入れられたら、本当の意味で通用します。よい声に近づく道となります。

 

このよい声というのは誤解されていますが、その人間が感情表現しようとしたものが、歌声とか音楽を意識せず、そのまま通用するようにしていくということです。何かを一言、ことばでいったら、そのままメロディを感じられるのが一番よい声だと思っています。

 

近道であるトレーニングを体から覚えていくことです。声楽の教科書をみると、ひびきをどこにあてて、のどを使ってなどと書いてありますが、あれは5年、10年やった人が調整するためにはよいかもしれませんが、初心者には無理です。単に高音に届かせるためか、プロが調整するトレーニングです。

 

プロになるためのトレーニングとプロとしての調整のトレーニングはまったく違います。早くプロになろうとしたら、強化トレーニングで、体に負担を与えて、その負担で身についていきます。

 

1週間に1日練習しても、10年すれば、あるレベルにいくでしょうけれど、2年間、期限を定めて、その中でめいいっぱい体を使って確実にしていくことも大切です。

 

気ままに練習しているのが、多くのヴォーカルです。他のギターやピアノの世界であったら、1日休んだらもう取り返しがつかないといわれてます。

本来、ヴォーカリストはそれ以上に厳しいはずです。体という楽器を自分で完全にコントロールしていかなくてはならないのです。

 

 

 

Qヴォイストレーニン

ブレストレーニングによって、歌うためのすべての問題が解決するのでしょうか?

 

Answer

声が使いこなせないと「表現」にはたどりつけない

 

ヴォイストレーニングと歌とは違います。

ヴォイストレーニングは、声域にしろ、声量にしろ、声そのものを自由に使えるようにするために器を広げることです。それだけ声の器を拡げて、何かを表現するときに、声がしぜんに使えるような体にしておくことです。絵でデッサンを学んだから,すぐに個性的な絵が描けるわけではありません。

 

ヴォイストレーニングの一つの結果として、ヴォーカル、あるいは歌や音楽に声を流用できると思えばよいでしょう。ですから、役者さんや声優さんも、このトレーニングをやっています。

歌なら、こう表現したいからというイメージがあって、やわらかく出してみたり、語るようにしたり、低い音でも強くだしてみたりできるように、声のキャパシティを広げていくことも必要です。

 

日本の場合、役者さんや声優さんのトレーニングの方が、まだ的を得ているようです。声そのものが変わっていきます。声を何時間使っても、つぶれないようにして、カン高い声でもシャウトできるようにしています。しかし、ヴォーカリストはそうではなく、逆に出ない高音発声を無理して、声にくせをつけてしまっています。

 

才能に関しては、私は後天的な影響が大きいと思います。日本人が外国人にどうしても劣るというのは、彼らのように幼いときからずっと音楽的な環境のまえに、個を主張す環境におかれてこなかったためです。

 

音楽自体が生活や人々の心にあまり入っていない日本で、しかも、最近は、歌といってもほとんど安易なBGM的な歌い方のものが多いでしょう。皆さんが聞いてきたものも、日本人特有の、のどをつぶしたり浅い声である場合が多いです。

 

あなたの両親の一人がオペラ歌手で、一人がゴスペルの歌い手だったら、あなたの声自体の問題は、ほぼ解決しているしているでしょう。頭の中にそういうイメージがはいってれば、声は自由にでてくるからです。

日本は大きな声が、あまり評価されない文化であり、日本語ということと、声のおかれている環境がマイナスに影響しています。

 

才能といえば、声楽家などは家系や遺伝的要素が、どれくらいか調べてみると半々といったところです。音楽に関しては、三代くらいの血があるともいわれていますが、そういうところで育った環境というのは、よい音楽を聞かされ、よいものを見せられて育ったわけですから、先天的な要素として区別できないわけです。

 

血統というのは、否定されると思います。さらにポピュラーの場合は、時代と共に動きます。どんなに才能ある親から生まれても、時代が動いて、音楽自体の価値観が変わっています。

