おすすめ 708
アメリカ、1942年生まれの黒人。クイーンオブソウル。「Someday We'll All Be Free」は、ダニーハサウェイの曲で、'92年の映画「マルコムX」の主題歌。本日、聞いた曲の中で一番この曲がよかった。ラストに向けての鳥が自由に大空を飛んでいるような盛り上がりと、その前の優しげな祈りをこめた歌い方が印象に残った。それと、どんなに高いところでシャウトしても絶対に体から離れない声。もの凄いパワーだった。きっと彼女には声が体から離れるという感覚がないんだろう。
我々とは逆に。単純にこれだけの声が出せたら、さぞかし気持ちいいだろうなと思ってしまう。「I Never Loved A Man」などのことばを投げつけるようにシャウトする感じは覚えておきたい。必要以上に声を伸ばしたりもしていなかった。全体的に非常にテンションが高かった。何が彼女をここまでさせるのかと考えてしまう。黒人解放運動などの背景のある曲を歌うというのも、それを担うだけの実力があってのことだし、逆にそのような背景があるだけに熱のこもった歌になるのだろうと思うが、普通(?)のラブソングなどでのあのテンションの高さ。きっと同じ“歌”として分け隔てなく考えているのだろうか。パワーは同じでも(声量とかの問題でなく)違うのは表現の仕方になるんだろう。他のアーティストでもそうだが、本当にさまざまな色、感情などを多様に一流といわれる人たちは表現できるものなんだなと思う。
デビッド・サンボーン
「ザ・ドリーム」楽器の音があんなに喜び幸福感を表現できるものなんだということに気づいた。デビットサンボーンが、サビのところで、「最高に嬉しい!」と叫ぶのが聞こえた気がした。楽器の音でそこまで伝わってきたのは初めての経験。今までインストゥルメンタルを聞くときはメロディのきれいさとかかっこよさとか、その程度しか考えなかったが、これからは奏者がそこで何を思い何を表現したいのかを考えながら聞くことができそう。もっともっと、さまざまな曲に触れて、耳のトレーニングをしなければと思う。まだ、どこを聞いたらさらに深くその曲を知ることができるのか、全くわかっていない。ただ、何となくいいとか嫌いとかしかわからない。聞くだけじゃなく、一緒に歌ってみると、もっといろいろなことがわかるかもしれないというアドバイスをもらった(フレーズの大きさ、動かし方など)。この研究所で学ぶ姿勢についての話が、体験から得た具体的なものだったので役立った。レッスンの中で先生の言っていることができなかったり、言っていることがわからなかったりしたら、まず本を読む、そして実際やってみる。ひたすら自分でコツコツやる。貴重な話をありがとうございました。
和太鼓
音は、体の中に熱いものがみなぎってくる。決して静かに流れるものではなく、血がさわいでくるようなもの。フラメンコを歌って踊るときは必ず手拍子がある。あの音も聞いていると、陶酔の世界に入り込んでしまう。音に感情が入り込むのとは少し違って、ものを叩くというところに何かがあるのだと思う。心臓が脈打つように何かを叩く。自分でタンバリンを叩いていても、その叩いている音の中に入り込んでしまうもの。林英哲さんの和太鼓を生で聞いてみたいと思った。サックスやトランペットの音は、その楽器のもつ音のよさもあるけれど、プロはやはり違う。音がいい悪いとかではなく、一つひとつの音の中に細かく計算されたものや感情が織り込まれているのだろう。
トランペットと歌を聞いたときに、トランペットと歌の違いが音色の違いにしか聞こえなかった。一つの音にどこまでこだわるかで、すべて曲に出てきてしまうのだろう。近藤等則さんの「泣かずにはいられない」初めて聞いた曲だった。音にうねりを感じた。地の底からのうめき声、泣き声のような音。他の楽器とのミックスもあるけれど、一つの曲になったとき、泣き偲んでいるイメージがわいてきた。
ミルバ
初めて聞いたときと今の印象は全然違う。「スバラヤジョニー」のような歌い方のミルバの曲は聞いたことがなかった。まるで私に一つひとつのことばをぶつけられているような気分になってしまった。やめてくれー!! というくらい強いことばで埋め尽くされていた。谷村新司の歌をミルバがイタリア語で歌っているCDと全然違う。
谷村新司さんも歌詞のように「昴」や「いい日旅立ち」を大きく歌おうとしてはいるけれど、ミルバの歌い方とは比べものにならない。ミルバの声はハスキー声だし男みたいに低い声だけど、とてもあったかくて包み込むように大きく広がっていく。日本語の歌と同じ歌とは思えなかった。ミルバの歌を聞いていると、谷村さんの歌がのっぺりとしたものにしか聞こえなくなってしまう。ぐっと踏み込んでいくような歌い方をすると、歌が大きくなっていくのだろうか。踏み込んで広がって踏み込んで広がって、どんどん大きくなっていく。
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「LET THE GOOD TIMES ROLL」
Q'Sジョーク・ジョイントのそれと、THE GENIUS OF RAY CHARLESを比べて聞いてみて。なぜ3人で演るかがよくわかる。たとえば、レイ・チャールズが一人だけで歌っているときは楽器とコミュニケーション、かけあいをとっている。その楽しさが伝わってくる。そのコミュニケーション、かけあいを3人はその声でアドリブで笑い声で話し声で、声すべてを使って演じている。歌声だけが音の楽しみではないことは、小学生、いや幼稚園児でも歌の中で拍手を入れたりしてあたりまえといえばあたりまえに知っている。でも、ここではそれが音の高低、ウーウーハーハーとかハアハアハアハアとか歌詞のもつ重さを超えた? それ以前の声を出す楽しさ、それがかけあったときの楽しさが踊り出てきている。かけあい漫才の間・バランスのようなかけあい歌の生き生きした楽しさ。一人では決してできない。声の音色が違ってこそ楽しい。最初、授業で聞いたときは、3人それぞれがまるで子どものように思いっきし、これもやってみよう、ああお前さんがそうくるなら、じゃあおれはこういこうかなとか、技術に裏づけされているからこそ楽しめるのだろうが、あまりの楽しさに楽しみ方に、笑ってしまった。それは、ここまでできればもう本当に素晴らしいのじゃないかという意味で。最後の3人の話す声、最後の人の「アウト」まで、3人の音楽の中で完結している。力は3人共、出し切っているが、余計な力は入っていない。どうしたら余計な力は抜けるのだろう。3人共、耳がいいんだな。自分の出す声を聞いて、他の二人の声を聞いて次を出していく。
