「 トレーニングに際して 」 551
(1)トレーニングの取り組み方
声は、正しく身体と心を整えれば、しぜんに出るものです。
ここのヴォイストレーニングは、“発声”トレーニングというおきまりのやり方を形からあてるのでなく、その人のなかからひき出せるまで、ひたすら待つものです。
自分がやってもいないし、続けてもきていない処方をしても害にしかなりません。
このヴォイストレーニングを固定し、頭で定義し、そのことにより自らも混乱しているのでは困ります。自分のやっていることに自信をもち、同じ人間の体、心から捉えてください。
このヴォイストレーニングは、そこからがスタートなのです。
外から与えるのでなく、中からひき出されるまで待つことです。
待つときの姿勢-努力、根気が問われます。
身につかないという人に、私は鏡をみてごらんなさいといいたいほどです。身についていっている人と全く顔が違います。やってきたことは、顔にすべて出てくるのです。
一流のアーティスト、プレーヤーの顔に勝てますか? ほら、全く努力が足らないでしょう。
彼らは、そんな甘えた質問や相談、その迷いをする間に、コツコツと己れを修めてきたのです。その顔に人と違う何かが宿るまで、やってきた人たちなのです。だから、人を魅きつけるのです。
顔より声? けっこう、声で問うてみましょう。
(2)あたりまえのこと(福島英3601語録)
1.礼にはじまり、礼におわる あいさつ、場と時間と人への心づかい。
2.他人より自分に関心をもつ
自分をみて、人をみて、自分をみる
3.プロでない、芸でないうちは、金をとれない いつまでも
プロは稼ぐ以上に自分に投資する
4.受け手でなく、送り手の力
5.感じる、浸れる心
6.あってもよいが、なくてもよい歌、人であるな
絶対いて欲しいと思わせるには、人に絶対的な何かを与える力がいる
7.甘えて育ち、もまれてこなかった、その甘えを断つ
8.歌、声に生活の重点をおく
9.やりたいことは、しなくてはいけないこととは、比べものにならぬほどパワーがいる
いつもやっていないのは、やめているのと同じである。
10. 想像力、本くらい、読め
もっとひびくように、まずあなたが…
そして、あなたのなすことが。
(3)いつもいっていること(福島英3602語録)
1.トレーニングにバカになりきる
2.人と会うこと 経験と理解と表現
3.色気ともち味
4.人間に対する興味、関心
5.芸人 ストリッパー 河原こじきの研究、もしくは実践
6.上をめざさないと今の力も維持できない
7.日常から、非日常(ステージ)へは昇華(レベルアップ)には確固たる技術が必要
8.ステージは、虚構のリアリティ
9.イマジネーションを喚起し続ける力
10.人を90分、魅きつける要素とは
11.魅力的になりたいなら、魅力的な人のそばにいる
12.一流になりたいなら、一流の人のそばにいる
13.精神、思想を盗む、自分のものとする時間が必要
14.発声レベルより、+αされた分が、ヴォーカルの才能
15.アーティストは、内から外に出すのではなく、外へ出し内へ入れる
(4) 基準
自分に基準がないし、その基準をつくろうとしないし、ひいては自信がない。
やりとげてきた人の量、質、そしてあたりまえのことは、やってあたりまえ。
そこで、さらに求めるハングリーさをもっているか。
すごいことをやるには、すごいだけのことをやっていなくてはなりません。
伸びないという質問は、私からみたら、
その程度の努力で伸びたら奇跡だと思えることばかりなのです。
(5)こだわり
やりたいことはやらなくても怒られないから、やらなくてはいけないことよりも、もっと難しい。
だから、一つのことにこだわり、やりとげていく人に、誰もが感動する、価値を見い出す。
それは、自分へのこだわりである。
その人がどうでもよくても生きられるのに、自分として生きることにわざわざ苦しみ、そこから自分となっていく姿に、しぜんと打たれるからだ。
蝶も蛾も、その姿になるときは美しい。
一つの場に一つの時間を共有しあうこと、
プロセスが、生-人の生-人生。
どこかをやめて、ここにきた人、ここもやめたら同じだよ。
2年、がんばり抜いて、わからなくなった人、わからなくなるところまでこれたじゃないか。
どうして、みんな、こんなにすばらしいことが、
そんなに少しのこと(毎日やって、5年や10年なんてあたりまえなのに)で、
できると思うのか。
僕は、不思議である。
きっと大してすばらしいことをやろうとしていないのだろうとさえ、思いたくなる。
(6)Be A n Artist