 

とはいえ、アメリカあたりでは、才能ということがよくいわれています。14歳くらいからタップやダンスなど、すべてのことをマスターして、芸で生きようとしている人が、何万人といるわけです。

そういう人たちは、日夜何時間ものトレーニングをしています。日本の場合はそれだけのことをやっている人がほとんどいません。向こうで鍛えて、日本で歌うというのが一番、楽な道のようです。

 

本格的にトレーニングを考えるなら、世界を目標にして世界に通じるところまで頑張りましょう。人類共通の体まで一度、戻ってみるほうが簡単なのです。

日本人の中で、ヴォーカリストとして5年、10年も歌ってきた人たちの声も大半はダメです。基本がなくて、悪いクセの上に、どんどん自分勝手に発声をつくっていくからです。それならやらない方がよいのです。

 

レーニングにプロとか、アマチュアという区別はありません。体に身についているかどうかです。体はバカ正直です。やると、相当強くなります。そこから馬力やパワーもでてきます。

もう一つは、耳、つまり判断力、頭が必要です。一流のヴォーカリストの人が歌っているのを聴いて、どうして声が出るのか、何がよいのか全然理解できないというのでは、同じ土俵にあがれません。

 

一流の人の歌を聴いて、体の動きまですべて、自分の体に還元できて、自分の体ではまだまだ弱いなどと、置き換えができてはじめて、その距離がつまっていくわけです。

体だけやればよいのではなく、体と頭と両方です。考えることも大切です。プロとしてもっている条件をすべて入れていき、それをなるだけ口先で操作しないで身につけていきましょう。

 

ヴォーカリストの場合、めちゃくちゃに叫んでも、伝わるところがあり、それが極端にいうと音楽となるわけです。そこが感情移入とか心といわれてます。その部分は確かに必要です。音程やリズムより体が、その前に声の技術があります。

 

たとえば、「あおい とおい ラララ」と三つのことばを同じ音質にそろえることが、できる人はほとんどいません。「あおい」というときにイメージを浮かべて何か喪現しないと伝わらないかというと、そうでもなくて声がプロとして使えていれば、伝わるものがそこから出てきます。

 

ヴォーカリストはそれを再構成すればよいだけです。これが、技術の力です。ヴォーカリストにその部分があると、伝わる人には伝わります。もちろん、その上にいろんなものをのせていくことが大切です。しかし、声そのものをつくっていかなければならないのです。

 

話よりも、トレーナー自身、どういう声を出しているが、その声がノウハウです。その人とつきあっていくなかで、その人の発声の原理が自分に移れば、それは芸が盗めたことになります。単に習うだけではなくて、自分で盗んでいかなければなりません。

 

V塾に入ってくる人のなかでも、本当のところでわかっているのは、一割か二割くらいでしょう。わかってくれたら、確実にヴォーカリストになれると思うのですが、わからないのです。

それを伝えようど、会報や本で説明を繰り返し,スタジオ内外でも、いろんなことをやっています。

 

なぜわからないのかというと、第一に一流のものをきちんと聞いてきていないこと,聞いていても判断ができていないことです。それは、体で表現する必要性を、本当にその人が感じていないからです。体で歌うというのは、口先やのどで歌うよりも大変なことです。

 

本当に歌いたいと思い、皆を一声で感動させるぐらいの大きなものを出して、その場を動かしたいと思ってはじめて、体が動いてきて声が出るのです。自分なりの判断基準ができ、自分の通用する声ができて音楽に使えるのです。

 

 

最初はみんな基本の習得に頑張りますが、少したつと、何とか歌えるようになってくるので、そこで知らずと妥協してしまうのです。ただ、私からそういえるだけで、本人にはどうでもよいことになるのです。なぜならヴォーカリストは、自分がよいと思うところまで、上達すればそれでよいからです。