「Djobi Djoba」ラテン系のリズムは好きなのでノリノリで聞いていたのだが、曲が終わってからおっしゃった。「曲からその土地の空気や湿度、歌っている人のすごい顔つきが想像できるか?」と。ショックだった。そんなこと考えたこともなかったから。この一言を聞くことができてよかった。息を吐き切ること。息に声が乗っている状態→このクラスに出たことで、なぜ「息だけで1曲やってみよう」というメニュがあるのかが、すごくよくわかった。納得できた。ようやく。
「川の流れ~」流れたところで、はじめに一回目聞いたとき「でこぼこ~」のところから、すでに「ああ~川の流れのように」が聞こえてきていた。その展開のために、そこまでが存在し、そこに向かって捧げられて歌われていると思った。そのあと先生がかけ直している間、さらになんてそこまでとの距離がないのだろうかと思った。他の前ふりのところとも言えるところが、すでにメインの展開と捉えた上で、そこへ連れていくために歌われ、聞くものはすべて前段階で、展開/主題の世界の劇場に座らされている。心待ちにしている。たとえ、はじめてこの曲を聞く人でもそうだろう。曲を全体を一つとして“捉える”ということは、こういうことなのだということが、今日のレッスンのやり方で具体的にわかった。
自分がだらだらと1フレーズ1フレーズにひきずられて歌うのではなく、まず曲自体を自分の中で捉えること。何が言いたいのかということを絞り込むということだと思う。そして、その曲自体を一つの表現したいことの統一感の下に置き、伝えていくことなのだと思う。うまく言えないが、アカペラで練習をしていると、同じ音、フレーズでもコード進行の中では色が違うし、次の展開によって伸ばす同じ音でも、途中から色が変わっていく。大きな一つの“曲”をそろえることによって、その曲の言いたいことという“コード”や、思いの流れによってフレーズの色が変わっていく。、
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下北沢「QUE、ライブハウス、加川良
この人の歌は、ことばをそのまま歌にもってきている印象が強い。独特の節回しです。
リサイタル(シューベルティアーデ)を聞く。マイクなしで歌うのを、大ホールで聞くのは生まれて初めて。ヘルマン・プライは今年68才になるはずですが、全盛期の90~95%の力を未だに保っているのではないでしょうか。すごい迫力でした。弱音でやわらかく歌うところも、ドイツ語を子音で言い切るところもシッカリ聞こえます。盛り上げる部分ではホール内の空気が振動するような感じです。今まで聞いた声楽家のどんなCDよりも、生の歌・生の声はすばらしかった。マイクなしで歌うのもいいものですね。
MAMA, I WANT TO SING
(D.トロイ復活とのことなので)
Altan(アイルランドにひかれるこの頃)
スーザン・オズボーン(2年越しの夢が)
ホイットニー・ヒューストン(よかった、中止にならなくて)
クラシックロックジャムin中野サンプラザ
エアロスミスのニューアルバム
「黙阿彌オペラ」(紀伊國屋ホール)。内容は、江戸時代から明治時代に移るとき。古くからの伝統をあっさりと切り捨て、西洋のシステム(銀行や鉄道など)ばかりをありがたがる人々に対し、黙阿彌のせりふを通し、批判しています。「銀行や鉄道にしたって西洋の人たちが一所懸命、自分たちの脳みそを使ってつくり上げてきたものだろう。それを自分たちは、自分の脳は一つも使わずに、上つらだけを取り入れて…」というようなセリフがあります(正確なセリフは覚えていないのですが、そのようなことを言っていたと思います)。これらの批判は、もちろん現代の私たちの世の中にもあてはまるものですが…。だからおもしろいと思います。とは言え、芝居全体はお固いものではなく、誰でも楽しめる内容になっていて、さすがと思いました。全体に、黙阿彌の芝居のせりふがたくさん使われていて、それらはとてもリズミカルで美しい日本語で、今まで私は日本語はあまりきれいなことばではないと思っていたのですが、改めて日本語のよさがわかったような気がします。島田歌穂さんが、黙阿彌のせりふを「カルメン」の節をつけて歌うのもよかった。ただし、彼女の声は、やはり細くてビブラートがかかりすぎで、オペラの声とは違うと思いましたが。
エターナルを赤坂BLITS
Shery crowを厚生年金会館
メアリーブラック・チーフタンズ
今、凝っています。
「NHK新人歌謡コンテスト」
“林あさ美”のバックコーラスをやります。といっても、音程のあるコーラスではなく、「ヘイッ ヘイッ!!」とか「セイヤッ!!」とか、つまりは「かけ声」です。ここで普段やっている基礎トレーニングそのままです。こんなんでお金いただけるとは、ありがたや。
彼らのメロディラインは耳に残るし、リズムがまたとてもいいかんじ。大人すぎない若いパワーもあるし、とても張りのある曲ではないかと思う。生でも是非、見てみたい。ジャミロクワイ…やはりかっこいい。体でも表現することを忘れない人物。表情ももちろん豊か。あのビミョーな動きのダンスがまたとても愛くるしい。物(曲・音楽・ステージ)を生み、つくっていく人として、才能や個性をバンドに活かしているかんじだ。見ていて聞いていて、本当に気持ちいい。
「The Rock」
久しぶりだから? 映画をみてこんなにヘロヘロになったのは初めてです。ドキドキしてうるうるしてホッとして、合宿のエチュードのジェットコースターみたいでした。終わってしばらく立てませんでした。ハリウッド映画のスケールの大きさと、本当に起こってもおかしくない話のギリギリまで表現されているのに、最近ニュートラルになってきた私の心がすっかりはまりこんでしまったみたいです。一言でいって“男の世界”という感じがしました。火事場の馬鹿力というか…死に直面しながらも、大勢の市民の命を背負っている自覚とで、時間がたつごとにすごくひきしまった顔になっていくのが印象に残りました。