一所懸命、育てようという気にさせる人
それは、期待にこたえるかどうかではない
その時間、楽しく過ごせるかどうか
その種の人間かどうか
人に価値を与えられること
そのためにもっと努力すること
お金もらって感動させるのは、他の誰もできないから
(7)伸びない人の十戒
1.うぬぼれ、おごり、慢心
2.他人と比較すること うらやむこと
3.人の言うことに一喜一憂すること
4.人と仲良くできることで価値ができたと思うこと
5.長くいることで居心地のよさを感じること
6.一所懸命やっているという言い訳
7.順調に苦労せずに伸びるという願望
8.他力本願
9.急ぐこと、早くやろうとすること
10.イマジネーションの不足
なによりも、嫉妬、僻み、妬み、悪口、陰口、軽口
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ヴィジョン 550
BV座一時中断について
いったい、どのくらいのことができているのか。
今の④クラスでBV座をやめ、L懇にし、A10ランクまでつくり、見にいくのも一度、やめた。
そのことを誰もわからないのか。ここまで書かせるのか。
結局、伸び悩んでいるから、本人がどう思っているかはともかく、私からみて全く伸びていない(ということは、年をとっていくのだから、後退しているということだ)
私は半年前から、彼らに、入ったばかりの人に言っているアテンダンスシートを出すように同じことを言っている。守っているのは、何名か。
もちろん、こちらの指示に反しても、それ以上のことができていてたら、それが一番よいのだが、
結果が出せないなら、最初に戻れ。
入って、一年くらいの人にすごいと言われて、満足するために、これまでやってきたのですか。
自らコミュニケーションを断ち、お山の大将になっている輩に言うことばもない。
「伸びない」あたりまえだ。やるべきことさえやれてないのだから(本当に学んでいるなら、こんなことをこの私から言わせぬはずだ)。
本人にとっては、常に成るか成らぬかのこと、0か100パーセントだ。
それまでできることは、50パーセントの可能性をキープし続けること。
それを自分で0パーセントにしておきながら、先のことに悩んでいるなら、どうしようもないだろう。
運がないのでなく、それをひきつける力さえないということだ。
力がつくということは、光り輝いてくるから、わかる。
その人の“個性”が黙っていても強烈にアピールしてくるからわかる。
相手が私でも私でなくとも。すると、自ずと開けていく。
開けてきたから、ステージ実習が、ライブになり、ライブハウスになったのでしょう。
私でなく、それは、君らが動かしてきた。
力もないくせに、長くいるだけで出てくるおごりとうぬぼれが、せっかくの才能をも殺す。方向違いのステージも、自分を確認する作業を怠っているからだ。
私が言うのは、常に理由あってのことである。その理由をくめる人は生き残っていけるだろう。
ところが、第一に私のことばを自分のこととは思わぬ、自分ができていないのに、全体のこととして受けとめるだけで、自分を変えようとできない。もしくは、しない。
ここでは力をつける最低限(本当に最低限)のことしか課していない。
それさえできてない。していない。
毎回のアテンダンスシート、正月の宿題を、君は出したか。
それを歌で自分が生きていく証として全精魂、かけて取り組めたといえるか。
今日やらずして、どうして明日がくるといえるのだろう。
3年目には1年目の3倍、質か量か、見せていくということだ。
それが力だ、
目にみえる力になるまえの力だ。
そして、やっていく人にとっての、あたりまえということだ。
アウトプットの力も、やる気もなくて、伸びるなら、私は君らを“天才”というよ。
だからといって、誰一人にも理解されぬ天才もないのだよ。
友だち何人かにお世辞いわれて舞い上がっても、降りるところはないんだよ。
いくら、話しているときはうなづいていても、その日から行動にうつさぬ人間を、私は軽蔑する。
信じないし、期待もしない。一年待ったが、この様だ。
③クラス以下の人にも言う。君らはきっと、彼ら以上のこともできないだろう。
彼ら以上に“全体”としてしか動いていないからである。
しかし、たった一人でよい、“全体のなかの一人”から抜け出て、
絶対的に一人の人間である自分として力強く学んでいく人を、待ち望みたい。
たった一人でいい。
そのときにBV座は、何らかの形で再開する。それは誓うよ。
だって、奇跡を起こせぬBV座なんて、くそくらえ、だろう?