 

ヴォーカリストの上達で、一番難しいのは、自分がここまでだと思ったところまでしか伸びないことです。このレベルをどこにおくかにもよって、伸びが決まります。

単にうまく歌いこなせても、人に対して何かインパクトを与えたり、動かしたり、元気を出させたりする力は、それだけではなかなか出ないです。

 

歌というのは、まとまりの度合いですから、芯がないのが、一見、よく聞こえます。声が小さくても、やさしくていねいに歌うとうまく聞こえます。カラオケは特にそうです。そこで間違え、小さくまとめていってしまうのです。

 

全身を使い思いっ切りやろうとすると、歌としては雑になります。最初はそれもトレーニングになります。大切なのは器を大きくしてパワーをつけることです。その器をコントロールできなければならないのですが、体というのはわかりにくいのです。

 

声をだすのにも腰のところに意識をおきます。何事もそうですが、体を部分的に使って、まともな世界を築けた人はいないです。自分の体が最大に使えるようにバランスをとりつつ声を出していきます。

 

声も同じでしょう。のどで歌ったり、頭の方でひびかせるだけなら、何も伝わらないのです。意識が体に入ってきて、体でだせなくてはいけません。その中心が腰のところです。一流のヴォーカリストは、大体そういうイメージで歌っていると思います。

 

 

日本語の場合、口の開け方は関係ないです。歌は無表情ではいけないので、口をきちんと開けますが、口を動かさなくとも「アイウエオ」ははっきりと増えます。日本語は、体を使わなくても、声になってしまいます。これも、日本人が発声のときに体を使えない理由の一つです。

 

声ができているかどうかわからないときは、腹話術のように考えてみてください。体の腰の部分に、声がきちんとついていれば、口をあまり開かなくてもはっきりとことばを伝えられます。女性の場合、声が体につくのに少し男性より時間がかかるようですが、そうなっていきます。

 

体を使っていると、どんなに声が小さくても遠くまで聞こえます。これはうまく共鳴しているからで、マイクに入る効率もよいのです。それを支えているのは、体と深い息です。普通に話すよりも、小さく話し、はっきりと聞こえるようにするには体を使います。しぜんに話すことが、声になって、歌に聞こえて、そこからメロディが出せればよいのです。ヴォーカリストは、そういう条件を満たさなくてはなりません。

 

英語でいくら正確な発音で歌っていても、発声ができていないから、外国人のような魅力がでてこないのです。ジャズ、ゴスペル、ブルース、日本人はのどで加工しています。本当の声であれば、低い声にさがってきても、体に入っています。体にベースがあります。

 

本当に力をつけるのであれば、結局、遠回りのようでも、体から変えていのが一番簡単です。日常生活のなかでもトレーニングできてます。ヴォイストレーニングは特殊なトレーニングではないのです。正しい判断をもつ耳で持続したトレーニングをするだけです。

 

 

本当に声を使おうとすると、一時的に歌がへたになります。本当の声を使うことを知るには、今まで使っていた声が、どれだけ使えないかというところを、知ることからはじめた方がよいでしょう。

 

古い声のイメージを壊して新しくつくり、正しくもっていき、より本物、一流のものに近づけていきましょう。声の土台づくりです。それを一流のものに対し、自分がどこまでできるのか、常に問いながらギャップを埋めていく繰り返しになります。

 

私自身の価値観を押しつけるのではありません。そのようにトレーニングをやっていこうと考えた方が、ヴォイストレーニングとして効果があるだけです。

 

なぜ、本当にうまく歌えないかというと、本当は1オクターブもできないのに、2オクターブも出そうとか、高い声ばかりで歌っているからです。

その音をとるために、のどの使い方がひずんで、ほとんど声量やヴォリュームも保てないところで、無理を重ねているわけです。高い音になればなるほど、大きな仕事量を必要とするわけですから、体をより使わなければおかしいはずです。