スーパーコンテンポラリーJAZZユニットBO-JOのライブ
佐藤允彦氏に師事、'93横浜JAZZプロムナード・コンペティション第一回グランプリ受賞の実力あるグループだが、そんなに人は集まらず、客層も友人と、うるさそうな客(勉強にきているといった)という、結構たいへんな世界だと思った。歌はうまかったが、スキャットの曲を数曲やったがどれも似たようで、マイナー調一色だなぁと見えてきちゃった気がした。あなたのスキャットのパターンはだいたいわかった、もういいわと思ってしまった。声を打楽器として使い、高音を伸ばすところは“発声”だった。客がつまらなそうだったので、少々やりにくそうだった。客がいい反応をするとのりやすいようだった。ピアノの人が天才的と先生方から絶讚されている人で、客の反応をみていてのってないと、絶対にのせてやるという熱のある演奏を必ずしてくれるので、すごくよかった。彼がなぜ天才と称されるか、必ず価値を出して満足させてくれる、期待を裏切らないからではないかと思った。そして必ず満足させるという彼の執念めいたものがそうさせているのでは。毎ステージそうであることはすごいと思うし、そうでありたい。毎ステージできるから認められるのだ。「マイ・フェイバレット・シング」のマイナー調アレンジはとてもおもしろく、独特の一つの世界を表出していた。一ヵ所だけ、体で止まったところがあって、そこがよかった。
音声として聞いている分には、そのソウル感や声のパワーに、とにかくすごい!と圧倒されました。それから、歌詞を追いながら聞いてみると、このことばをこんなふうに叫んでたとは! とその荒っぽさに、よく歌をこんなに雑に叫べるな…なんて感じてる自分に驚いてます。「人のふりみてわがふり直せ」状態。でも、バラードはしっとり歌い上げてます。
“Sings Nine”、こんなにぶっきら棒に歌っているようなのに、どうして感動してしまうのか。この人と、エラ・フィッツジェラルドを続けて聞いては、考え込んでいる。
ホイットニー
確かにうまかったけど、前に見たときの方がもっとパワフルだった気がする。衣装変えのときに出てきて1曲だけ歌って帰ったボビーブラウンの方が印象に残った。シンガーというよりも、ダンサーというイメージで見てたが、すごく説得力のある歌だった。
コンサートへ行くかどうか思案中。今回行けば、4回目。しかし、あの人のオーラは本当に神々しいので、席がよければいただく価値大である。
マイケル・ボルトン
「Decade」。「男が女を愛する時」をライブで歌うとき、パーシースレッジが出てきて、二人で一緒に歌っていた。パーシースレッジの笑顔が素敵だ。
尾崎紀世彦のベスト盤
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マシュースウィート
トーマスドルビー並の“In My Room”派のロックミュージシャンなのですが、もっと開放的で一筋縄ではいかない、誰も気づかないひねりみたいなものがおもしろい人。腕に“うる星やつら”のラムちゃんの入れ墨をしてしまったことで有名になってしまいましたが、良質な楽曲を次々とつくる豊かな人です。、
(新日本プロレス)。私は個人的に蝶野正洋の大ファンです。彼は実力がありながらレスリングスタイルが地味で、闘魂三銃士時代はあまり輝きがありませんでしたが、突然ヒールに転向。観客論に立ったレスラーで、今では人気No.1になりました。彼を見ていると、人前で何かをする間は、アピールが大切だと思いました(客からみてかっこいいとか魅力的だと感じさせるとか)。さらに生き方が出ると思います。客というものは普段、自分ができないこと(やりたくても)、生き方に憧れるのかなと思います。
「愛について-ou Loveちひろからあなたへ」
落合恵子編。女性の作家ばかりを集め、さし絵に岩崎ちひろが使われている。私がもっとも気に入ったのは、茨木のり子作「自分の感受性くらい」…“カツ”を入れられる。自力で立つ気持ちになる。オリアーナ・ファラーチ作「生まれなかった子への手紙」より…読んで泣いてしまった。
最近読んだ、超一押しの詩集です(ちょっと女性向き…ではあります)。
スパニッシュギターやフォルクローレのギター
あの音色がとても好きで好きで、イエペスを始め、やはりイパンキのギターは何とも言えず魅かれます。その中で、探しものがあります。NHKで昔よくやってた“シャーロックホームズシリーズ”の中の“ウィステリア荘”というストーリーのエンディングで流れた、素晴らしいあのスパニッシュギターのあの曲の正体。なぜか思い出して急に聞きたくなったので、探し回ろうと思っています。
「叫ぶ詩人の会」
すごかった。声は叫んでいるだけ、でも“表現”がストレートに伝わってくる。ヴォーカルだけでなくドラムもギターもしっかりと叫んでいるのが伝わってくる。ペルー問題や社会問題なんかも歌にしてるんだけど、しぜんにストレートに入ってくる。“表現を前に出す”というのは、こういうことか? 確かに“愛”を感じた。
アジアのアーティストとして初めてMTVアンプラグドでライブを放映されます。すごいですね! もちろん英語で歌ってます。'93年香港・シンガポールで発表されたベスト盤が4月、中国でチャート1位を飾ったそうです。いつのまに…。
村田陽一、ソリッドブラス
「what's Bop?」マイケル・ブレッカーと渡辺貞夫ゲストだが、相変わらずソリッドブラスのCDを聞かずに暮らしてはいけないと思うほど「カッコいい!」マイケル・ブレッカーも今までとは違う味を出し、本人だといわれなければわからないはず。マイケル・ブレッカーも“新しく変わろう”としているという話を聞いた。大物の心意気を学ぶ。
「シルクロード音楽の旅」
ウズベキスタン民族の「結婚式のご馳走」という踊りがあって、結婚式のとき、お皿の上にチャーハンのようなごはんを盛って、そのお皿を頭や背中に踊りながらこぼさないように載せるという曲芸などで楽しませてくれた。その他に、中国やトルコの伝統舞踏や歌などが聞けて、楽しいひとときを過ごしました。最後に全員で「いい日旅立ち」を演奏してくれたのですが、思わず泣けてきました。