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合宿感想へのコメント
合宿の感想文を読んで思ったことは、皆さんのなかにも人間の目をもって、すでに文章で表現できる人が、案外といるということです。これは、すごく大切なことです。こういうところで人間は人間をみているのです。それがわかること、そこから学ぶことが大切です。
それにプラス、音楽で表現するなら、アーティストの耳をつけていくのが大事です。
みなさんにとって実りある合宿だったとは思いますが、プロをめざすものの合宿ではなかったように思いました。あのときの最高レベルから上のレベルが、ヴォーカリストのトレーニングなのです。
そのもう1ランク上のことがやりたかったと思っています。来年と言わず、いつかは、そのレベルまでいきたいと思います。
歌い込みに関しては単に、努力、量の問題ではなく、実力があればよい世界ではありますが、1000人もの人に聞かせたいのであれば、1000回は歌い込んでくるのがあたりまえです。
細かいことについても、いろいろ頭で考えていても仕方ありません。どうしてもそうなりたい、一つの世界を築き上げたいと思ったら、迷っている暇などないのです。とても単純なことです。もくもくとやるしか道はないのです。
今回のステージをみていても、色とりどりで「楽しいな」とは思いますが、絶対的な強さ、どうしてもまた見たい、聞きたいと思わせるパワーが全く不足しているように思います。
「この人でなければだめだ」と思わせるものを見せつけるものを、身につけていってください。
声がトレーニングしていく上でわかりやすいので、いつもベースにしていますが、音感、リズム感、あらゆるミュージシャンとしての感覚を体に移行して、もっともっとみせつけてください。
「歌とは何なのか」ということを、もう一度、考えてみてください。
ヴォーカリストとして成長していく、学んでいく方法は、トレーニング以外にいろいろな方法があるはずです。ヴォーカリストでも、一流の楽器奏者-トランペットやサックスなどで学べることはたくさんあります。反射神経、運動神経をつけるためにスポーツも大いに役立つことでしょう。
一流の人から学べることは、どのジャンルであろうとたくさんあります。一見、関係のないようなことからも、ヴォーカリストのために有効なことはいくらでもあるのです。要は、本人しだいです。
アーティストとしての生きざまやさまざまな経験から歌ににじみでるのです。歌と人生を一致させ、24時間、常に音を感じ、リズムを意識していることが、歌を成長させます。
もっと欲をもって、10年に一人のアーティスト、またそれ以上の価値ある世界をつくり出せる人になってください。
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EiのStudyコーナー 550
「ワークショップとは」・・・・・
ワークショップとは、参加者が受け身にでなく、積極的に関わる研究集会のことです。英語で「Workshop」とはもともと「作業場」の意味で、転じて「研究集会」を意味するようになりました。
そこでは講師が一方的に教育を行なうのではなく、参加者もまた、自分の知識や体験をもって積極的に関わることが期待されるのです。文化活動のような創造的なテーマを追求するためには、ワークショップは欠かせない方法です。以下、ワークショップの要点をまとめておきます。
●ワークショップに先生はいない
ワークショップとは、参加者が自ら主人公となってつくりあげていきます。先生を招いて高説をうけたまわるような講習会とは違います。(もちろんワークショップにおいても専門家が参加して自説を述べたり、研究成果を紹介したりすることもある。しかし、それは一方通行の講演ではなく、聞衆が質問や意見を講師に返すという程度のものではない。)
参加者は発表者と対等にぶつかりあって、ともに新しいものを求めて徹底して関わりあう。従って「講師」も他の参加者からの刺激をうけて、学ぶ。講師は一人の問題提起者であり、彼の出したものは、材料にすぎない。
●「お客さん」でいることはできない
参加者は単に受け身の聞衆として、ただ座っているばかりではいけません。