 

大きな仕事をしようと思ったら、重心は下にいきます。あごが上がって、ひびきをのせて音に届かせているのでは、表現しきれないのがあたえまえです。まともな世界では通用しません。たまたま器用で、他の要素があるから、お客がついているのです。

 

 

体がつかないと、ことばもはっきりといえないし、いつまでたってもうまく表現することができません。ここのトレーニングでは、最初は声を太く強く大きくするように指導しています。これは、太くとることがよいのではなく、あくまでバランスの問題ですが、同じ音なら太くもっていた方が、そこから声域声量をとるのが楽になるからです。日本人はその深いポジションをもたないまま声を使おうとするから、のどがどんどんとしまってカン高くなってしまうのです。

 

レーニングの最初の目的は、上のひびきを使わず、1オクターブ、つまりドレミファソラシドといえることです。そうすると、のどが開いているので、高くなったときにも、しぜんとひびいてきて、そのひびきをコントロールできます。

 

このトレーニングが声楽と違うのは、ことばから入ることです。声楽はレガートからはいります。フレーズからことばをとるより、ことばのフレーズを音楽的にしていく方を優先しています。基本的な考え方は似ています。

 

 

次に、ことばの処理に入ります。たとえば「つめたいことば」(ラシドシシララ)と歌うと、役者さんなら、同じ声のポジションで、ことばをまとめることができます。日本人の歌ではやたらと全部、伸ばします。歌うことで退屈極まりない表現にしてしまうのです。

 

ですから「1年目には外国人か、役者さんのレベルになりなさい。」

「3年、5年と彼らがやってきたことを、1年で全部やりなさい。それだけのことはできる。」

といっています。

 

これはできるのですが、その次の段階になってくると、ヴォーカリストでなくては、できないレベルの課題となります。これを「メロディ処理」といっています。

音符のとおりにメロディ処理すると、日本語のポップスの場合は、あまり伝わらないのです。

 

「つめたい」と歌ったことばが、つめたいという感じで聞こえないのです。「つーめーたーい」というと、表現は台無しになります。ここがポイントです。伝えたいのは、感情であり表現です。ここでのメロディ処理というのは、第一に体の力で窓を吐いて、それを声にしてフレーズをつけていくことです。

 

まともなヴォーカリスト、あるいは外国人のヴォーカリストなら、こういうことは全部できています。英語だからできるのではないです。何が違うのかというと、発声の違いです。

たとえば、日本人の「っ」というのは、音にならない「っ」です。「う」や「い」も歌には適しません。外国語は、母音がたくさんあり、英語も息を吐かないとできないことばなので、しぜんとことばと体が結びついてきます。日本語の場合は、歌になってものどや口先のひびきだけを使っているから勝負できないのです。

のどを開けて声をそろえると、本当の練習に入れます。そろえられないため、本当の練習にならないからです。

 

 

 

 

Q声の可能性

声質を変えることが、どの程度できるのでしょうか。

 

Answer

声を出し惜しむな!

やらなければ変わらないに決まっている

 

いろんな歌い方がポピュラーにあり、どう歌うかは自由です。そのあたりが声楽と違います。頭部と胸部の発声があるといわれていますが、高くなると上るひびきに頼る方が楽です。しかし、最初から、そうやっていると、いつまでも体に声が身につかないから、体に入れてシャウトするようにいっています。

 

ビブラートは、発声ができてくると、しぜんとかかってきます。息を流したらその中に、1秒間に6.5回くらいといわれてます。キィによってゆれ方が変わってきますが、周期は同じです。高くなればなるほど、ゆれが大きくなってきますが、周期は変わらないのです。

 

ビブラートがついてくると、心地よく聞こえるようになるのと同時に、強弱のメリハリが、自由につけられるようになります。そして、色つやのあるひびきがでてきます。

 