日本女性のビデオクリップ(カウントダウンという曲)が、MTVでときどきかかっていて…。なんだが、心ひかれます。どうも不実をしたらしい恋人にあやまりなさい、私を愛しているとつぶやきなさい…と一人問答のように歌うのですが、一筋縄ではいかない深さというか、目を離せない何かがあります。、
DES'REE
「I AIN'T MOVIN'」…彼女は黒人。とても広がる声をもっている。歌は独特の雰囲気ももちつつ、聞きやすくもある。訴えたいものが彼女の歌に入っている。詞の力強さにとても魅力を感じる。
Edit Piaf
アコーディオン弾きが最近お気に入りで、よく聞いている。ことばもわからないし、音楽(メロディ)は一緒なのに、1番は恋する女性の浮かれた喜び、2番は淋しさ、不安、3番は悲しみ(というより、ほとんど狂気)がすごく鮮明に浮かび上がって、1曲でまるで2時間くらいの舞台(ミュージカル)を見た気になる。やっぱりpiafはものすごい表現者だと思う。歌を聞いていて、映像がはっきり浮かびあがるなんて、ものすごいことだと思う。
「G.M.プロジェクト」
先日、Blue Noteで観ました。「Blacker」というアルバムが出ています。ぜひ聞いてみてください。ケニー・ギャレット(Sax)、チャールズ・モフェット(Ds)、チャーネット・モフェット(Bass)、忘れてしまった(Piano)。これまで観た中で一番「“創ったものを観せる”のではなく“そのとき、その場で展開していく表現”」という性質を体現していた。私が“感じとれるようになってきた”部分も多いと思う。チャーネット・モフェットは、自分をBassと音楽で表現し続けていた。
MCALmont(マッカルモント)
広大さのある曲。キレイです。印象は。やさしく伸びのある声で、とにかく心の中に広ーい草原の風が吹く。というかんじのイメージ。おいしい紅茶でも飲みながら聞いたらgoodかも。
NICK CAVE AND THE BAD SEEDSのMurder Ballads
ただ流して聞くと、何だかわからないのだが、歌詞を確認しながら聞いたら“殺人”の話が非常に生々しく描かれていて、妙に迫力があった。ことばのパワーを感じた(歌詞がわからないと、ホントにつまらないのですが…)
No doubt
ヴォーカルの女の人が異常にテンションが高く、結構すごい声で(女声はホントに女声なのですが)、いろいろな色をもっています。CDは持っていないのですが、ニナハーゲンの曲もいけてしまうのではないかというくらいの感じで、決して曲というかバンド自体は私の食指の動くものではないのですが、かかるとどうしても見てしまいます。こちらに“発信する”というパワーはやはり何かを起こします。、
Tracy chapman
最近、お気に入り。声が男みたいにハスキーで(みためも男みたいだけど)。だけど歌声は優しくて、よい。
Tイルカセラピー
心を閉ざした人が船の上にいると、イルカが「一緒に遊ぼうよ」と呼びにくる。イルカと遊んだあとは、別人のように開放的で満たされている。イルカの声は耳で聞くというより、直接、胸に感じてくるとレポーターが言っていた。そんな声を使いたい。「胸にひびく声」というのはひょっとして「聞く人の胸に直接、届く声」をめざしていたのですね(いまさら何いってんの)。前に感じていたはず。忘れてた…。(
教育テレビ語学番組「スペイン語」「イタリア語」
観ていると、たまに本場のライヴをやっていたりする。別に、それらの語学をやろうと思わなくても、language showerでノリをしぜんに覚えられるし、ちょっとお得です。
VOW WOW
'76年にBOW WOWがデビューし、80年代にVo.の人見元基を加え(キーボードも入った)VOW WOWとなる。解散して数年後の95年、ギターの山本恭司が若手ミュージシャンを引き連れ、新生BOW WOWが登場するわけだが、俺は今まで様式美路線のVOW WOW はそんなに好きではなかった。人見元基の本当のすごさも半分くらいもわかっていなかった。ところが最近聞くと、これがたまらないほどいい。スケールがデカイ! 恭司のギターってこんなにカッコよかったんだ。
とても切ないお話。知能遅れの主人公の日記がそのまま本になっている。私は友人に“この本は最後の一行のためにあるような本だ”と言われた。読み終わった後、彼を切なく想う自分がいたのを覚えている。
ウッド奏者、アデル・サマラー。
「うるるん滞在紀行」
毎週(最近は芸能人が)世界各国へ一人の人間がそこの生活を送るか何かになるために(目的はいろいろだが)飛び、そこから問題が出されるという一応、クイズ形式の番組。人間の芯の部分に触れ、感動すらするとてもいい刺激のある番組。
PORGY and BESSについて…「Summer Time」を本格オペラ版で聞いたのははじめてだったので、キィの高さにおどろきました。ステージでは二人の女性がこれを歌いますが、実際に子どもを抱いて歌う、本筋(?)のクララ役の人よりもベス役の人(たぶん、エリザベス・グラハム)の方が、声としての強さにあふれ、断然よかった!(クララ役では何度もこれを歌うが、ベス役では1回だけなので、余計に際立ってそう思えたのかもしれない)。このステージには黒人しか出演しない。ライブであれだけ大勢の黒人シンガーが歌っているのを聞いたのは初めてだったので、そのパワーには圧倒された。マイクなしで、広いホール中に声が届くことがあたりまえの世界。自分の存在の、あまりにもいい加減な小さなそして何の力もないことに打ちのめされる。ソロのパートの個性的なこともすばらしいが、合唱になったときのゆるぎないハーモニー。けっとばしても崩れることのない音の確かさ、強さ、コントロール…正にプロフェッショナルだ。
カレンさんの歌声は、澄んでいて伸びやかでという印象が強いと日本では言われているので、たまにカバーして歌われているのを聞くと、高音部分ばっかり強調されている気がするが、本人のをよく聞いてみると、低音でしっかりつかまえているから、高音が生きているんだということがよくわかる。