「私は何もわかりませんので、見ています」は通りません。
ワークショップの参加者は、自分の知識と体験を他のメンバーに提供することを求められます。彼はその心と頭と体を総動員して問題提起者に反応し、自分の表現を現実に提示しなくてはなりません。
ワークショップにおいては、一人ひとりの表現行為が最大限に尊重されます。アマチュアだとしても、プロに思いがけないヒントを与えることも少なくありません。
遠慮は無用、積極的に関わらず傍観していることは、自分の能力の出し惜しみであり、あるべき協力の拒否となります。誰もができない自分自身の表現を見つけ出して、みんなのものにするのが「作業場」としてのワークショップのねらいです。
●初めから決まった答えはない
ワークショップは「創造の場」です。
当初の予想通りに展開するのではありません。
講師の提供する正解を参加者ができるだけ早く正確に身につけることが目的となるものでなく、ワークショップはその答えを自分自身で気づきつくりだすところに意義があります。
従って、ワークショップにおいては「常識への挑戦」が大きな目標です。それまでそうとしか考えられなかったこと、誰もがあたりまえだと信じて疑わなかったことなど、一度、堅固そうにみえる常識の壁にあえて突進を試み、そこに風穴をあけて新しい世界を壁の向こうに見いだそうとするのが、ワークショップの心意気です。
もちろん、いつもうまくいくとは限りません。それでも全員が既製のもの、既にそう思い込んでいたもの(これには何よりも自分自身のことが含まれます)
常識を疑ってみるところに価値があるのです。「どうせ大したことはできはしない」という思い込みもすて、世界でもっとも価値ある時間と空間をシェアできているかは、一人ひとりの意識と日頃の生き方が問われます。ワークショップのこの性格は問題解決のためのだいじな要素なのです。
●頭が動き、身体も動く
ワークショップは動的なものである。机に座って考えたり、ことばをあふれさせて論議にうつつをぬかすのでなく、立ち上がって動いてさまざまな体験を身体に注ぎ込むことが重要です。思い切り身体を動かして跳んだりはねたり、汗をかいたりするだけでも心身は活発になります。
ワークショップには多様な体験学習の材料となるプログラムがセットされる必要があり、それが講師の役割です。大きな声で歌い、ハーモニーを楽しみ、腕を組んで踊り、そして身体のすべてを使って何かを表現する…。それらのパフォーマンスを主題とからめて実施することによって、その主題の別の一面への気づきを施すことが大切なのです。(参考引用 「社会教育」36)
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参考
新井英一さんの話
「“清河(チョンハー)への道”のベースは朝鮮の騎馬民族のリズムですが、米軍に触れた少年時代から人種のるつぼアメリカで聞いた多国籍の音楽、体の血が覚えている朝鮮のチャンゴのリズムなど、言ってみれば僕の生きたすべてが入っています。
「8歳の時から歌手になりたかった、メロディを口ずさむのが何より好きだった」
「15歳で家を出て岩国の米軍基地近くのバーで働き、そこで出会ったさまざまな人種-白人、黒人、インディアン、ブエルトリコ、そして彼らの音楽。あの体験はまさに衝撃でした。英語の歌ばかり歌っていたあの頃…」
そして21歳でアメリカへ。
「でも2回目のアメリカ住まいのニューヨークで僕の口をついたのは“さすらい”や“北帰行”“錆びたナイフ”だったんです」
その時、自分の中にある東洋・日本を感じて、日本に帰って歌手になろう、歌を作ろうと-。
そして29歳でレコードデビューし、32歳からギター一本抱えて日本全国を回ったという。
「“清河への道”は50分と長く、それを聞いて感動し、買ってくださった方々は、僕の音楽を本物と認めてくれた方。若い人もいますが、主に50、60代の人生のつらさを楽しさを知っている、偽物では動かない人」
「僕はいま45歳。プレスリー、ビートルズ、裕次郎そして本物のジャズやクラシックを知っている世代です。そんな大人たちが満足できる音楽を創るアーティストになりたいし、それを続けたい。音楽のテーマは“生きる”ということ。だからいくつになっても夢を忘れないでいきたい。」」