声楽の場合は、そのひびきをやわらかく使っていきます。マイクがありませんので、完全な共鳴が基本です。しかし、ポピュラーの場合は、ひびきを使っていくか、あるいは殺していくかは、自由だと思います。むしろポピュラーではしゃべるように歌える、というのが基本だと思っています。

 

 

レーニングを積んでいくと、たとえ、風邪をひいて声がでなくなっても、歌うときにはほとんど変わらないです。フラフラするとか、熱がでるといった面はあるでしょうが、声そのものが変わったり、高い音がとれなくなるとかは、ないです。そんなことがあったら、ヴォーカリストの商売はやっていけないです。寝不足で声が出にくいとか、変にひびいてしまうのは、コントロールできていない状態です。

 

今のライブハウスに出ている人たちは、そのレベルの人が多いから、1日ライブに出たら、声をからして2週間、練習できないなどといっています。すると、一体、1年のうちに何日練習できるのでしょうか。そうなると、どんどん悪いくせをつけていくだけになります。テクニックや技術といわれているのも、単に、悪いくせであることが多いのです。気をつけてみてください。

 

根本的に考えてみれば、基本のある人とそうでない人とは体が違うのです。プロとして通用する体をつくるのが、ヴォイストレーニングの正攻法です。ダンスや舞踏であれ、どんなスポーツであれ、体でやる分野はなんでも、単純なことを繰り返しやるなかでしか習得できないのです。それが基本といわれるものです。それを深めていくことです。

 

 

ヴォイストレーニングは、1年目はその声でOKでも、2年目そんな声ではダメだとなります。判断の基準が厳しくなっていきます。より深められるようにしていくことです。

同じ練習を繰り返すことが基本ですが、飽きてくるので、いろいろ気づかせるために、バリエーションをつけています。結局は、さまざまなメニューをやることではなく、それを通じて習得することが大切なのです。それに対する判断眼と、対応できる体をつけていかないといけません。小学校1年生でも、単にそのメニューをこなすことはできるわけです。

 

ここにきて、あるいはステージに立って、一音を、たとえば「皆さん」とマイクでいったときに、お客さんに伝わるか伝わらないかからです。そううことを意識において、トレーニングしているかどうかで全然、違ってくるわけです。

確実な技術をつけない以上、何曲レパートリーがあっても仕方ないでしょう。一つのフレーズでも聞かせられるようになったら、ようやくプロと同じ土俵にのれるわけです。まず、同じ土俵にのらなくてはいけないということです。

 

息を吐いていくこと一つをとっても、すぐには身につきません。何年もやっていくと、逆に、プロとは相当差があることがわかってきます。「プロにはこのくらいでなれると思っていたのに、こんなにも差があるのか」とわかるのです。

それがわかるのはショックですが、そうなってくると、目標との距離がみえてきます。後はその距離を詰めていくだけです。そういう部分で、トレーニングを行なっていくことです。

 

 

厳しいようですけど、芸事というのは、自分の身についたことで、楽しみを見出していくべきものです。いつ完成するのかといっても、キリはありません。ようやく本当の練習ができるようになって、ようやく少し歌に結びつくようになってスタートなのです。それらが全て本当に結びついて1曲になったとき、聞いた人が感動するようになります。そのバックグラウンドとしてのトレーニングは、絶対にあるのです。

 

人間の体の場合、新品を買ってくるわけではないですから同じ年齢でも、個人差があるし、よいところもあれば、悪いところもあります。

多くの人が、そのへんで歌ったり、ライブをやったりしていますが、ステージをやるとわかるわけです。今の歌は、このライブのお客さんくらいには通用するけど、向こうの本物を聞いたら、違うと思うわけです。

 

何が違うのかというと、音程・リズムでないし、ことばも英語なら英語で伝わるわけです。結局、違いは声そのものにあるわけです。声が自在に扱え、魅力をもたなくでは、自分の音楽の世界が大きくならないのです。声から限界がくるというわけです。ヴォーカリストは、声がわかるというところから、音楽もわかっていくのです。