グラミー賞授賞式
WOWOWで。日本でいえばレコード大賞と有線なんとか大賞とかを合わせたものにあたると思うが、本当、音楽の土壌というものが違うんだなと思わされた。音楽の歴史と伝統を本当に重んじている。かといって、新しいものを理解・認知しないわけでもない。個人的には、今回復活をとげたトレイシー・チャップマン。最優秀男性ロックヴォーカル賞をとったベック、そしてブルーススプリングスティーンがよかった。この人たちは、僕らの手の届かないところにいる人たちだが、なんだか身近に感じられる。なぜなんだろう。
ドロレス。2枚組「NO NEED TO ARGUE」第一声が「Tu」で始まる。もうこれだけ、ずっと聞いていたいという感じだ。そして、息に覆われたささやき。音量で遊んでいる。小さくなったり大きくなったり、くり返し胸をかき回される感じだ。そしてまた聞きたいというところで「Tu、Tu、Ra、Tu…」と…。アイルランドの国の声だ。この声を聞くと、アイルランドに行ってみたくなる。誘い込まれる歌だ。バンドもバックの演奏に徹していて気持ちいい。
ゴスペルのシャーリー・シーザー
「No charge」や「Go」という曲などで一部、語りが入っているのだが、歌と語りの間に声の差がなくて、実にしぜんに切りかわる。いや、切りかわるのではなく、語りも歌も全く同じなのだ。うまく説明できないけど、日本人にはないその感覚。勉強になった。
サーベルタイガー
アルバムタイトルは「プロジェクト・ワン」かつて北海道メタルということばを生み出したバンド。ギターの木下が、そのサーベルタイガー名義でプロジェクトを結成。メンバーがすさまじい! Vo.は元KEELのロン・キール、リズムの二人は現ラウドネスの直人(B.)、ヒロ(Dr.)。これだけハイクオリティのパワーメタルは、最近では貴重な宝だ。
ジェイムズブラウン、オーティスレディング、リトルリチャード
一流ソウルシンガーの表現力は強烈だ。人の心をつかむことができるのは、本物、ウソでなく真実をもつ人だけだ。
システム7
スティブビレッジがずっと夫婦でやっているユニット。ソロの頃は、よく聞いていたのですが、テクノというより何か新しいもう一種の生き物のような音楽。深くなめらかに流れるものが底にあったりと、才能といってしまえばそれまでだし、命けずるような表現とは違うのだけれど、心のスタンスというか互いの関係のとり方も含めて、いつも細胞はまっさらのようなすごさがあります。50才はいっているはず。、
“ネル”。ずいぶん前(1994?)の映画なのですが、CSではじめてちゃんと見ました。全体を通して、映画としてもよいとは思うのですが、ジョディが“森でとり残された幼い子供2人が、片言のことばを発展させ、自分たちのことばをつくり、2人(メイとネル)で何とか暮らし、ネルだけが生き残り成人し、森の中で発見される”という役柄を演じるにあたり、発声の段階からネルをつくり込んでいます。今もネルの笑い声、悲しんで傷ついた相手を包み込むようになぐさめようとするときの“チカ・チカ・チカビー”というささやきが、耳の中でくり返されます。才女らしく(冷静にみれば)計算というか、いろいろ考えた末のことではあるのだろうとは思うし、ラスト前の裁判の場面で、ネルが聴衆に対していきなり語ってしまうあたりの構成の問題はあるのです。が、彼女がネルになっているその瞬間(つまりスクリーンの中のネル)はネル以外の何ものでもなく、ラストで小さな女の子を見て死んでしまったメイを思い出し、すべての想いがこみ上げてきたネルに私もなっていて、ネルと同じ表情にし(見てまねをしたのでは決してなく)同時に涙を流したのです。その瞬間のために、きっと彼女は果てしない努力をつみ重ね、自分を高め、ネルのことばや発声に引きずられて、英語が少し変になってしまった人が何人かいたと書いてあったのを思い出しました。それは、大げさなのかもしれませんが、そんなこともホントかもしれないと思わせるほどのものが確かにありました。、
“My Cherie Amour”。途中の“La La La~”のところですごいブレス音が入ってて「ここまでブレスをとらないといけないんだな〜」と妙に納得してしまった。
ダイナワシントン
「Lover, come back to me」に心が踊る。ピアノやベース、ドラムス、どれもすごいが、ダイナワシントンのパワフルな歌唱がそこにかけあってくると、もう「生きるってすばらしい!」と思ってしまう。決してオーバーでなく。それから、J-WAVEでかかっていた、スティングの歌う「Someone to watch over me」がよかった。スティングの魅力的なところ、無骨な男っぽさとか優しさとか可愛らしさとかが、ストレートに伝わってきた。あれ、アルバム出ているのだろうか。
ダニエル・ブリズボワ。以前ライヴをしていたときに、人からくどすぎるのでもう少し普通に、くせの強い部分を少なくしてみては、といわれ、勧められたCD。普通の部分の声ができているので、普通に歌ってもつまらなくならない。参考にしたい。(小沢)
ドゥルス・ポンテス
ポルトガルのファド歌手。ニュース23で観て、オーチャードホールのライブに早速でかけました。「声の出し方」「表現へのつなぎ方」「オリジナルフレーズ」「今の時代でつかむ感覚」など、とても勉強になる。
ときめき夢サウンド
アルベルト城間という人の「コンドルは飛んで行く」は歌と彼が一致していて、今まで歌詞しか知らなかった私は、こんなにいい歌だったのかと久しぶりに感動して、これが歌だと思った。歌詞の内容は「インカに一人の男がいる 希望もなく哀しみに満ち、二度とインカをおさめることもなく、インクは消えゆく 太陽に向かって残ったのは一羽のコンドル」本当の歌は民族・土壌に根づいたもの、その通りだと思う。他の日本人歌手の歌がマネにしかみえなくなった(どんなに実力派でしっかりした声でも)。彼のパートだけ言霊がこもって、本当のコトバだと感じた。
ニナ・チェリー
「MAN」。声は太くて心地よかったけど、空に浮遊しているようなものは感じなかった。印象は薄かった。こういう声は、向こうの人には多いと思う。あまりお勧めではない。けれど、たやすく出せるCDとは、ずいぶんレベルが違うよな。相当の数の中から抜きん出てきて、名前を出しているんだから、すごいんだろう。単に、私の好みではないのだろう。歌はうまいし。うまいのは当然という面で聞くにはお勧め。へたはダメだ。
ブラジルの作家で1200万部以上を売るベストセラー作家。「アルケミスト」「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」「星の巡礼」自分の人生に必要であろう剣を探して旅する話なのだが、そのなかでこんなことを言っている。「私が知りたかった唯一のことは、剣が隠されている場所だった。一度としてなぜ自分は剣を見つけたいのか、あるいは何のためにそれを必要としているのか、自分に問うてみたこともなかった。私の努力のすべては、報酬に向けられていた。私たちが何かを望むとき、私たちは心の中に何が目的でそれが欲しいのか、はっきりとした考えをもっていなければならないということを、わかっていなかったのだ。報酬を求める唯一の理由は、その報酬で何をすべきかを知るということなのだ。」人生のことについて書いてあるのだけど、歌に関しても同じことだと思った。興味ある人は買ってください。
ブー・ラドリーズ
(英ロック)…実験的とも言えるGuiter Bandですが、やっぱりいいものはいいし、やっていて楽しい原点に戻ろうと(元もとの才能もあって)出したハードポップロック(パワーポップ?)が大ヒットしたにも関わらず、やっぱり実験をしなくちゃね。わかんない奴はわかんなくてもいいしと、またすぐ次のアルバムで日和見のリスナーを裏切るというくり返し。楽曲も声もとてもすばらしく、もさっとしたおにいさん4人で楽しそうに(でも超テクニック)やっています。“音楽と自分たち”というものを見つめることを、まず一番にもってきているアーティストとして、正しくストイックな姿勢が音にも表われています。、
プレジデンツ・オブ・ユナイテッドステイト
3人組(Dr., G., B.)のRock Bandなのですが、“合わせて5弦”というのが売り文句の通り「3弦ギターと2弦ベースで充分」と弦をはずしてしまって、曲も歌詞もシンプルで、「ねこの歌」とか「桃の歌」とかいうもの(“何かの例えですか?”とインタビューされて“いや、ただのねこのこと”と言っていた)。演るのが楽しくってあっけらかんとしていて、でも声も演奏もとても高度です(かざり気ないんですが)。楽しい! 楽しい! 楽しい! という気持ちが、リズムを刻んでいるような人たちです。、
マイク・ヴェセーラ
ソロアルバム。ラウドネス時代は、仁井原実(前任Vo)の存在があまりに大きかったこともあって、日本のファンにはあまり受け入れられなかったようだが「ON THE PROW」では、強力メンバー(高崎、樋口、山下)の中でよくやった方だと思う。その後、イングヴェイと組んで活動しているが、彼のキャリアはどういうわけか、いつもバンドの中で一歩引いた存在に甘んじている。そんな彼が、はじめて自分の好きなようにやれるプロジェクト。マイクヴェセーラを知ることができる初の作品だ。
マンハッタン・トランスファ
アルバム「マニートラ」の「オペレーター」という曲は楽しい。それにつけてもマヘリア・ジャクソンのアルバム「ゴスペルズ・スピリチュアルズ&ヒムズ」の「上なる部屋で」の歯切れのよさは何とすばらしいことだろう!!
文庫本「音楽」
小沢征爾・武満徹著…いつくしむ心の大事さを感じました。なぜ武満氏にはあまり笑った顔がないのだろう。あまり笑わないとしたら、なぜだろう。
文庫本「やわらかな心をもつ」小沢征爾・広中平祐著…教育とは捨石をすること(他に対しても自分に対しても)。/バルバラの「黒いワシ」を聞いて思うこと…両腕を押さえられながら揺さぶられ続け、心臓をわしづかみにされ前へ前へ、前へ前へズリズリッとにじり進んでいく感じ。ただ張り上げる声ではなく、むしろ制御することを意識した歌い方。なぜそうするのだろう。
JRのポスター
(両腕を広げているような桜の木がまずあって、その前に紺色の制服姿の少女たちが10~15人くらいいる。桜はピントがあい、少女たちはストップモーションのようになっている。)少女たちを美しいやわらかいたっぷりした両腕に抱くようにしている桜。少女たちは桜に何もしていないのに無償で咲き、人間を抱きかかえる桜。桜は自然。自然にいだかれる人間。人間は自然に対して貢献していないのに。自然をつくったのは神。人間に感じる心をつくったのも神。感じなさい!と神が言っている。何を? 神の私の愛を。そしてそこから考えて生きてごらんと言っている。祝福されている。愛されている。どうやって愛を伝えられるだろうか。どうやって愛されたお返しが少しでもできるだろうか。
英語会話ラジオレッスン
これも前から聞いているのですが、最近ちょっと忘れがち…。プログラムとしては「英会話」というタイトルです。講師の大杉正明先生は、ホントにNICEな人です。声が魅力的なのはもちろんですが、日本語のフレーズもいい感じ、軽くジョークも出るし、HOTなところが大好きです。スキットをやっている男性の声、表現力は、歴代の人、すべて各々にGOOD!! 私は真面目にやってないので、英語力は今一…ですが、聞く価値ありのプログラムです。テキストも読む価値ありです。
「ラムサ 真聖なる預言」
本はけっこうおもしろいです。いいことがいっぱい書いてります。よくいう「ハルマゲドン」とは何のことはない、自分の人生の中でずっとそれを生きていて、反キリスト(愛情の限界、憎しみとは愛の限界?)とキリスト(限界のない愛情)は同じ寺院(=自分)を分かちあっている。神の一部である自分が、限界と無限、どちらをとるか、限界を強いる社会意識(世界の常識)と限界のない思考(→限界のない想像、ただし成就するまで時間は必要)、どちらを選択するか人生そのもの(または心の葛藤)自体がキリストと反キリストのたたかい=ハルマゲドンである。コワイ。ただし、一般ピープルにこんなことを言っていてはおかしいだけなので、時がくるまで黙しているしかない。かといってカッコ悪いからって悪いフリするのはもうやめます(それはバカだから)。だんだんフリが本当になる。永遠に一緒にいるにはステージが上がったら一緒にのぼっていくこと、ついていくこと。心が痛むことでも受け入れること。余談ですが、この本にも「本当の師は何も説明しない」と書いてある。