 

 

ヴォーカリストは、どう歌おうと自由なわけですから、与えられたものを歌うというよりも、自分が曲に応じて、自分のもつスタイルの中から、どれを選択していくかということになります。この選別も頭でやって口先で歌い分けるようではダメです。自分の体が、歌うことに特化されると、体がどう歌うべきかを教えてくれます。それどんな場でも人が感動できるように応用できるのが本当の実力です。

 

プロのヴォーカリストになりたいが、なるためにはどうしたらよいかというような問いは、ホームランを打ちたいがどうすればよいかというのと同じことです。素振りを何回も何回もしていくしかありません。そうすると、そのうちにフォームができてきます。そのフォームが体に教えてくれるのです。知識とは違い、体で覚えていくしかないのです。

 

「自分が「これ」と掴んだら、それがフォームになっていきます。そして、すべてを自分のフォームに巻き込む力が、実力です。腰に意識があって、よけいな力は抜けていて、どんなことに対しても、声を維持できて、自分の方に引きずり込めれば勝ちです。向こうに引きずりこまれたら負けです。スポーツも、ヴォーカリストのステージも同じです。基本の力しかなければ、その時期は体をつくっていって、声そのものをしっかりと出すようにしていくことです。

 

 

ヴォーカリストの世界を支える体と耳をもつことです。そのベースを身につけず、よけいなことばかりしているから、のどをつぶしていくのです。練習する人が、練習してよけい、声が出なくなったり、上達しないというのは本来おかしなことです。どんな分野でも、やった人は、まったくやっていない人より、うまくなるものです。

 

ところが、ヴォーカリストの分野は必ずしもそうではなく、「何年歌ってきました」「ライブにずっと出てました」という人の歌を聞いてみても、アマチュアと全然、変わらないことが多いのです。何が間違っているかというと、耳をもつことと、その上でしっかりと体を使い、声を出してこないからです。

多くの場合、発音そのものが違っています。役者の世界なら10年もやっていたら、声にしても2時間くらいしゃべりつづけて、大きくシャウトしてみても、かすれないぐらいにはなっているのです。

 

ここのトレーニングで伸びるのは、マニュアルやメニューのためではなく、それを通じて声の聞き方をきちんと覚えられて、自分が声を出すということをしぜんとトレーニングしていくからです。

早くから、一流のヴォーカリストの歌を同じフレーズでやってみます。すると、まだまだ息や体の強さが足らないとわかります。そして、身につけていきます。

 

まねたような歌い方はダメです。独自の表現があって、そこではじめて、そのヴォーカリストが歌う価値があるのです。声以外の才能でもてはやされているヴォーカリストをまねてやっていくから、おかしくなってくるのです。

 

できる、できないことは考えず、一流のものを全部、入れてみることです。すると、しぜんに自分の体の細胞が変わっていくわけです。声のイメージそのもの、それから自分の歌っていく世界そのものをどこまで構築できるかが問われます。それを、一流のヴォーカリストと同じようにしてれば、年月はかかりますが、確実に他の人との差をつけていくことができます。

 

ヴォーカリストの体になりなさいというのは、次にヴォーカリストを目指す人がきたときに、その人が何年か経たないと、自分に追いつかないところまでいくことを意味します。

ヴォーカリストには、必ず身につけなくてはいけない共通の部分があります。それに気づき、つけていくことができると、確実に力がつきます。

 

どんな高度なことも、体での積み重ねです。一つひとつのことを、どこまで長く積み重ねられるかなのです。音のイメージと声に全神経を集中して、体を使い、耳を養っていきます。最終的に、自分の出している声全てに、責任を持つことです。

 

結局、ヴォイストレーニングとは、自分の声をよりベストにしていくことです。そして,その条件を備えていき、それを邪魔するものを、排除していくことなのです。

 

 

 