マンガだが、マンガを超えたおもしろさ。'85年のマンガだが、今よけい新鮮だと思います。半分、仏教的、半分テクノロジー(?)、99年の設定になっているけど、半分は充分ありそうなSFなところがおもしろい。
映画“Great Balls of Fire
主演、デニス・クエイド。50's Rockのパイオニア、ジェリー・リー・ルイスの半生を描いた映画。ロッカーのジェリー・リーと牧師のいとこの対比でもおもしろいが、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンのようなデニス・クエイドの演技と、ブギ・ピアノで理屈抜きにロック的興奮を味わうことができます。P.S. ジェリー・リー本人の50年代のパフォーマンスも半分キレかかっていてスゴイです。
映画「ロレンツォのオイル」
名作なんです。実話です。見てみてください。それ以上、もうことばがないです。自分が生きていることを実感して、五体満足で音楽なんてやっていられることを神に感謝します。
涙ぐんでしまった。明るい歌ばかりのCDなのに(The best of Ella Fitzgerald)、その明るさの裏にきっとたくさんの哀しみやつらさを抱えこんでいるんだろうと思わせる強さと包容力のある歌声だ。いったいどんな人生をおくった人なんだろうと、どうしても彼女のすべてを知りたくなった。たくさんのヴォーカリストからいろんな勇気と感動をもらってきて、彼らを見本にしたいが、最終的な私の目標はやはり、エラだと思う。
「マザー・グース・コンサート」
東京国際フォーラムで開催されたもので、和田誠さんが訳詞し、櫻井順さんが作曲した曲が1曲ずつ62組132人のアーティスト、文化人、タレント、合唱団の皆さんに割りあてられ披露したというもの。「個性」「課題の表現」「オリジナルなフレーズ」という点で勉強になった。やはり、歌詞をしっかり理解し、どこをどう表現すればマザーグースのおもしろさが伝わるか考えている人、そこに自分の個性も乗せられた人に観客の拍手が集まっていたと思う。ちなみに私は、やけに宮路オサムさんが印象に残った。
「ポール・デルボー展」
私は大学の卒論でシャガールについて研究したが、デルボーやシャガールに共通するのは、初期の画風は写実的で、ある時期を境にその独創性が現われ、独自の画風が確立されること。シュールレアリストたちも皆、デッサン力は非常にしっかりしている。これは歌にも言えることで、その人のオリジナリティが出てくる以前に、まず基本となる「声」がないと何にもならないのだなと実感した。
詞の行間に表情をつけ、表現するのがとてもうまい。語尾の調子がその歌詞や歌中の人物の性格づけなどによっても違う。日本語を実に大切に歌っていて、日本人もそうそうできることではない-と平尾昌章氏が言っていた。語尾の調子の話は確かにそうだ。「時の流れに身をまかせ」と「つぐない」と「愛人」では、この歌の主人公の意志により違う。おもしろい話だ。とても参考になった。日本人としては、嬉しい話でもある。また平尾氏は「乱れた日本語を正すには、歌が一番よい。優れた作品をつくっていきたい。」と語った。「行間を表現してくれるのが、作曲家にとってもっとも嬉しい(歌手に対して)。」とも語った。自分も、書き手側のことをいつも一番に考え、そこから伝わってくるものをくみ取り、聞き手に私というフィルターを通して伝えるのだ-と思ってはいるのだが、自分の思い込みに入り、押しつけやすい性格なので、改めて反省した。
宮尾寿美子(作家)
トーク番組に出演していた。26年目にしてやっと認められたと。26年一つのことを情熱をもち続けてやってきたということは、それだけですごい才能だ。それも芽が出るまでに26年…今の私には気の遠くなる年月だ。何か一つのことを長く続けていける人は、続けている間、苦しみやつらさだけではないと思う。一つひとつ積み重ねていくということに生きている喜びがあると思う。10年以上、書き続けても芽が出ず、自分は片手間にやっている。本当にものを書くというは血ヘドを吐くぐらいの思いでやらなければと、また書き続け10年以上…。一つのことを深くやっていこうとする人は、皆そういう思いでやっていると思う。生き方に重ならなければ、つかみ取れるものではない。一生、歌を続けていこうというなかで芽が出ず、死んでしまうかもしれない。いつ死ぬかは自殺を選ばない限り、決められない。でも、自分の心に嘘のない生き方をしているならば、しようがないと思う。自分の歌を一曲でも歌って、それに感動してもらってそして死にたいものだ。
「I AM A DANCER」
ルドルフ・ヌレエフの映画「舞台に立つために血のにじむ努力をする。拍手や称賛のご褒美はあるが、自分に満足することは滅多にない。それでも僕には踊りしかない。踊れる限り僕は満足だ。自分の仕事に忠実であるしかない。踊ることが僕の仕事であり、僕の人生なのだ。」本物には、みな通じるものがある。私は私のなりたいところまでしかなれない。
桜沢エリカ(漫画家)
すごく今っぽいという感じ。ダークな部分(薬・SEX・同性愛など)をとてもクールに表現する人。単線でシンプルな絵を描く。今(現在、現代)から逃げていない。そんな感じがする。人の匂いのしてくるそんなマンガを描く人。
ティッシュ・イノホーサ