 

 

レッスン録 トレーナーQA    

 

Q. 息や声を出すトレーニング中、どうしても肩や首が凝ってしまいます。

 

練習の前に、柔軟体操、体操、ストレッチを実践して下さい。これらの症状は、慢性化してしまうと、体を鍛える上で、ハンディになります。半年後をメドに、じっくり体をほぐしていくことです。

 

 

Q. 私の声質は、どのような歌を歌うのに適しているのでしょうか。今の段階ではまだ声が体から出ていないので、本当の自分の声ではないのですが、今出ている声からわかる限りで教えて下さい。

 

よい共鳴が得られるポジションを聞かないと何ともいえませんが、もともと何の音楽に向いているかとは、簡単には判明しません。むしろ、体と声と音楽のマインドを強く育てていき、オリジナルをつくっていくとき、それがあなたの音楽であり、あなた自身になっていれば、あなたはそのときからプロの仲間入りができるのです。そこではすべてが自由です。いや、自由だと私は信じたい。ジャンルや区分けのない、真の音楽です。

 

 

Q. 私は普段からとても姿勢が悪いのですが、歌うときだけよい姿勢で歌うというのは無理でしょうか?背中を伸ばして、あごを引いた正しい姿勢でやると、体に力が入ってしまっているような気がしたり、ゲップが出たりします。正しくない姿勢で行うトレーニングは、効率が落ちるでしょうか?

 

普段の姿勢が悪くて、歌のときだけよい姿勢でやるのは、厳格には難しいことです。普段のトレーニングから長い時間をかけてなおしていくようにしましょう。

レーニング中は、よい姿勢をなるべく保つように励み、後の時間は、普段のラフな姿勢でよいでしょう。そのうちトレーニングが成熟してくれば、悪い姿勢ではいられなくなります。

息吐きの姿勢は、腰を曲げる、首は前に折らない。体に力が入るのは当たり前。強ばりは、柔軟でとる。ゲップは呼吸がうまくいかないために、肺にスムーズに吸気されずに、何に空気を送りこんでしまうからです。徐々に取れるでしょう。効率は、やり方がある程度決まったときに、考えていけばよいでしょう。

 

 

Q なぜ息を吐くのか?

 

深い息を吐けるような体とその吐き方を身につけることによって、声をどのように出したらいいのか(むしろ、声は本当に出すものなのか、体の操作によって結果的にもたらされる)、声をどのように支えたらいいのかがわかるのです。概念的に声と息と体は結びついているととらえておくのです。

息を吐く→歌い手に必要な体を習得するためです。決して深いところから吐いた息に、声や歌をつけるのではありません。

体→声にする息を支える。深いところから効率的に息を吐ける体を使って声を出すのです。これができて高音も整うと、いわゆるお腹声が自分の体からいつでも出てきます。

歌は変幻自在、縦横無尽なフレーズを必要としています。ロックで、ハードなものになればなるほど、そうなのです。

一方で誰にも負けないくらい音楽を聴き、見識を高めておかなければなりません。陽は自分の必要に応じて、音楽を聞き込んでいくことが大切なのです。

クラシックでもなく、ジャズでもなく、ロックをめざしたものなのですから、ベーシックな体づくりは、これ以上ないというくらい、2~3年かけて、じっくりとつくっていったらよいでしょう。

 

 

Q 深い息とは?

 

息が声のベースとなり、息の支えは体でとります。世界をめざすなら、なるだけ深く息を吐けるのがよいでしょう。深い息は、息吐きをしながらつくっていきます。深く吐けるために、自分の体を、毎日動かしながら変えていきます。

深く吐けるように、体を変えていくのです。市販の歌本や、トレーナーのいうことをふまえて、オリジナルな息の吐き方をつくることです。

深い息とは、簡単には吐けない息です。お腹の底にあって、吐き出せない息のことです。声にならないくらい、低い音のところにそれがあります。