私のとても好きなヴォーカリストで、メキシコ(と言ってもヒスパニック)の女性ヴォーカリストで、ティッシュ・イノホーサという人がいるのですが(レコード屋では、カントリーのコーナーか、普通のロック&ポップスのコーナーにある)、スペイン語で歌うと、何とも味わい深い、まろやかで包容力があって、そして力強い声なんですね。バラードなんか、スペイン語の美しさ、そして歌の美しさを感じるほど。この人は、シンガーソングライターでもあるので、英語、スペイン語の両方の歌を創りますが、気がついたことがあります。普段は何語で生活をしてるのかはわからないのですが、英語の歌になると、少しパワーダウンするんですね。少し歌いづらそうなんです。ポジションも少し変わるみたいで。それを思うと、私たち日本人は、英語でも深くて届きづらいのに、ましてやヨーロッパのスペイン語、イタリア語など、もっと深くて気が遠くなってしまう。ただ、同じ一人の人が、いくつかのことばで歌っているのを聞いて、違いを探るのも、とても勉強になります。先生が、英語をあまり勉強で使わない理由がここにあるのかなと思います。やはり、ヨーロッパの歌の方が、聞いていて身体に入ってくるのです。よく、練習をしてて混乱したときや、何とも気が入らないときは、“アディオニス!”“ムーキャスグラシャース”e.t.c...とか叫びます。すると、楽に声がつかめてる気がします。そうやって、気分転換をしています。
小川洋子の小説。
彼女は私にとって完璧な人。ことばの一つひとつが私の感性にいちいちカチリとはまる。彼女の小説を読んでいると、私は身体中の細胞がわけもなく痛み、泣き始めるのを感じる。彼女は、自分の中に宇宙をもっている。真実をもっている。ことばをもっている。世界でたった一人の人。私に宝物にしたくなるような感情を与えてくれる。
新井英一の「果てしなき航路」
部屋を真っ暗にして聞いてみました。新井さんの旅という生活、歌という生活、これまで生きてきたなかでの体験など、大変リアルに感じられ、久しぶりに日本語の歌に感動しました。特に「ジプシー」と「ああ、この国では」という歌には、いろいろ自分のこれまでに起きたことやこれからのことについて感じるところが多かった。
読んだ。幼い頃、戦争を経験したおばあちゃんが亡くなった。何か衝撃的なことを体験した人は、何か違う。以前、「白鳥の湖」を見た。白鳥を踊るのに、白鳥と暮らしたという。私はそのときの感動は一生、忘れられない。「人にどうしようもない感動を与えられることが、何よりかけがえのないことです。」どんな種類のすごい人も皆、同じことを言う。
村野四郎(詩人)
=“体操詩集”というのが有名です。近代の方の中では、非常にモダンな“数式”のような詩を書いている時期がおもしろいです。放物線や落下の感覚にも似た正確な描写が、今読んでも古さを感じさせません。建築家のル・コルヴィジェに影響を受けているのですが、彼の建築のように自由でありながらもストイックで、具体的な理由によるシンプルさがおもしろいです。、
人生、無駄なことはなく、すべてが天から与えてもらう人生のためのこと(苦しいこともつらいことも悪いことも)であると思った。思ったというより…いつもいつも思ってきたことなので確信した。小さな方向変化のときに一つひとつの起こったことは、よいことも悪いことも活かされているし、そのどれ一つとっても、今ここにいる自分がいなかったのだと思うと、こわくもあり、ありがたいことだと思う(結果としてよい方向へ行くことになる)。道の途中で起こったことすべて。それに対して、自分が逃げず正面から受けとめようとしたとき、いいこともそのときは悪いことも、自分にとって大切なものへの巡り合わせの布石になる。それは絶対に真実だ。事実だ。絶対に誰かに見守られているというタイミングでそれは起こる。もし自分でやっていること…だとしても、もっと大きな摂理の中で、それはそうしてもらっている感覚が、最後に残る。“神”という名前がつけられているものだろうか。、「知ってるつもり」
バレエダンサー熊谷哲也
自ら経験しているので、日本人の不利・有利な点を体でわかっている。それを先輩に伝える言い方には説得力がある。自分が自分の体でできる人は、ことばでもちゃんと伝えられる。うまく言えないというのは、自分がわかっていないからなんだなと思った。
「能」の本
読んだ。一流の人が言っていることには共通することがたくさんある。よく一つの分野で一流になった人が他の分野にも才能を見出すことがあるけれど、それは考え方の面で共通したものがあるからものになるのだと思う。考えてみると、一つのことを成すときの考え方というものがどんなに大事なことかわかる。何か一つのことを成し遂げられる人というのは、生まれる前からそういう気質みたいなものをもっていると思う。それが表に出てくるか出てこないかであって、もっていない人はもっていないと私は思う。考え方はいろいろ変化しても、本質的なものは変わらないと思うから。Going My Way.
「風と共に去りぬ」
素晴らしいサウンドトラック。誰でもあの曲は知ってますものね。しかし、私はよく「『スカーレット・オハラ』の生き方に憧れる」という声を耳にしていたので、そんな面でも期待して見たのですが…。確かにすごい。強い女性で他にないキャラクターですが…。私はメラニーになりたいなあ…。すごいですよね、スカーレットって。女性の欲望そのままに生きるって感じ。私はもう少し理性が欲しい。
糸居五郎氏
その人生を見た。永遠のDJ、DJの真髄、糸居氏。人生相談まっさかりのラジオ深夜放送帯にあって、ひたすら音楽を、音楽だけを提供し続けた人。彼にとっては、100の薄っぺらいことばよりも、一曲が人間を救うということが強い信念だったのだろう。もちろん、ラジオの人生相談が全く悪いものだとは思わないが、彼にとって勇気や喜びやときめきを与えてくれたのは明らかに音楽だったに違いない。だから曲の紹介順序や曲紹介コメントに彼の情熱が伺えるのだ。戦争中、満州のラジオ曲でアナウンサーだった際、大好きなデュークエリントンをオンエア(もちろん禁じられていた)「こんな退廃的な音楽を聞いている若者がいる国は負けるに決まっている」とコメントをつけて、会社での“首”を覚悟しながらも、すばらしいものを伝えようとした彼に拍手を送りたい。DJがパーソナリティと呼ばれる時代が到来し、一度オールナイトニッポンを降板することになった彼が、たしなむマティーニの杯数が増えていく話には、胸がつまるものがあった。日本に初めてビートルズを紹介した彼。いつでも最先端の音楽を彼独自の感性とエナジーをもって伝えたDJ。懐かしんでいるばかりではいけない。私自体は名前と少しの声しか知らない世代だが“彼の想い”をずっと受けとめていたいように感じた。「驚きももの木20世紀」(テレビ朝日)